アメイジング・マイクロツーリズム(!?)in 北九州(その2)~乙姫心で門司港レトロ(!?)を語る回~

皆さん、こんにちわ(^o^)
前回はこんな記事を投稿しました。今回はその続編です。

今回は北九州市の中でも最たる観光スポットである「門司港」をマイクロツーリズムしたことをネタにして語る回なわけですが、自分が門司港を訪問したのはここ近年の間でも実は複数回にわたっていたのでした(笑)
訪問した時期で大まかな区切りをつけてみると、次のように分けられそうです。

1期目:2020年8月12日(水)、8月14日(金)
2期目:2021年6月6日(日)、6月28日(月)
3期目:2022年2月26日(土)、2月27日(日)、3月6日(日)、3月12日(土)
4期目:2022年4月24日(日)、4月30日(土)、5月1日(日)

ちなみに、3期目の訪問では「北九州魅力満喫パスポート」を使用して観光を楽しませてもらったのでした。あの時は大変お世話になりました。アレはよかったです。
ありがとうございました。ごっつぁんです。(^o^)

ここで「門司港レトロ地区」について大雑把な説明をすると、まずはこの観光地の
シンボル的な存在として大正ロマンな建築美のJR門司港駅があって、1980年代の
後半から駅前や第一船溜まり周辺の区域が観光開発されて、1995年(平成7年)3月にめでたく「門司港レトロ」がグランドオープン。
それまで時代に取り残されて寂れてしまった港町がこれを機に年間約200万人が訪れる観光地に生まれ変わったそうです。ドラマですね!(^ω^)

第一船溜まりのほとりの一角から門司港駅の方向を眺望します。
向こうの岸には、左から海峡プラザ、旧門司三井倶楽部、旧大阪商船ビル、プレミアホテル門司港、さらに奥には、かつて国鉄門司鉄道管理局が入っていたビル(旧三井物産門司支店)、日本郵船ビル、門司港駅などの建造物が見渡せます。(2022年4月30日撮影)

地図で見ると、門司港レトロ観光線を境にして線路の左側がレトロ地区、右側が中心市街地、そういった見方もできるかもしれません。適当ですが(笑)
f:id:marronkun172:20220411023051p:plain
    ←←レトロ地区←←         →→→中心市街地→→→

門司港の駅前にあった観光案内板ではこうした表示がなされていました。
ちなみに、この案内板では左側が北を指しています。f:id:marronkun172:20220411023402j:plain
この観光案内板を撮影した画像にピンク色で1~7の番号を付けてみました。
この数字は次に示した行程表の①~⑦の施設に対応しています。

今回の記事は主に「門司港レトロ」地区の「中心部エリア」を観光したことについて語っていきたいと思うわけですが、先にも述べたとおり、門司港の街には4期にわたって訪れていたのでした(笑)
これについて、どのようにまとめるか考えた結果、今回の記事では、順路については2022年2月26日に訪れた時のことを基にして、写真画像については2021年6月28日に訪れた時に撮影したもの中心に貼り付けました。

2022年2月26日(土) 行程表

10:25 門司港駅 到着

10:45 旧門司三井俱楽部 入館

 12:00    〃     退館

12:10 旧大阪商船ビル 入館

 12:40    〃    退館

   (跳ね橋「ブルーウィングもじ」を渡る)

13:00 旧門司税関 入館

 13:15   〃   退館

13:20 北九州市大連友好記念館 入館

 13:40     〃       退館

   (路面電車「ワンマン・ボギー車100型」に乗車)

14:00 門司港レトロ展望室 入館

 14:30     〃     退館

   (第一船溜まり周縁を散策)

 14:45 焼きカレー店 入店

 15:10   〃    退店 

   (門司港駅に到着)

15:20 観光トロッコ列車「潮風号」 往路乗車

   (和布刈神社まで散策)

 16:30 観光トロッコ列車「潮風号」 復路下車

   (門司港駅に到着)

この日の行程ですが、については当初は九州鉄道記念館を訪れる予定にしていましたが、九州鉄道記念館駅まで来たところでトロッコ列車がちょうど駅に停車中であったのを目撃して、観光トロッコ列車は「北九州魅力満喫パスポート」が使える対象となっていて、迷わずそっちの方に乗車してしまったのでした。。。(^^;

さて、の観光施設を見て回った経緯については、また後ほど触れることにしますが、その前に門司港の街に関する話題を二つほど挟んでおきたいと思います。
これらを予備知識として押さえておくことで、この街の観光もより味わい深いものになるのでしょう。よかったですね!(^o^)

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

ここで北九州市門司区の概要について見ておきましょう。

上記に紹介した記事を閲覧してもらえば、門司港の地理や歴史についてひと通り知ることができるわけですが、また「門司区 - Wikipedia」の記事の中には北九州市門司区(かつては福岡県門司市だった)における1890年から2020年にかけての約130年間の人口推移のグラフが掲載されていましたが、これは個人的に大変に興味をそそられるものがあります。 

f:id:marronkun172:20220411023138p:plain
                 ――引用:「門司区 - Wikipedia」より――                  

Wikipediaの記述によれば、港町としての門司の起源は明治時代に遡り、1890年頃の
築港と鉄道敷設に端を発したらしいです。北九州市の公式な情報によれば、明治22年(1889年)に開港したということです。

それから1940年頃までの約50年の間、門司港は石炭の積出港から始まって、やがては横浜、神戸とともに日本三大港の一つとして名を馳せるまでに発展しました。
当時の門司港は日本でも有数の国際貿易港へと成長を遂げて、日本の近代化を推し進める力となったわけですが、その過程で門司の市街地も国際港湾都市として、急速に発展していきました。

1930年代になると、門司港の街もいよいよ栄華を極めることになったようです。

太平洋戦争が激化するに伴い人口は一時的に減少に転じますが、戦後は復興期から
再び人口の増加が始まりました。
1950年代には朝鮮特需に沸くこともありましたが、戦後は中国との国交が絶たれ、
門司港は最大の得意先であった貿易国を失うことになりました。さらに1960年代には筑豊の炭田が相次いで閉山したことによって、石炭の積出港としての役割も終えることになりました。
かつては陸上と海上交通の結節点としての役割を担うことによって繁栄を遂げてきた門司港でしたが、戦後の経済成長期には、もはや本州ー九州間の単なる通過点となってしまい、日本国内における港湾の中での門司港の地位は、次第に低下していくことになったようです。

1959年(昭和34年)には門司市の人口は165,010人に達して、ここで市域における人口の増加はピークを迎えますが、それから後は60年を経た今日に及ぶまでひたすら減少の一途をたどっています。
1963年(昭和38年)2月には門司・小倉・戸畑・八幡・若松の五市合併により北九州市が発足し、門司市北九州市門司区となりました。この五市合併は門司側にとってはあまり歓迎できるような出来事ではなかったように見えます。

それからさらに時は過ぎて、2022年(令和4年)3月の門司区の推計人口は91,833人となっています。また『令和2年10月1日現在で実施された国勢調査の人口等基本集計(北九州市分)』によれば、門司区人口に占める65歳以上の割合(高齢化率)は39.0%と、これは北九州市の行政区の中でも最も高い値となっています。

ここで門司港の街の歴史についてざっと見てきましたが、この九州の北端に位置する
港町は日本の近代化とともに発展し、戦前の1930年代にはいったん栄華を極めることにもなりましたが、戦後になって1955年~1960年あたりから本格的に始まった日本の経済成長からは次第に置いて行かれることになりました。
これでは『平家物語』の冒頭を思い出してしまいそうです。。。

祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

また門司だったら、林芙美子ゆかりの地ということで、こういうのもアリかもしれません。この短詩は、個人的な思いではしみじみと心に沁みて、この一言で人生の真理を端的に言い表しているものだと、つくづく感心してしまいます。

花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき

それはさておき、門司港の歴史についてざっくり概観してみると、あえて言うなら、それは戦後の経済成長に置いて行かれてしまって、時代にすっかり乗り遅れてしまった衰退の止まらない寂れた場末の港町。
もののあはれ」と「わびさび」の情趣ただよう、われらの愛すべき街。門司港

そこに一条の光をもたらしてくれたとも言えそうな「門司港レトロ」構想ですが、
その観光開発の経緯については、次の記事にある内容を読まれるとよいでしょう。

門司では、経済が沈滞する中、老朽化した建物・倉庫群が取壊しの対象となり、旧門司税関旧大阪商船旧門司三井倶楽部(門鉄会館)などの歴史的な建物も解体されようとしていた

門司港レトロ事業で復元された旧門司税関と第1船溜り周辺に整備された商業施設。

1986年(昭和61年)に北九州市長に就任した末吉興一は、翌1987年(昭和62年)門司港に残る歴史的遺産を生かして街を整備する門司港レトロ」構想に着手した[276]。特に、1988年(昭和63年)門司港駅が国の重要文化財に指定されたことを機に、洋風建築保存・活用の気運が本格化した。この年、北九州市門司港レトロめぐり・海峡めぐり推進事業」自治省ふるさとづくり特別対策事業に採択され、予算が付与された運輸省の歴史的港湾環境創造事業を利用した旧門司税関の復元、第1船溜り出入口の跳ね橋ブルーウィングもじなどの西海岸地区緑地整備事業友好都市大連市の旧東清鉄道事務所を複製した国際友好記念図書館の建設も進められた。総事業費約300億円が投入され、1995年(平成7年)3月門司港レトロがグランドオープンした第1船溜りを中心に、賑わいが生まれた

その後、1997年(平成9年)から2007年(平成19年)にかけて門司港レトロ第2期事業が実施され、九州鉄道記念館海峡ドラマシップ(関門海峡ミュージアムなど、新しい観光施設、宿泊施設、商業施設も次々オープンした。かつての門司築港が建設した門司港外浜を通る線路には、2005年(平成17年)まで貨物列車が走っていたが、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線トロッコ列車(潮風号)が走るようになった2014年平成26年には三宜楼が保存修理工事を経て一般公開された

2001年(平成13年)に閉店した山城屋

一方、1937年昭和12年)に門司港地区に開業し門司唯一のデパートとして親しまれていた山城屋が、小倉を中心とするデパート戦争に取り残され、1994年(平成6年)に倒産手続に入り、2001年(平成13年)に閉店し、経済の衰えを象徴する出来事となった。観光地化された中心部を外れると、人通りが少なく、寂れつつあるとの指摘もある

        ――引用:「Wikipedia」より――


そう言えば、1980年代の中盤から後半にかけては日本社会がバブル経済に突入して、レトロブーム、エスニックブーム、海外旅行ブーム、バンドブーム、財テクブーム、テーマパークの建設ブーム、新興宗教ブームなどの様々なブームが発生したりして、それらが社会現象になっていたような記憶があります。

それはさておき、「門司港レトロ」を構成している建築物群については、次の記事の中に大まかな一覧で紹介されてありました。

上記の一覧の他にも、次のような建築物が存在します。

・旧大連航路上屋 -1929年(昭和4年)築。2013年(平成25年)7月に再オープン。

三宜楼 - 1931年(昭和6年)築。市民の保存活動、募金等により北九州市に寄贈
 され修復。2014年(平成26年)4月にリニューアルオープン。

昭和の中期には時代の潮流からすっかり置いてきぼりにされて寂れてしまった門司港の市街地でしたが、「門司港レトロ」の観光開発をきっかけに、令和となった現在では「港町の歴史と文化のロマン薫る国際文化観光都市」への可能性を模索していると言えそうな感じもしなくはない???
かつては栄華を極めた国際港湾都市の、あの栄光の時代は、幾星霜の時の流れの中で「イデア」となって抽象化・昇華され、そしてそれが今となっては、この街に再び
生命の息吹をもたらしているようにも思われます。

「夢ですか? 現実ですか?」
「はっきりとしたことは言えませんが、それはきっと――真実在です。」

そのような、われらの愛すべき「門司港レトロ」の観光情報については、こちらを
閲覧されるとよいでしょう。この観光ガイドは何だか公式なサイトっぽいですね。

なお、こちらは北九州市全域と山口県下関市を含めた観光案内となっています。

以上、ここでは北九州市門司区(かつての福岡県門司市)における1880年~2020年(明治の中期から令和に至るまで)の約130年間の人口の推移から、大雑把ではありますが、門司港の街の歴史について紐解いていきました。

すると、われわれがこの章で見てきたものは実は何だったかと言うと、よくよく考えてみれば――諸行無常の理」vs.「永遠不滅のイデアの構図――つまり、そういうことではなかったのか!? さらに言うならば、これは文学的・哲学的なテーマにも通じるようで、普遍性があります。

諸行無常の非情な掟に抗(あらが)う人間の主体的な精神と情熱に、儚くも美しい
物語を感じずにはいられません。
個人的には、門司港の街は大変に興味深く思われました。ああ、奥床しい。(´ω`) 

ここでまたさらに余計なことを付け加えると、僕はもうかれこれ8年近くラブライバーを続けていますが、「ラブライブ!」楽曲の中では lily white(リリーホワイト)の「乙姫心で恋宮殿(おとおひめはーとでらぶきゅうでん)」が一番のお気に入りで、これは2015年に発表された曲ですが、今になっても3日に1回は聴いてます(笑)

門司港の街を観光してみると、この楽曲の歌詞と門司港の物語とは、一言一句すべてが当てはまるというわけではありませんが、大意でとらえてみれば、ずいぶんとしっくりくるように思われました。(^^♪

人の世は(すぐにすぐに)変わるけど
私の願いは(変わらないわ)
うず潮よりはげしく あなた揺さぶりたいの

「来て…!」

むかしのむかしの物語 伝説の宮殿で
恋した恋した殿方
ああ還らない(さだめなのよ)
こよいのこよいの物語 伝説がよみがえる
恋する恋するはずだわ
そうよ あなたが来てくれた
なにもかも忘れて ゆらゆら踊りましょう

  

自分のブログ記事には、リリホワの「乙姫心~」がこれまで何度となく登場してきて恐縮なわけですが、個人的な人生に対する最大の関心というのは、おそらくこういう所にあるのでしょう。知らんけど(笑)
そう言えば、5年前の今頃にも場所は違えど、こんな記事を投稿したのでした。(^^;

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

全然話は変わりますが、前回の記事では「ガールズ無法松」という萌えキャラが登場しましたが、この子たちは小倉っ子なキャラなのでした。  
  f:id:marronkun172:20220418033911j:plain

 ♥YouTubeにチャンネルがありました。応援してあげましょう!(⋈◍>◡<◍)。✧♥  
  

それで、門司港ご当地キャラと言えば、「じーも」と「バナナ姫ルナ」という  
キャラがおられてですね・・・門司っ子なキャラといえば、海坊主&お姫様!?
さらに見方を変えれば、妖怪&妖精 (^o^)
     
      じーも(2022年5月1日撮影)

                   
                  バナナ姫ルナ(2022年5月1日撮影)                  

             f:id:marronkun172:20220418031311j:plain
      「じ~も&バナナ姫 出演」の『じ~もの門司港バナナ伝』
  

北九州市門司区の公式サイトによれば、「じーも」が門司区の公式マスコットキャラに認定されたのは1999年(平成11年)ということで、もう20年以上も前の話です。
このご当地ゆるキャラは妖怪の海坊主がモチーフになっているのだそうです。

いっぽう「バナナ姫ルナ」は北九州市の観光課が企画したキャラで、「門司港名物・バナナの叩き売り」から着想を得て2015年(平成27年)に爆誕したのでした。
キャラクターデザインを手掛けられたのは、しいたけさんというイラストレーターで、この方は北九州地区を主な拠点にしながら活躍されているようです。

また「バナナ姫ルナ」には実写版も存在していました。
「バナナ姫ルナ」の企画が持ち上がったのは元北九州市職員の井上純子さんが市の
観光課に配属されていた時のことで、それで地元のハロウィンイベントの仮装大会でグランプリに輝いた実績もあるという井上さんが「バナナ姫ルナ」の役を演じることになって、市の観光行政の職務を遂行することになったのでした。
ここで井上さんは、2016年の夏から2018年の3月までの間、”コスプレ公務員”として北九州市のPR活動に精力的に励まれていたようです。

2018年3月末に人事異動の関係で「バナナ姫ルナ」の職務をいったん引退されましたが、観光客や市民たちから引退を惜しむ声も多かったそうで、その声に応えてか引退から半年後には、今度は一市民によるボランティアとして復活を遂げました。
公務員の仕事を離れたプライベートの時間をやり繰りしながら、2020年に入って日本の社会・経済がコロナ禍の影響を余儀なくされるようになる直前まで実写版の出演をこなされていたようです。
  「バナナ姫ルナ」を演じられた井上純子さんはご自身の公式プロフィールによれば、2020年9月に北九州市職員を退職されて、2021年には晴れて北九州市の市議会議員となられたようです。おめでとうございます。
安定してはいるがいろいろと制約が付きまとう行政の仕事から足を洗って、その次はより自由度は高いが責任も重い政治の分野で活躍されて、偉いですね。(´ω`)

また、しいたけさんは「萌えキャラ」よりも「お姫様キャラ」絵師の巨匠といった
イメージの方が強そうです。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

さて、ここからは「門司港レトロ」地区の中心部エリアについての、かなり主観的な観光ガイドです。(^o^)

門司港駅

門司港の観光は、個人的な趣味の見解によれば、門司港駅から始まります。
駅舎が国の重要文化財となっています。

日本の駅舎で国の重要文化財に指定されているのは、東京駅と門司港駅だけです。

電車がJR門司港駅に到着してホームに降り立ったら、すでに門司港レトロの観光スポットに入り込んだも同然です。(^ω^)
上の画像は月曜日に有休を取ってここに来た時に撮影したものですが、駅舎をバックに若い男女が何やら写真や動画の撮影みたいなことをやっています。何だか楽しそうでいいですね。おれには関係ないけれど。。。(2021年6月28日撮影)

鉄道愛好家でレトロ建築愛好家なら、この駅で軽く2~3時間くらいは遊べてしまいそうですが、門司港駅の内部を見て回った件については、こっちの勝手な都合で今回は割愛させてもらって、これは次回の記事でじっくり語りたいと思います。(^^;

f:id:marronkun172:20220418041926j:plain
駅の正面口から駅前の方を眺めると、日本郵船ビル、旧門司三井俱楽部、旧三井物産門司支店などの建物が見えてきます。左のレンガ造りの建築物は、あれは観光開発によって建設された築浅物件のようです。(2021年6月28日撮影)

ここで余談ですが、旧三井物産門司支店のビルは、自分が子どもだった頃には、国鉄門司鉄道管理局が入居していたので、勝手に”門鉄ビル”とか呼んでいました。
この私も、今ではすっかりくたびれたおっさんに成り果ててしまいましたが、屈託のない無邪気なバカ息子だった頃が、苦くも懐かしいですねえ。。。


旧門司三井俱楽部

この建物はもともと、今の場所よりももっと内陸の方に入った谷町という地区に建っていましたが、門司港レトロの観光開発事業によって、1991年(平成3年)に門司港駅前にある現在の地点に移築されました。
門司港駅に続いて、この建物も国の重要文化財に指定されているそうです。

f:id:marronkun172:20220418041943j:plain
ごちうさ」の舞台に出てきそうな建物ですが、このような建築デザインは建築用語で「ハーフティンバー様式」というらしいです。(2021年6月28日撮影)

この建物はもともと三井財閥の社交場で、建物の中はパリピの巣窟です(ウソです)  

噂によると、東京都港区にある三井俱楽部も、かなりイカれたヤバいハコらしいぜ。
   ※ちなみに、この画像は三井グループのサイトからのものです。念のため。

東京の本店と単純に比較してはいけないようにも思われますが、門司の支店にはかつてアインシュタイン博士夫妻が宿泊したことがあって、さらに博士は門司に滞在中に地元民が年中行事で開催していた餅つき大会を偶然見かけて、その光景に興味百倍して飛び入り参加された、というエピソードは大変に気に入りました。(^ω^)

門司の支店には「アインシュタイン メモリアルルーム」という有料の展示室があって、そこに展示されていたパネルにその旨の記載がありました。

それはさておき、門司港にある方の古い洋館は建物内を嘗(な)めまわすようにして見学できるので、レトロ建築愛好家にはおススメの物件だと思われます。
    f:id:marronkun172:20220418042122j:plain

                f:id:marronkun172:20220418042023j:plain
通路には緑のカーペットが敷かれていて、漆喰の白壁、ニス塗りの階段、ペンキ塗りの手摺り・・・うーん、レトロ、レトロ!(^o^)(2021年6月28日撮影)

建物の1階にはレストランがあって、地元のふぐ料理店「まんねん亀」が運営する「和洋Restaurant・三井俱楽部」となっています。

旧門司三井俱楽部の2階は有料展示室として使用されていて、「アインシュタイン
メモリアルルーム」&「林芙美子記念室」となっています。(入場料:大人150円)
これらの施設に展示されている資料やパネルを丹念に見て回ったりでもしたら、ここでも軽く2時間は過ごせそうです(笑)  

f:id:marronkun172:20220418042351j:plain
2階の窓から外を眺めると旧三井物産の建物が見えます。平成のレトロ観光開発事業によって、職場のすぐ近くに会社の保養所ができました!?(2021年6月28日撮影)


ここに来れば、あの懐かしの男性用小便器にも出会えるぞ!(2021年6月28日撮影) 

f:id:marronkun172:20220418042546j:plain
       庭園から門司港駅を見渡します。(2021年6月28日撮影)

f:id:marronkun172:20220418042638j:plain
 この庭園からはまた旧大阪商船ビルの背面が観れます。(2021年6月28日撮影) 

この建物のさらに面白いところは、ドイツ風情な洋館の後ろに日本風の平屋の家屋が付属しています。ちなみに、日本家屋の部分は一般公開はされていないようです。 

      ※なお、この画像はWikipediaの記事の中にあったものです。

それにしてもですが、この建物がここに移転される前の昭和の時代は、この区画にはいったい何が建っていたんでしょうね?・・・「わたし、気になります!」    
        

f:id:marronkun172:20220418042700j:plain
       こちらは自分が撮った画像です(2021年6月28日撮影)

ところで、付属の日本家屋の方は、厨房や女中の詰所になっていたんですかね!? 
洋館の方を訪問して正面の玄関の扉を開けたら、このお二人が出てきそう???       
    
           サヤさん          恋ちゃん

(2022年5月6日追記)
当該区画の昭和の土地利用について「門司港 古地図」で検索をかけてみたら、簡単に見つかってしまいました(笑)

旧大阪商船ビル

この建物は同志社大学の校舎みたいな外観をしていますが、それにしても、なかなか見応えのある建築物ですね!f:id:marronkun172:20220418042809j:plain
一見レンガ造りのように見えますが、建物の赤茶色の部分は近くで見るとタイル貼りになっています。(2021年6月28日撮影)

1階は有料の施設となっている「わたせせいぞうギャラリー」(入場料:大人150円)の他、入場無料のアートギャラリー、カフェなどが入居しています。また2階は多目的ホールとなっており、こちらは一般には公開されていません。

          
           建物入口の重厚な造り(2022年4月30日撮影)

          f:id:marronkun172:20220418042918j:plain
ここはプロムナードデッキみたいな場所ですね。この建物は旧門司三井俱楽部のように洋館の内部を堪能することはできませんが、こういう空間があるのはいいですね。そう言えば、ここはもともとは大阪商船ビルなのでした。(2021年6月28日撮影)

           f:id:marronkun172:20220418043139j:plain
ここは無料のスペースに属する場所ですが、わたせせいぞう氏の作品がさりげなく
飾られています。(2021年6月28日撮影)

    f:id:marronkun172:20220418042954j:plain
  これは大阪商船の広告ポスターのようです。レトロなムードに溢れています。      
  なお、ここでは金庫破りゲームが楽しめるようです。(2021年6月28日撮影)    


わたせせいぞうギャラリー」でポストカードを購入しました。左は令和に生まれ変わった門司港駅で、右は建物前面に大きな庇(ひさし)が付いているので、平成まで存在していた駅舎です。門司港カップルで観光される方たちも多いです。おれには関係ないけれど。。。(2022年4月24日撮影)


〇跳ね橋「ブルーウィングもじ」

旧大阪商船ビルは観光的な要素がメインでした。好事家で「趣味の人」のような珍客が見学したがる要素には乏しい感じなので、あの建物は30分ほどで脱出が可能です。


旧大阪商船ビルを出てから、ホームリンガ商会の建物(1962年[昭和37年]竣工)とプレミアホテル門司港の建物(1998年[平成10年]竣工)の間を通る道を抜けると、岸壁エリアへと出ます。(2022年5月1日撮影)


旧大阪商船ビルを出て、そこから歩いてきた道を岸壁エリアの地点から振り返ってみると、こんな様子(2022年5月1日撮影) 

岸壁からは関門海峡が広がり、向こうに関門橋が見渡せます(2022年2月27日撮影)


      「旧門司第一船だまり」の説明案内板(2022年3月12日撮影)

左手に関門海峡関門橋を眺めながら岸壁に沿って行くと、跳ね橋「ブルーウィングもじ」にやって来ます。
           
俗説によれば、この跳ね橋は”恋人の聖地”とされているらしく、恒常的な人口減少と若年層の流出、それと高齢化が同時に進行している北九州市では「産めよ増やせよ」の政策にも積極的なようです???(2022年4月30日撮影)


そう言えば、2022年2月27日にここを訪れた時、ちょうど山型の形になった跳ね橋が
元の状態に戻るところでした。

そこから通行可能な状態になるまでの数分間に両岸の袂(たもと)には通行待ちの
観光客がそれなりの人数集まった状態になるので、橋が渡れるようになると、現場の係員の指示に従って両岸にいる観光客は右側通行で行き交うことになります。

そして自分も人々の流れにしたがって、ぞろぞろと右側通行の列に混じって橋の上を
一人で歩いていると、目の前の方では若いカップルが手をつないで、幸せそうに
ちんたらちんたら歩いているわけですよ。。。

「腰に手を回しているわけでもないから『オレたちヤりまっくてます』をパラ言語で
周囲に見せびらかしているというわけではない。どちらかと言えば、何故だか彼らの姿が、むしろ生気に満ちて爽やかな光景にすら見える。だけど、それにしても・・・いいなー、いいなー、うらやましいなー! ああ、羨ましい、羨ましい。。。」

背後から彼らの姿を一人眺めていると、正直そんなことを考えてしまうわけですが、
しかし、そろそろこのへんで自分も、もういいかげんに悟らなければならない。

「自分の幸福だけを願うよりも、人々の幸福を願える者にならなければならない。
俺は〈最大多数の最大幸福〉の増進に寄与できる人間にならなければならない。
そ、そう、そうなのだ。そうでなければならないのだ!」(←覚醒!?)

f:id:marronkun172:20220418044038j:plain
前略。橋の上より。――ここで不覚にも図らずして、人としての然るべき道を悟ったところで、次の目的地(旧門司税関、大連友好記念館、門司港レトロハイマート)を橋の上から眺めます。(2022年2月27日撮影)  

f:id:marronkun172:20220418043355j:plain
両側の岸辺から上がって開いて山の型へと変形を完了した跳ね橋は、その状態から
元の橋の形に戻るまで約8分を要するそうです。(2021年6月28日撮影)


旧門司税関

自作の「行程表」によれば、次の目的地点となる、旧門司税関です。
2階建ての低層建築物ですが、レンガ造りの壁面が美しく、眺めていて壮観です。

  思わずレゴで作ってみたくなるようなレトロ建築!?(2022年4月30日撮影)    

旧門司税関の建物内部は無料で見学できます。1階には税関の広報展示室、フルーツパーラーが入居している他、市民ギャラリーなどにも利用されているようです。
2階は中央部分が吹き抜けとなっていて、内壁に沿った床部分が休憩スペースとして観光客に開放されています。
f:id:marronkun172:20220418043530j:plain税関広報展示室です。意外な発見があるかもしれません。特に国家公務員になりたい人はたち寄ってみるとよいでしょう。(^o^)(2021年6月28日撮影)

f:id:marronkun172:20220418043608j:plain  
 お薬の種類にも詳しくなれそうです。よかったな!(^o^)(2021年6月28日撮影)  

この建物は外観には素晴らしいものがありますが、内部の方は旧門司三井俱楽部とかと比べると、中身に乏しい印象です。
当時の部屋の様子を今に伝える物件というのがレンガ積みの壁面のみで、――しかしこれは、明治の頃から当時のままずっと残されているものかもしれないので、無類のレンガ好きには楽しい場所のように思われます。

天井の方を眺めてみると、現代の技術を駆使して延命治療を施している様子がよく分かります。建築家や大工さんになりたい人たちは、旧門司税関の建物を内部までよく見学されるとよいでしょう。(^ω^)

          f:id:marronkun172:20220418061128j:plain
 うーん、まったく見事に素晴らしく、美しい壁だ。(´ω`)(2022年2月26日撮影)

 

北九州市大連友好記念館

これはまたレトロ建築の粋を集めたような構造をしていますが、この建物は「北九州市により整備された、歴史的建造物の複製建築物」というのが実の姿です。
竣工は1995年(平成7年)で、今年で築27年となるわけですが、レトロな建造物からすれば、築浅な物件とも言えそうです。

建物の内部は1階が中華料理店、2階が休憩スペースとして一般に開放されています。
お食事&休憩ができる場所で、トイレもあります。観光地にある市営のレストハウスと言ったところでしょうか。

f:id:marronkun172:20220418044136j:plain  
     こっちの方はまた、難易度の高いレゴ!?(2021年6月28日撮影)

    建物の正面玄関の扉を開けると、この子たちが出迎えてくれそう??? 
           
              ココアさん   チノちゃん ティッピー

f:id:marronkun172:20220418044154j:plain
小ぢんまりとした瀟洒(しょうしゃ)な洋館で、外観は複雑な形状をしています。
「こんな家に住んでみたい!」と思っている人は、住宅ローンを150年くらいで組めば、個人でも建てられるかもしれません。知らんけど(笑)(2021年6月28日撮影)  

f:id:marronkun172:20220418044702j:plain
2階の休憩スペースは飲食禁止となっています。空調が完備されています。特に夏場の熱中症対策、普通に観光で歩き回った後の水分補給、また旅行の行程を突如見直す必要が生じたとか、お土産品を整理する時などに便利です。(2022年3月12日撮影)   


このへんの土地利用も昭和の頃はどうなっていたのか、「わたし、気になります!」の対象となりそうですが、それはさておき、大連友好記念館の庭には桜の木が何本も植えられていて、桜の時期になるとお花見の名所にもなりそうです。

しかし、ここに植えられているのはソメイヨシノではなく八重桜のようなので、4月の下旬になってもお花見ができてしまいます。

半ば葉桜になっていますが、八重桜は山桜で、ソメイヨシノにはない野趣が魅力的
とも思われ、むしろ葉桜の方が風情があるかもしれません。(2022年4月24日撮影)

 

路面電車「ワンマン(ボギー)車100型」

これは2022年2月26日(土)の話です。

大連友好記念館を出たのが13時40分。10時半ごろに門司港駅を出て「門司港レトロ」の観光を開始してから、すでに3時間以上が過ぎました。

この日は大連友好記念館から門司港レトロハイマートの横を通り過ぎて、次に路面電車が保存されている場所まで進みました。
路面電車が保存されている場所は、大連友好記念館から歩いて3~4分ほどの駐車場
付近に位置して、そこは「門司港レトロ」の観光地エリアからはそろそろ外れるか外れないかくらいの微妙なゾーンとなっているように思われます。f:id:marronkun172:20220418045007j:plain
この路面電車の存在は2021年6月に知りましたが、この日は電車の扉が開いていて、車内に入れるようになっていました。(2022年2月26日撮影)

           f:id:marronkun172:20220418045041j:plain
いざ電車に乗り込んだところ、天井には「シチリアレモネード」の吊り広告が車内の前方から後方までずらりと並んでいました。(2022年2月26日撮影)

       
6月に来た時は「シチリアレモネード」の広告は、てっきり昭和の懐かしの飲料だとばかり思っていました。。。(^^;(2021年6月28日撮影)

しかし、電車の中に乗車してから吊り広告の羅列を目の当たりにすると、「これは
どうも店舗の一部なのではないか?」と思われたので、スマホで車内の様子を撮影するとすぐに電車から降りて、今度は車体の方に掲げている広告をよく見ると、トレードマークのデザインが何だかすごく今っぽい。。。
振り返ると、車道を隔てた向かい側の整備の行き届いてそうな空き地に、同じトレードマークを掲げたキッチンカーが営業しているのを見つけました。それが「シチリアレモネード」の店舗でした。

「アイスでもホットでも、今はレモネードっていう気分じゃないんだよねえ~。これは明日にでも行ってみよう!」 
そう考えて、26日の時はスルーしました。

次の日(27日)の昼頃に再び同じ場所に来ると、電車の扉は閉まっていて、キッチンカーも昨日と同じ場所に停まってはいましたが、営業はしていませんでした。

それから門司港を訪れる度に、この場所には必ず足を運びましたが、しかし「路面電車の車内でシチリアレモネード」は未だ実現されていません。。。

シチリアレモネード」のキッチンカーが停まっていた空き地はGoogleマップでも見ていましたが、いつの間にかそこには「もじこう電車前広場」という名称が付けられていました。またさらに最近になって「もじこう電車前広場」はInstagramのアカウントも開設したようです。
インスタ情報によると、2022年5月14日(土)に「もじこう電車前広場」のオープニングイベントが開催される予定だそうです。楽しみにしています。(^ω^)

 

門司港レトロ展望室

「おれは高い所が好きー!!」ということで、ここはよい所だ (^o^)

竣工は1999年(平成11年)で、今年で築23年ということになります。大連友好記念館よりも4年ほど築浅の物件となっています。いわゆる、タワーマンションです。

          f:id:marronkun172:20220418045236j:plain
門司港レトロ展望室は門司港レトロハイマートの31階にあります。高さ103メートルから門司港の街並みや関門海峡が見渡せます。(2021年6月28日撮影)

f:id:marronkun172:20220418045515j:plain
明治時代の偉い人たちは「ここは開港の場に適している」と判断して意思決定して、それが門司港の街のはじまりなのでした。山が迫って平地が少ない海岸線は、港町に共通している特徴なんですかね?(2021年6月28日撮影)

f:id:marronkun172:20220418045603j:plain
高さ103メートルの地点から眼下を見下ろすと、旧門司税関と大連友好記念館の建物がミニチュアのように見えてきます。さらに街路や植樹なども含めると、レゴタウンのように見えてしまいます!?(2021年6月28日撮影)


別の方角からは、第2船溜まりや門司港レトロ観光線の様子、関門橋などを眺望することができます。(2022年2月27日撮影)

f:id:marronkun172:20220418061425j:plain
この写真の撮影データは[2022/03/12/ 16:56]となっています。
黄昏時のまばゆい光景の真ん中に旧大阪商船ビルのあの建物が位置すると、何故だか「黄昏の帝国」のイメージと重なってしまい、旧第一船溜まりのゆらゆらとかすかに揺れる水面とともに戯れる斜陽の光。
この時はたぶん、この何やらアンニュイなムードさえ湛えた、得も言われぬ神秘的な光景に思わず心奪われてシャッターを切ったはずですが、安物スマホのボロカメラで逆光の景色を撮影すると、撮る人の腕前も確かにあるとは思いますが、ざっとまあ、こんなもんです。。。(^^;(2022年3月12日撮影)

f:id:marronkun172:20220418061806j:plain
この写真の撮影動機というのは、もしかして門司港レトロの街並みを背景に従えて、じーも君を撮りたかっただけ???(2022年3月12日撮影)

 

門司港名物「焼きカレー

これは個人的な味覚にもよるとは思いますが、門司港名物「焼きカレー」については個人的な感想では、「驚くほど美味しい」というほどではないにしろ、「納得のいく美味しさ」であるとは思います。
もっとも、こうした感想も、例えば、20世紀の論理哲学の天才哲学者ヴィトゲンシュタインは、イギリスのとある民宿に宿泊した時、宿屋の主人に宿泊中の食事について「朝はオートミール、昼は野菜、晩はゆで卵1個」という注文を出したらしく、さらに極端なことを言えば、丸一日水だけで過ごした後だとか、そういう条件の下で門司港の「焼きカレー」を喫食すれば、これはまさに「とびっきり美味しい!」ということになるのでしょう。

ここで前もって言っておくと、門司港名物の「焼きカレー」は、自らを食通と称するグルメリポーターに舌鼓を打たせる一品というよりは、むしろ家族連れや友達連れ、カップルなどの門司港を観光に訪れたお客さんたちに「美味しい思い出を作ってもらいたい」 そういった趣旨で提供されるメニューであるように思われます。

ところで、門司港名物「焼きカレー」の基本的なスタイルは「カレーライスに生卵を落として、そこにチーズをのせてオーブンで焼く」というものだったと思います。
カレードリアとはゆめゆめ混同すること勿(なか)れ。まろやかでほんのりとスパイシーな、それでいて、カレーライスやライスカレー、カリー&ライスとはまた一線を画する門司港名物「焼きカレー」・・・まあ、そういったところでしょう (^ω^)

そもそもカレーライスは日本の国民食であって、そこで門司港焼きカレーについて言えば、これは小さなお子様からお年寄りまで老若男女を問わず幅広い層に受け入れやすいように作られているものと思われます。そしてきっと、どの店もそれなりに美味しい。・・・たぶん、そこが人気の秘訣なのでしょう。

f:id:marronkun172:20220418050359j:plain
私的な門司港焼きカレー」デビューは「BEAR FRUITS」さんでした。
「グラタン&ドリアあるある」な話にもなりますが、表面の焼き目や容器の周縁に
できたおこげがまた美味でした。
これはただの余談ですが、この日に訪れた時は店員に、なぎちゃんこと青山なぎさ似の女の子がいて、そのことが妙に印象に残りました(笑)(2021年6月6日撮影)

f:id:marronkun172:20220418050426j:plain
現地で食べた門司港焼きカレー」の第2弾は「伽哩本舗 門司港レトロ店」で、この日は牡蠣の焼きカレーを注文しました。この時はコロナ禍のためアルコール類の提供は自粛になっていましたが、この品は出来ればビールと一緒に飲食したかった。。。それでも美味しくいただきましたが(笑)(2022年2月26日撮影)

それで余談になりますが、どちらのお店も個人的な審美眼によれば、ホール係を担当している女の子たちがとても可愛らしかったという記憶があるわけですが、ここで「外食」という事象についてよくよく考えてみれば、これは単なる摂食ではなく喫食に属する事柄で、それはつまり、五感や悟性の肉体的・心理的な双方の認識作用によって体験される綜合的な行為ということでもあります。
それらを踏まえて総合的に判定してみると、いろんな意味において、門司港の現地で味わう「焼きカレー」というのは、やはり美味しい逸品なのだと思います。

 

⑦ 北九州銀行レトロライン「潮風号」

ここでまた2022年2月26日(土)の話になります。

「伽哩本舗 門司港レトロ店」の焼きカレーを堪能して店を出たのが15時10分。そこから門司港駅まで歩いて、次は九州鉄道記念館でも見学しようかと、そっちの方向に歩いて行きました。

門司港駅のロータリーの方に向かう出口から九州鉄道記念館まで行く途中には、門司港レトロ観光線九州鉄道記念館駅があります。
その途中を歩いていると、ちょうど観光トロッコ列車九州鉄道記念館駅に停車中でした。観光トロッコ列車は「北九州魅力満喫パスポート」が利用できる対象でした。ちなみに、これまで門司港の観光トロッコ列車には乗ったことがありません。

「お、あれは!」

これは15時20分の便だったのかな、「迷わず乗ったら PARTY PARTY TRAIN to go! 意外なひとがそばにいた?」・・・そんな感じで「よし乗るぞ。オウ、乗るぞ!」

ここでは即興的な行動に出たので、写真を撮っている余裕とかはなくて、とりあえず、トロッコ列車に乗車して揺られました。その場面が撮れなかった代わりとしては何ですが、平成筑豊鉄道のサイトにあった画像でも貼っておきましょう。(^^;

         
トロッコ列車は主に家族連れで満席となって、乗車率150%くらいにはなったんですかね? 世俗的な幸福とは縁の薄い哀れな中年男としては、こんな列車に乗ってしまったら、ここにいるすべての人たちの幸福を願う他は車両の隅の方に立ちながら車窓の景色を鑑賞するしかない。とはいえ、それでもそれなりに楽しめました。(^^♪

  
  何と言うか、子どもたちの、こんな感じの気持ちを大切にしたいと思います。

  

f:id:marronkun172:20220418045943j:plain
  それで、終点の関門海峡めかり駅はこんな様子でした。(2022年2月26日撮影)

f:id:marronkun172:20220418045812j:plain
関門海峡めかり駅の近所には、かつて関門トンネル専用の車両として下関~門司間で活躍したステンレス車体電気機関車EF30&チョコレート色の旧型客車(たしかオハフ33だったか?)が保存されていました。(2022年2月26日撮影)

関門海峡めかり駅から何を思ったのか、海岸沿いの遊歩道を歩いて行きました。歩行の途上で「関門橋の下まで行ってみたい」と思うようになりました。歩きだして15分くらい経った頃だったか、和布刈(めかり)神社に到着しました。そして、この光景を目の当たりにして、もしかすると、この場所に呼ばれてたのかな??? 
ここは何だか神々しいです。神秘です。(2022年2月26日撮影)

  
最後に後日談を少しほど。この画像はトリミングを施してありますが、そんなことは気にしないで、それで何が言いたいかというと、後日になってから自分なりに納得のいく「潮風号」が撮れたと思います (^^♪(2022年4月30日撮影)  

なお、北九州銀行レトロライン「潮風号」は、このような編成で運行されています。 

    
   ※この画像は、平成筑豊鉄道のサイトからのものです。念のため。

今回の記事は以上です。次回は門司港の街についてさらに、JR門司港駅九州鉄道記念館、三宜楼、門司港中心市街地を縦断して清滝地区まで、などを話題にしながら語っていきたいと思います。
今回の記事はまた、ずいぶんと長ったらしくなってしまいましたが、次の記事はもっとシンプルな内容にしたいと考えています。反省です。(^^;

それでは皆さん、ごきげんよう(^o^)/