【鉄道模型】【Nゲージ】懐かしの昭和★国鉄時代★★憧れのブルートレイン★★★寝台特急「彗星1号」「彗星2号」で眩耀夜行(げんようやこう)!?の回

全国5千万の村人の皆さん、こんにちは(^o^)

今年の夏は9月の終わりまで残暑が続きましたが、10月に入ると突如として秋らしい気候へと急変して、今はすっかり秋晴れの好時節となりました。それはつまり何と言うか、ああ、男心と秋の空(←意味不明)

「今年は猛暑だった」ということでトマトが高騰しましたが、そろそろ落ち着いてくれるんですかね?

さて、今回の記事は前回の続きみたいなもので、ここでもNゲージの話題です。

そう言えば、蓮ノ空1stライブツアー福岡公演の最速先行抽選の申し込みの結果はDAY1・DAY2ともにチケットを
用意してもらうことができたので、10月21日と22日は2021年12月に開催されたLiella!の1stライブ福岡公演以来の現地参加となりました(^^♪

ライブの会場は西日本総合展示場 新館で、ここはコロナ禍直前の2020年2月下旬に開催されたCYaRon!(シャロン)の1stライブ以来です。
CYaRon!の時はキャパ推定1万人規模のライブでしたが、今回の公演は推定5,000人くらいだったと思われます。

同じハコで以前よりも収容人数は約半分、さらに今回はセンターステージまで設営されて、そのようなところから会場対観客の顧客満足度は格段に向上したものと、個人的な所見では、そのように確信しております。
よくがんばりました!(^ω^)  お花丸です💮💮💮

3時間弱の公演時間でしたが、なかなか密度の濃い素晴らしいステージだったと思います。

殊にDAY1では、かなり良い席に当たって、出演者のキャストメンバーをかなり近くで拝むことができました。
皆さん、画像や映像で見た時よりもずっと可愛くて美人でした(⋈◍>◡<◍)。✧♥♥♥
これはつまり「花咲く乙女たちの~♪」というか、たまりませんなあ!(≧▽≦)

おかげさまで、とても楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございます!(^^)b

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それでは、このへんで本題に入りましょう。

今回の記事の主役となるのはこちら、 寝台特急「彗星」号です。わざわざ英語に訳せば「コメット」号ということになります。
         A.客車寝台特急の「彗星」号      B.電車寝台特急の「彗星」号

ここで念のために言っておくと、実車でこれらの車両が使用されていた列車については、客車の方は他にも「あかつき」や「明星」、電車の方では寝台特急の「金星」「なは」「明星」あるいは昼行のエル特急有明」「雷鳥」といった選択肢もあるわけですが、日豊線沿線の住人としては、ここはやはり「彗星」です(笑)

ところで「エル特急」というのも、今となっては懐かしい呼び名ですね(^ω^)

実車寝台特急「彗星」号の詳しい内容については、Wikipediaにある記述を参考にされるとよいでしょう。

ここで登場するNゲージ模型の客車と電車の双方の製品情報は以下のとおりです。

A.客車寝台特急の「彗星」号
TOMIXNゲージ 98638 24系25形0番代 特急寝台客車 カニ25 セット 7両 
TOMIXNゲージ 98803 国鉄 24系 25 100形 増結セット
※牽引機は【KATO】 Nゲージ 3013-1 ED76 0 後期形 2020年ロット を使用

B.電車寝台特急の「彗星」号
【KATO】Nゲージ 10-1354 581系 基本 7両セット
【KATO】Nゲージ 10-1238 583系 モハネ 増結 2両セット
【KATO】Nゲージ 10-1239 583系 増結 3両セット

また、これら双方の列車の編成図についてはTOMIXとKATOのそれぞれの公式サイトで確認することができます。

A.客車寝台特急の「彗星」号の編成図(「鉄道模型 トミックス 公式サイト」から引用)                  

この「24系25形0番代 特急寝台客車 カニ25 セット」は、24系25形0番代の客車が6両に電源車1両(カニ25)を
加えた合計7両のセット内容となっています。

そして、この製品で特筆すべきは、電源車に「カニ25形」を起用していることであって、模型の作り込みにおいてもなかなか素晴らしいものがあったりして、これはたまりませんなあ!(≧▽≦)

                         ※画像の引用元「鉄道模型 トミックス 公式サイト」より

実車の話で言うと、24系寝台客車は給電設備を持たない車両なので客車内への給電用に電源車が連結されることになるわけですが、一般的にはカニ24形やカヤ24形などの車両が連結されていました。

このあたりの詳細については、Wikipediaの記事に目を通されるとよいでしょう。

さて、Wikipediaの記述によれば「カニ25形」は20系寝台客車の電源車に使用されていたカニ22の改造車で、
1975年3月10日の山陽新幹線博多開業による白紙ダイヤ改正の頃に爆誕して、それから1984年までのわずか10年足らずの間だけ存在していた車両です。

大阪と九州間を結ぶ寝台特急「あかつき」「明星」「彗星」の各列車に連結されていたようです。

余談ですが、どこかのサイトの記事で見たうろ覚えな記憶によれば、この車両は「伝説の珍車」「幻の珍車」などとも呼ばれていたようです(笑)

24系25形の寝台客車に20系用の電源車を魔改造した車両を連結させるという、これは結局のところ、国鉄時代の
ほんの一時期にごく一部の列車の間で実施された極めて特殊な事例であったわけですが、そういった特殊な車両をまた鉄道模型で製品化してしまうという……。

TOMIXさんも、これまたずいぶんとニッチな需要に応えたものですね!(^o^)

なお、公式サイトの情報では「24系25形0番代 特急寝台客車 カニ25 セット」の発売月は2018年5月で、価格は18,480円(税込)となっています。

自分は1年ほど前にこのセット(新品)をamazonで19,200円(税込)で購入しました。

参考までにTOMIXさん公式サイトのリンク先を貼っておきましょう。

次に電車寝台特急の方について見てみましょう。

B.電車寝台特急の「彗星」号の編成図(「KATO鉄道模型ホームページ」から引用)

自分の所有する編成は上の図にある「■581系 /583系 編成例」の下段の方に該当します。

それで、、、それでですね、自分はKATOの581系の基本セットや583系の増結セットを今年の3月に購入したわけです。どれもamazonで購入しました。購入金額の内訳については次の通りです。

581系 基本 7両セット:23,990円
583系 モハネ 増結 2両セット:8,319円
583系 増結 3両セット:5,170円      
・12両分の合計:37,479円

これらを購入した後になってから、KATOより581系(スリットタイフォン)基本7両セットが発売されることを
知ることになりました。

                           ※画像の引用元「KATO鉄道模型ホームページ」より

ちなみに、この商品はメーカーの出荷日が4月20日となっていて、3月の終わりくらいだったか、「でじたみん」の楽天市場店では、581系(スリットタイフォン)基本7両セット&増結セットの抱き合わせ販売による完全無欠の12両セットが25,000円くらいで予約を受け付けていました。。。(^^;

自分が購入したのはオリジナルの開閉式タイフォンの仕様となりますが、しかしながらこのことを機に、鉄道模型の車両を購入する際は製造元の新製品情報をこまめにチェックしておいた方が良いと考えるようになったので、
ここにKATOさんの公式サイトのリンク先も貼っておきましょう。

実車581系 /583系電車は「日本の鉄道ファンのみんなが大好き!」と言っても過言ではなさそうな根強い人気を誇っていた車両だったと思います。              

昼は座席特急、夜は寝台特急という昼夜兼用の機能を備え、日本が高度経済成長期にあった1967年に華々しいデビューを飾った581系でしたが、その後、日本の鉄道を取り巻く社会環境も変化して、90年代になった頃には、もはや時代の要請に合わない車両となってしまいました。

最後まで残った6両編成の1編成が2017年4月に引退して、実物の車両については現在では、博物館の標本で見学することができるのみとなりました。。。

さて、次の画像は『時刻表 1978年 10月号 復刻版』(JTBムック)から引用したものですが、寝台特急「彗星」号の電車と客車のそれぞれの編成について記載されています。

ここに「客車[彗星5号][彗星2号]新大阪↔大分」というのがありますが、この列車の電源車にカニ25形が使用されていました。

今回の記事の最初の方にNゲージ模型の客車と電車が並んだところを撮影した画像がありました。

まず客車の方について言うと、カニ25形はテールランプを点灯しており、これは編成の最後尾の車両であることを意味しているわけで、上の編成表に従えば大分発・新大阪行きの「彗星2号」であることが特定できます。
そうなると、客車と並んでいるヘッドライトを点灯した581系電車の方は新大阪発・宮崎行きの「彗星1号」であると自動的に決まってしまいます。


この書籍は自分も購入したわけですが、最初に現物を見た時に「当時の時刻表ってこんなに薄かったっけ? もしかして、これはダイジェスト版なのかい!?」などと思ってしまいましたが、それは当時の旅館やホテル等の宿泊施設の情報や広告を掲載したページが全件ごっそりとカットされているからなのでした。

これは最近のことですが、YouTube鬼怒川温泉の廃墟ホテル群の様子を撮影した動画を視聴したことがあって、「1978年の頃にはこの界隈もずいぶんと繫盛していたんだろうなあ。」とか想像を膨らませると、何だか切なさで胸が熱くなってしまいます。

諸行無常の掟、盛者必衰の理、栄枯盛衰の輪廻に翻弄される衆生の営みよ……。

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電源車にカニ25形を連結した24系25形客車の寝台特急、大分発・新大阪行き「彗星2号」は、今では個人的に大変に思い入れのある列車、いわば「思い出のブルートレイン」となっています。

しかし、この少年時代の思い出がはっきりと鮮明に自覚されたのはつい数年前のことであって、それは子供から
大人になり、やがて青年からおっさんになっていくうちに、その紆余曲折の人生において様々な経験を積みながら時を経ていく中で、次第に心の奥底の方へと埋もれていってしまった記憶の欠片(かけら)なのでした。

それまで、すでに忘れ去られそうになっていたような記憶でしたが、それが突如として自覚されるに至ったのは、この楽曲に出会ったのがきっかけでした。

昭和89年11月の新譜となる昭和アイドル歌謡と演歌歌謡を折衷したような曲調が印象的な楽曲ですが、この曲の
タイトルは程なくしてカール・ブッセ作・上田敏山のあなたという詩に連絡することになりました。

山のあなた

山のあなたの空遠く
さいはひ」住むと人のいふ。
ああ、われひとゝめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
さいはひ」住むと人のいふ。

ここで余談です。

この詩の中にある「われひとゝ」という語句について、個人的には「自分も他人も誰もが」という意味に解釈しましたが、中には「私は誰かと一緒に」と解釈される方もおられるようです。

ただし、これは法令の解釈や論文の読解とかではなく詩の鑑賞なので、鑑賞者の心情に寄り添うものであれば、
それが最も良いことだと思います。

こんなことを言うと、なるほど、この詩はメーテルリンクの『青い鳥』と重なる解釈もできそうです。

ここではまた、こんなことを考えたりもしました。

「快楽は官能であって実体があるが、幸福は観念であって実体がない。快楽と幸福との区別がつけば、虚構の世界が実在することによって人は幸福に近付くことができる。ゆえに人間は虚構の世界を必要とする。」

それはさておき、山のあなたに続いて、次はプルースト失われた時を求めてという小説に連絡することになりました。


ちなみに、この小説は集英社文庫ヘリテージシリーズ版では全13巻を以って完結に至るわけですが、その文庫本の第1巻(第一篇・第Ⅰ部)を読み終えたところですでに8年ほどの歳月が流れてしまいました。。。(^^;

しかしながら、第1巻だけを見ても、物語本編の後には本作品全編のあらすじや登場人物に関する資料などが収録され、巻末にはエッセイ 松浦寿輝プルーストから吉田健一へ」といった付録もあって、ずいぶんと読みごたえのある内容となっています。

またこの一冊の文庫本を読んでいて気付いたのは、ここには個人的な人生最大の関心事である「イデアと実存」の探求にとって有益な記述が豊富で、これは大変に有意義な読書体験となりました。ごっつあんです(^ω^)

例えば「意志的想起無意志的想起」「現在的(アクチュエル)なもの現実的(レエル)なもの」といった概念は個人的にとても参考になるものと思われました。

ついでながら、ここで前回の記事に登場したプルーストの美学」の引用元となった書籍についても紹介しておきましょう。

さて、以上に挙げた一連の作品との出会いは2014年の11月下旬から12月上旬くらいの間に起きた出来事でしたが、ちょうどその頃、ブルートレインの生き残りで最後の1本となった寝台特急北斗星」が2015年3月で定期運行を
終了する、といったニュースをネット上のどこかの記事で目にしました。

参考までに当時の「乗りものニュース」の記事でも貼っておきましょう。

今の時代となっては「ブルートレインって何よ?」と思われる方もおられるかもしれません。日本における「ブルートレイン」の概要や歴史の詳細などについては、これもWikipedia先生に教えてもらいましょう(^o^)

Wikipedia先生の記述によれば、今回の記事の主役となる電車寝台特急「彗星1号」と客車寝台特急「彗星2号」については、電車の方は「ブルートレイン」には該当せず、客車の方は該当する、ということになりそうです。

エル特急」はすでに死語になったものと思われますが、「ブルートレイン」もそろそろ懐かしい響きになりつつあるんですかね???

自分が少年だった数十年前は「ブルートレイン」といえば国鉄優等列車の中でも花形な存在で、特に東京~九州間の寝台特急「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」「あさかぜ」それと東京~山陰方面を結ぶ「出雲」などは国鉄の花形列車のエースとも呼べそうな地位に君臨していたわけですが、これらの寝台特急も2000年代には全て姿を消してしまいました。。。

なお、その後になって「さくら」「はやぶさ」「みずほ」は新幹線の超特急列車の愛称名へと転生した模様。

それはさておき、2014年の晩秋から初冬にかけての人恋しくなるような季節に「北斗星」や「ブルートレイン」に関連するニュースを見て、「ブルートレインの時代もここで終わってしまうのかあ。」と、少し寂しいようなしんみりとした気持ちにもなったわけですが、しかしその一方で、そういったニュースを見れば、反射的にブルートレインやその他の夜行列車に関係した個人的な体験についても想起してしまうのが自然な流れというもの(笑)

――寝台特急北斗星」は自分も乗車したことがあります。あれは2007年5月のゴールデンウィークが過ぎた後の頃で、札幌から上野まで上り方面の列車に乗車しました。

その時は運よくA個室寝台(ロイヤル)の寝台券を取ることができました。そして同列車に連結された食堂車「グランシャリオ」でディナーやパブタイム、朝食などを満喫して、さらに記念品にと「北斗星」のチョロQを購入してしまったのでした。

札幌から上野までの運行時間は16時間くらいだったと思いますが、しかしそれでは何だか物足りない、もっと乗っていたいような気もして、「北斗星」の乗車体験は、ぼっち旅ではありましたが、それなりに楽しい夜汽車の思い出となりました。

ただ、車内の設備については「この車両も20年くらい頑張ってきたんだからな。そろそろガタがきてんのかな?」とか思ったりもして。。。

ところで、個人的には2007年5月に「北斗星」に乗車して以来、今日に至るまで夜行列車に乗車するような機会は結局のところ一度もなかったりして、もしかしたら「北斗星」が人生最後の夜汽車の旅になってしまうのかもしれません???

人生物心ついた頃から鉄道好きな人種だったということで、ブルートレインおよび夜行列車の類にはそれなりに
乗車してきた方だと思いますが、楽しい、懐かしい思い出として2014年の当時あるいは今も印象に残っている列車というのは、正直言うと、数えるほどしかないように思います。。。

鉄道旅行での楽しい思い出は、実を言うと、昼行列車の方がいろいろと思い浮かぶような気がします。

余談ですが、これはもしかしたら人類共通の傾向なのかもしれませんが、過去の自分の人生について思い返すと、たいていの場合は後悔の念や罪責の念、あるいは恥ずかしい思いにかられたり、無性に腹立たしくなってきたり、そんなふうになってしまいがちなようにも思われます。。。(^^;

――そして一方では、夜行列車の個人的な乗車体験の記憶について言うと、中には全く楽しいものでなかったにもかかわらず妙に印象に残っているケースもあったりします。

あれは2004年の秋頃のことで、当時、自分はすでに社会人となって京都の方で一人暮らしをしていました。人生に倦み疲れて、精神的に病的な状態にありました。

しばらくの間、いったん京都を離れて実家で療養生活を送ることになって、その後また京都の方に戻る際に、
心に何か思うところがあって寝台特急「彗星」を選択したのでした。

その時の「彗星」は14系15形の車両を使用していて、門司と京都の区間は「あかつき」と併結運転となっていました。車両の老朽化もかなり進行していたものと思われます。

しかしその時に乗車した「彗星」については、自分の精神が不安定な状態だったこともあって、現実に幻滅を覚えてしまう出来事がまた一つ増えたように思われて、結果的に不安や空虚感や苛立ちなどで心がヒリヒリするような感情に苛(さいな)まれることとなったのでした。

寝台特急「彗星」は2005年10月1日をもって廃止されることになりました。

――2014年の晩秋から初冬の頃、当時の自分はこういうことについて回想していたわけですが、しかしそれらの
回想はどれも今の自分とは直接的な関係を持たない、その時の自分からはすでに遠く離れ過ぎ去っていった記憶の断片のように思われました。
そしてひと言、彼はこう呟きました。

「あの時、心に何か思うところがあって、オレはあのブルートレインに乗車したんだった……。」

そこで思いだされたのが「彗星2号」だったのでした。

自宅からチャリで数分で行けるとある駅、たしか20時50分頃――寝台特急「彗星2号」が上り方面行きのプラットホームを静寂を突き破るかのように疾走しながら通過していく光景、しっとりとした深い青色のカニ25形の車体がディーゼル発電機のエンジン音を唸らせながら目の前を通り過ぎていく姿――そんな情景が忽然と彼の脳裏に展開されたのです。

彼が小学5年生だった頃、この「彗星2号」にはずいぶんと魅了されていたようです。

実際にこの列車に乗車できるような機会はありませんでしたが、にもかかわらず、この少年にとって「彗星2号」の情景は、自分がこれから入っていくであろう未知の世界に対する強い憧れ、体の底から湧き上がるような強い喜びのようなワクワク感、そうした気持ちをもって眺められた小宇宙だったのでした。

「かつてはオレの人生の中にも、そうした感情が生きていたんだ!」

2014年の自分はここに来て、この「彗星2号」に対して己の人生における何か象徴めいたものを感じるようになったのでした。

以上、リリーホワイトからブルートレインへと至るこの一連の出来事について、何らかの統合が起こって「これは有機的な連携に昇華させることが可能だ」と、そのような確信を得ると、このことが自分の人生にとって何か大変に意味や価値のある内容を成しているようにも思えたのでした。

それは、しみじみと心に沁みるような深い喜びをもたらしてくれるような体験でもありました。

「暇」と「退屈」の質的な相違はずっと前から認識していましたが、このあたりに来て今度は「記憶」と「思い出」のそれについて実感するようになったんじゃないかと、そんなふうにも思います。

これらのことはまた「単なる生き方」から「本来的な生き方」へと超越するためのヒント、鍵、秘鑰(ひやく)とかになってくれそうな気もします。

2015年の夏あたりから自分も「ブログの記事を作成しては投稿する」ような活動を始めるようになって、
前回の記事にも貼り付けましたが、2016年の暮れにはこんな記事を投稿していました。

この過去記事には次のような作文が掲載されています。

僕は物心ついた頃には、すでに電車や鉄道の施設を見ると異様な関心を示してはキャッキャッと喜ぶような子供でした。この症状の原因については未だ解明されていません。

小学5年生になった頃、僕の所属するクラスに一人の男子が転校してきました。

埼玉からやって来たという彼が、遠く福岡の辺境の地に転校してきて最初に話しかけた相手はM君で、M君と僕とは小学1年生からの友人で、それで転校生の彼とも仲良くなりました。

ここで、M君や転校生の彼を含めて僕たちは5人の仲良しグループをクラスの中で形成することになったわけですが、われわれが一緒になって遊んでいるうちに転校生君は「キハ58」「オハフ33」「クロ481」などといった大変に奥ゆかしい単語を発するようになり、彼の鉄道談話は時には小学生にしてはずいぶんと豊富な知識量だったりするので、そうして、彼がガチの鉄道マニアであることが発覚したのでした。

他の友人たちから彼がどのように見えたか、或いは彼が友人たちをどのように見ていたのかは僕には分かりませんが、少なくとも僕から見た彼は、関心を同じくする同志であり、その道の先達でもあって、それ以来、時刻表の読み方や鉄道旅行術などの実践的な知識を彼から授かることになりました。……

それで、当時10歳だった自分は小遣いで『交通公社の時刻表 1980年6月号』を走る心をもって購入することになったわけですが、たしか500円だったと思いますが、当然のことながら(?)、それはたちまち彼の「座右の書」となって、読みふけっていたら半日は軽く過ぎてしまうほどに非常にエキサイティングな書物であったことが今でも大変に懐かしく思い返されます。

『時刻表 1978年10月号 復刻版』によれば、日豊本線沿線にある彼の「自宅からチャリで数分で行けるとある駅」を停車あるいは通過する優等列車はこんな感じでした。

 【列車名】     【運転区間】        【使用車両】
寝台特急「富士」   東京~西鹿児島      24系25形寝台客車

寝台特急「彗星」 新大阪~大分・宮崎・都城 24系25形寝台客車・581系寝台電車

エル特急「にちりん」 博多・小倉~大分・宮崎・西鹿児島  485系電車
                     (1往復のみキハ82系気動車も有り)

急行「くにさき」   大阪~大分  14系座席客車(これは本来は特急用の客車)
(門司~大阪間は急行「阿蘇」と併結運転)

急行「ゆのか」    博多・小倉~大分       475系電車

急行「日南」     小倉~宮崎          475系電車

急行「日南9・10号」  門司港西鹿児島 12系座席客車と20系寝台客車の混合編成
(宮崎~西鹿児島間は普通列車として運転)

ついでに言うと、優等列車ではない普通列車(いわゆる鈍行列車)については、赤い車体の50系客車、それに茶色や青色の旧型客車などが興味の対象となっていました。

前者は通称「レッドトレイン」と呼ばれ、後者は仲間内で「フルートレイン」とか呼んでいました。

ちなみに、1978年10月2日のダイヤ改正から1980年10月1日のそれまでは、国鉄のダイヤは大体同じような状態だったはず。。。

『交通公社の時刻表 1980年6月号』を愛読書としていた当時の僕ちゃんは、6月から9月末まで、20時から21時までの間に「自宅からチャリで数分で行けるとある駅」に入り浸るようになったのでした。その主な目的は夜行急行「くにさき」と寝台特急「彗星2号」を観賞することにありました。

特に「彗星2号」については、来る日も来る日も殊更に強い憧れをもってホームを通過する姿をしっかりと見届けていたため、あれから長い年月を経た今になっても色褪せることのない強い印象となって、心の目に焼き付くことになったのでしょう。

あの頃の思い出については、自分なりに何だか作品化したいような情念にも駆られ、それで小説らしき作文を創作したりもする始末(笑)

なお、この練習用の作品はしばらく間中断になっていますが、この試みは今後も続くものと思われます。
これは人生最大の関心事である「イデアと実存」の探求なのです(^o^)

カニ25形」を連結した新大阪~大分間の「彗星2号」が存在したのは1978年10月から1980年9月末までの間
でしたが、それと半分くらい時を同じくしてNHK総合テレビでは「キャプテン・フューチャー」というアニメ番組が放映されていました。
Wikipediaによれば「1978年11月7日から1979年12月18日まで52回にわたり放映された」となっています。

このアニメ作品についてはリアルタイムでは特に関心を示すことはありませんでしたが、ここ数年になって、
OP主題歌「夢の舟乗り」とED主題歌「ポプラ通りの家」が、これが思わず琴線に触れて涙をさしぐむような個人的に大変に素晴らしい楽曲であることが再発見されたのでした。

ここではOP主題歌「夢の舟乗り」について採り上げることにしましょう。

「夢の舟乗り」

作詞:山川啓介 作曲・編曲:大野雄二  歌:ヒデ夕樹タケカワユキヒデ

子供の頃は 空を飛べたよ
草に寝ころび 心の翼ひろげ
どこへだって 行けたぼくだった
君を愛した時 忘れてた翼が
もう一度 夢の空
飛ぶことを教えた
どっちを向いても 宇宙
どっちを向いても 未来
どっちを向いても 宇宙
どっちを向いても 未来

男は誰も 夢の舟乗り
少年の日のあこがれ 死ぬ時まで
忘れずに 抱いてるものだよ
君の愛があれば つめたい闇の中
おそれずに くぐりぬけ
明日へ行けるだろう
どっちを向いても 宇宙
どっちを向いても 未来
どっちを向いても 宇宙
どっちを向いても 未来

「君を愛した時」「君の愛があれば」・・・のぞみちゃん、君が僕のキャプテン・フューチャー❤❤❤

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今回の記事で自分が語りたかったことは、ここまで来て概ね語り尽くされたようにも思われます。
これからは画像多め文章少なめでユルく行きましょう(^ω^)

本記事で言うNゲージの「彗星1号」と「彗星2号」ですが、その走行シーンは動画にも記録されています。
それに今年の夏いろの景色も添えて。

1番目の動画のサムネ画像の前面に写っている車両ですが、これはよく写すとこんな感じになります。

さらにパッケージはこんな感じ。あらかわいい(⋈◍>◡<◍)。✧♥♥♥

パッケージの右下には「別売パーツ」の表記があります。車両本体はディスプレイモデルとなっていますが、
これらのパーツを組み込むことでNゲージの動力車として走らせることができます。

🎊「別売パーツ」購入。京阪電車「ユーフォ号」は2023年10月28日未明に晴れて動力車に改造されました🎊

そう言えば、アニメ「響け!ユーフォニアム」は今年の夏に劇場版が公開されていました。
そして来年の4月からテレビアニメ3期が放映予定となっているらしく、おめでとうございます!🎊🎊🎊

余談ですが、このアニメで個人的にお気に入りのキャラは3年生で部長だった小笠原さん❤❤❤
ストーリー上ではすでに卒業・引退してしまいましたが。。。

それはさておき、次の画像は、この記事で言うNゲージの「彗星1号」と「彗星2号」すれ違いのシーン。

『時刻表 1978年 10月号 復刻版』によれば、実車の方では「彗星1号」が岩国駅0:09着 0:10発となって
「彗星2号」が同駅に0:10着 0:11発となっています。

この両列車は山口県岩国駅あたりですれ違っていることが分かります。

この時代は今から思うととんでもなく不便な時代でしたが、その非効率さが色々と味わい深い情緒の源泉に化けたりもして、山陽本線にもこんなに夜行列車が走っていたんですね!

当時は荷物列車とかも走っていましたが、宅配便サービスの普及によって、これもやがては累積赤字にあえぐ国鉄のお荷物となってしまいました。たしか80年代のどこかで廃止されたと思います。(←要検証)

さて、今回の記事もこのへんで最後にしましょう(^ω^)

Nゲージモデルの581系「彗星1号」【KATO】と24系25形+カニ25形「彗星2号」【TOMIX】について、斜め前と正面からそれぞれ撮影してみました。(※【】はメーカー名)

精悍なボディにもエレガントなフォルム。そこはかとなく漂うロマンの気配。たまりませんなあ!(≧▽≦)


重厚な車体にも流麗なフォルム、クリーム色の三本線を纏(まと)った古風にして高貴な深い青色、そして正面外観の愛くるしいマスク……。

懐かしさと親しみの念からうっとりと眺めているうちに思ったのですが、この容貌、心なしか何だか誰かに似てなくもない???

それで、この子には初めて見た時から何だか懐かしいような親しみを感じたりしたんだが、なぜだ?なぜだ?
🐰ライブ、現地でお会いできて大変に光栄だったです! 至高のひと時をありがとうございます!🐰

「2023年この夏の一曲」は、スリーズブーケの「眩耀夜行」に決まりですね!(^^♪

14か月ぶりの投稿となりました。久しぶりのネタは鉄道模型のNゲージと「ラブライブ!蓮ノ空スクールアイドルクラブ」について語る回

皆さん、お元気ですか? お久しぶりです(^o^)

唐突ですが、たぶんサイゼリヤの夏限定メニューなのかな?
「エビとアスパラガスのオーロラソース」(税込500円)、これ美味いなー😋
私は慢性的に血の気の少ない人なので、ブロッコリーやホウレン草とか体が本能的に求めてしまうのであった。

1990年あたりのバブル期の絶頂期に大人への階段を昇る途上にあった世代としては、イタ飯でデザートと言えば、やはりティラミス!ティラミスっすよ!!
ティラミスと高密度プリンのコンビネーション。これはたまらん!(^ω^)
ちなみに、写真左手に位置するグラスもどきの透明カップの中の透明な液体はただの水ではなく、いわば「男を
磨く水」なのであって、メニュー名は「グラッパ(30ml)」(税込300円)とあり、これは食後酒で「ぶどうの焼酎」ということらしい。

「ぶどうの焼酎ってブランデーなんじゃないか?」とか軽いツッコミを入れながら、これが食後酒であるのは
「おそらく男女で一緒に食事をしたときに男が酔った勢いで女を口説き落とすための気付けための酒なのだろう」とか考えながらも、もっとも今日は僕はこの店に一人で来てるんだけどな。。。

それはさておき、去年の8月くらいに「ラブライブ!スーパースター!!」TVアニメ2期の感想記事を作成していた
わけですが、その時に文章を書くのに何だかうんざりしてきて、ついには記事づくりに行き詰まってしまいました。。。(´・ω・`)

――途中で記事づくりを投げ出してから、まるまる1年が経過しました。

ここの記事の作成や小説らしき作文の執筆をすっかり放棄してしまったこの1年間、生活のための屈辱的奴隷労働から解放された休みの日やっていたことと言えば、3年ぶりにソープで遊んだり、またガールズバーの女の子に現(うつつ)を抜かしたり、さらにはNゲージ鉄道模型大人買いしては図書館の会議室を借りてこんなことまでやらかす始末。。。

YouTubeにはNゲージ関係の動画も数あまた公開されていますが、次に掲げたやつとかは、もう神がかりのレベルとクオリティーですねΣ(・ω・ノ)ノ!

上の動画を「情緒あふれる鉄道のある美しい風景を丹念にそして精巧に写生した芸術性の高い絵画的作品」だと
感想を述べれば、自分のやつは「まるで幼児のラクガキで箸にも棒にもかからない駄作」ということになってしまいそう。。。(^^;

しかしながら、自分の動画は今回の記事の参考映像に供する用の手段としてYouTube化してみただけのことでYouTube上に公開することを目的とはしていないので、何のヒネリも感じられない退屈な動画ゆえに誰の関心に
留まることもなく、閲覧数で爆死してしまおうが、それはさして問題ではありません。

ここで自分なりに大切だと思うのは、図書館の開館から閉館まで10時間ほど時間を忘れて食事も忘れてレールの
敷設作業にすっかり夢中になったこと、レイアウトを構築する作業に無心になって没頭したこと、もはや夢も希望もしおれて枯れてしまいそうな、そんな人生を過ごしているような中にあって「おれの人生にまだこんなに楽しいことがあったのか!」と悦ばしき驚きを得たこと、ガラス張りの壁面から見渡せる町並みと8月の晴れ渡る空を眺めていたら真夏の白昼夢にも似た不思議な体験を得たことなど……。

この「Nゲージ体験」とでも言えばよいのか、この現場で起きた己の意識状態につて、これを端的に言い表そうとすれば「ある種の神秘的な体験を得ることになった」ということになるのかもしれません。

さて、このあたりは、このレイアウトの心臓部みたいな箇所だと思われ、電動ダブルスリップポイント、電動三方ポイント、電動クロスポイントなどの高級な転轍機(てんてつき)も総動員してのポイント天国。そして此方(こなた)には平面交差あって、彼方(かなた)には立体交差もあって・・・何だかワクワクしてくるではないか!(^ω^)

レイアウトがああいう有様なので集中指令センターの制御機器もこんな有様なのだ。

パワーユニット(TOMIX N600) 4台のうち3台はAmazonで最安値が3,999円だった時にまとめ買いしてやりました。ちなみにレールや土木資材、制御機器等のインフラ系はすべてTOMIX製のものとなっております。(^o^)

このNゲージ三昧については、自分の自由意思というよりはむしろ神に召されたかのごとく買い続けて、ついに家計は「低所得者クレジットカードローン・リボ地獄」の様相を呈するまでに至ったのでした。お莫迦(ばか)さんですねえ。。。

しかしながら、今回はいつになく、自分がやったことにしては自分なりに大変に豪快で面白いことをやってしまったように思えたので、「この興奮を君たちにも是非とも味わってもらいたいものだ」と言わんばかりに、数十年来の友人である通称「師匠」とM君もこの会場に呼ぶことにしました。

「師匠」は少年の頃から鉄道関係に造詣があって大学時代には鉄道研究会の部長も務めていたらしく、彼は大人になってから日本国内の鉄道は全線走破されたらしい。

また15~20年ほど前にNゲージの車両を爆買いしていた時期があったらしく、ここでは彼が所有する車両の乗り入れも行うことになりました。

師匠の走らせる車両を何編成か見ていると、私鉄の特急や首都圏の通勤電車を好んで購入しているようでした。

M君については「師匠」よりもっと幼い頃からの友人で、少年の頃には『日本の駅名大百科』とかいった当時ケイブンシャなどの出版社から発売されていたポケット百科を自宅の本棚に何冊も並べていて、自分にも読ませてくれた思い出があります。

ちなみに「師匠」とM君は、今から7年近く前に投稿した記事の中に登場した人物と同一人物となります。

この過去記事にはJR九州若松駅がまだ有人駅だった頃の画像があるはずです。今年の夏の休暇はどこかに出かけたと言えば、結局のところ町の図書館に通っただけにすぎないわけですが、とはいえ、今頃になって大昔の友人と再び交友を持つに至ったことは、大変に喜ばしい出来事だったと思います。

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話は全く変わりますが、このブログの二つ名は「ラブライブ!と僕の日記」でもあって、記事を通じてファンレターになったり、もしかしたら作品の制作陣に向けて入れ知恵などの貢献もしているかもしれません。知らんけど。適当なこと言ってスミマセン。。。(^^;

去年のいつ頃だったか「今度はバーチャルスクールアイドルのプロジェクトを新規に立ち上げるぞー!」といった旨の告知が運営側からなされて、それでラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」のタイトルで今年の春頃から本格的に活動を開始する運びとなって、おめでとうございます!

「蓮ノ空」については「フタを空けてみたら予想以上に良い出来だった!」というのが素直な感想で、まずはメンバーのキャラクターデザインが可愛らしいですね!🥰

本作品のキャラを見て思うのは「下まつ毛の使い方が巧みで女子力UP」みたいなところもあって、キャラクターデザインの担当は飯塚晴子さんという方だそうです。

この人はサンライズの社員ではなくフリーランスのアニメーター・キャラクターデザイナーで、すでに自身の作品集も出されているベテランさんみたいです。

             ①   ②     ③   ④     ⑤   ⑥

     ①日野下花帆(1年生)②乙宗 梢(2年生)
                    ③村野さやか(1年生)④夕霧綴理(2年生)
                            ⑤大沢瑠璃乃(1年生)⑥藤島 慈(めぐみ)(2年生)  

お次は各キャラクターの中の人となるキャスト陣です(^^♪

ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」「Link! Like! ラブライブ!(通称「リンクラ」)というスマートフォン向けアプリを活動の拠点としてYouTubeに出張所を設けている営業形態のようです。
とはいえ、この作品もオールメディアで展開すると宣言していたと思います。

なお「リンクラ」は、スマートフォン向けのアプリなのであって、パソコンにダウンロードを試みたところダメでした。(笑)

「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」は金沢に在住のスクールアイドルグループという設定となっています。

金沢市は今や北陸新幹線の開業で東京から2時間ほどで行ける場所となりました。
運営側もまた聖地候補地のロケハンが上手いよね。(^ω^)

本作品の物語の骨子について簡単にまとめると、金沢市の山間部に位置する芸術系に強いと定評のある私立の女子校を舞台に、今日も明るく楽しくストイックで情熱的にスクールアイドル道に青春を捧げる少女たちの日常――
といった感じですか。

蓮ちゃんの物語には今のところ廃校ネタとかは登場していませんが、上に述べたような内容は「ラブライブ!シリーズ」の他の作品にも共通した主題とも言えそうです。

シリーズのこれまでの作品では「覚醒教」としての面白さが何度か見て取れたわけですが、蓮ちゃんの物語もその例外ではなさそう。というか、もしかするとそのへんのノリがこれからさらに研ぎ澄まされて行くかもしれない???

ところで一般的に芸術作品にとっては「ポピュリズムと真理探求のアンチノミー」は珍しくない問題で、「ラブライブ!」においては複数の作品を立てながらシリーズ化することによってその克服に努めているようにも思われます。ですよね?

また双方の立場が拮抗することによって生じる弁証法は、各作品の物語性を枯渇させずに作品の生命を維持させるための秘策とも考えられそうです。つまりそれは「シリーズ化」による安全保障(!?)

ラブライブ!シリーズ」内の各作品の関係性においては、思うに「虹ちゃん」こと「虹ヶ咲スクールアイドル
同好会」
がどちらかと言えばポピュリズム寄りになっていそうだから、これと対の関係にありそうな「蓮ちゃん」こと「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」には真理探求路線へと邁進してほしい気もします。

すでにもう、さやかさんと梢先輩のキャラにはその属性があるかも???
  村野さやかさん       乙宗 梢先輩

そんなことを言いながらも、作品の生命の源泉となっているのはやはり究極的には悟性によっては答えられないようなある種の「神秘性」ということになってしまうわけですが、そこは何しろ「生命」についてのことなので、
そこまで突き詰めると形而上学(けいじじょうがく)の話へと飛躍して、うーん、生命の神秘かな。。。

それで、ここが最も肝心なところですが、「ラブライブ!シリーズ」の作品群がある種の「覚醒教」の要素を含んでいるがゆえに作品の送り手が受け手に向けて伝達できること、――言い換えれば作品が有する「メッセージ性」の話になるわけですが――これは過去の記事でも何度も触れてきたことですが、大事なことなので、ここで再度
確認しておきましょう。

ラブライブ!シリーズ」の作品であるからこそ、次の点について上手く表現できているかどうか? そのへんを期待したいところです。

・「単なる生き方」から「本来的な生き方」への覚醒・飛躍

・作品の受け手に「うながし」を与えるとともに「超越」を手助けする

・要は「覚醒せよ!」「超越せよ!」ということですね!(^o^)

ここで、以上に述べてきた内容に関連した話題になるかと思いますが、「ラブライブ!シリーズ」の楽曲で作詞のクレジットに畑亜貴先生の名前を目にする機会が最近めっきり少なくなってしまいましたが、「イデアと実存」の探求を人生最大の関心事とする身としましては「幻日ミステリウム」の歌詞はすごく好き!(≧▽≦)

この楽曲のサビのパートのところで、真理の探求を試みては神秘への接近に挑もうとするようなフレーズが出てきますが、ここはヤスパースの『哲学入門』(草薙正夫訳 新潮文庫)第五講「無制約的な要求」に通じるものを感じます。

こうした深遠な神秘的哲学的真理について語っているような内容すらも平易な言葉で象徴化しては歌詞に結晶化して表現できてしまう畑先生、ああ、なんて素敵な(^^♪

わからない 自分なのに 自分のこと
鏡の前でじっと見つめ合う
ああ私は何がしたい?
謎と夢をもっともっと
追いかけてみたいかもしれないね
このセカイの出会いで
謎と夢を解き明かしてみるよ

さて、これまで「主題がどうの、メッセージがどうの」とか、そのようなことをウダウダと語ってきたわけですが、自分もこんな記事を作っていて「今回は自分が言いたいこと、心の中にあることを上手く伝えることが出来ただろうか?」と思い悩んだり気に病んだりするようなことは多々あります。。。

というわけで、ここでまた余談です。もはや何の脈絡もありませんが。。。(^^;

「蓮ノ空女学院」・・・何だか悟りの境地が教育方針みたいな学校名ですね。
その学校名からして仏教系の宗教校なのかと思っていたら、講堂にはステンドグラスとかパイプオルガンらしき
設備があったし、そのへんはどうなんでしょうかね?

現実世界の話では、京都市西本願寺の隣にある龍谷大学の大宮キャンパスは仏教系の宗教校でありながらも校舎は西洋風の建築だったりして、こういったケースもたしかにあることはある。(・ω・)ノ

ちなみに、ここの歴史的建造物は国の重要文化財に指定されているらしいです。

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今回の記事は基本的に「蓮ノ空」談義となりましたが、さて、これからが本題です。 

「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」のキャラクターメンバーのキービジュアルが解禁になったのは「Wikipedia」によれば今年の2月10日のこととありますが、おそらくその時から僕は村野さやかちゃんのことが
大好きになってしまって、さやちゃんがあんまり可愛かったもので、つい【KATO】10系寝台急行「能登」基本7両セット&増結6両セットを中古で購入してしまったのでありました。(笑)

国鉄旧型客車の普通車とグリーン車、10系寝台客車、荷物車から成る13両混合編成の車両をEF58が牽引。実際に
走らせてみたところ、これがなかなかの壮観。たまりませんなあ!(≧▽≦)

鉄道ファンの視点では、これはまた「美しい」と形容してしまう光景でもあります。 

10系寝台急行「能登」が現役だった頃の姿を撮影した懐かしの映像がYouTubeで公開されていました。

これは審美学的な価値と資料的な価値を兼備した動画ですね!

ところで、一般的に「二つ結び」は女子力爆上げのヘアスタイルだと思われますが、さやちゃんはまたポニテ姿もよく似合うのだ(⋈◍>◡<◍)。✧♥♥♥

お弁当作ってくれる女子の光景。これがまた、たまりませんなあ!(≧▽≦)

目下、「ラブライブ!シリーズ」のキャラメンバーはすでに総勢50名を超える規模に達しているわけですが、個人的な好みのタイプの話では、さやかちゃんはその中でも2番目に可愛らしい、ミスコンに例えるなら準グランプリの座に君臨しそうなキャラなのであって、それでは「ミスラブライブ!の栄光のグランプリに輝くキャラはいったい誰なの!?」と言ったら、やはりこの方しかおられません!!!
  ♥ラ!シリーズの鬼子母神、もとい地母神信仰の拠り所!? 東條 希ちゃん

また、現在のところ「ラブライブ!シリーズ」のキャストメンバーの方にも「ノゾミちゃん」と名乗る子が2名ほどおられます。

ラブライブ!スーパースター!!」のLiella!(リエラ)で桜小路きな子役の
”のんちゃん”こと鈴原希実さん

「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」の日野下花帆役
        ”のんすけ”こと楡井(にれい)希実さん 最近は”のんちゅけ”になってる感あり(笑)              

さやちゃんの中の人は野中ここなさんで、業界オーディション組の方だったと思われますが、彼女は現役のJKらしいです。女子高生すか。若いって素晴らしいなあ!(≧▽≦)    

「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」は今年の春頃に1stミニアルバムをリリースして、そのあたりからずいぶんと精力的に活動されているようで、9月20日には1stアルバムをリリース、そして10月と11月にはついにキャストメンバーによる1stライブツアーの開催が決定されるまでに至って、おめでとうございます!!!

「蓮ノ空がライブやる時はたぶん首都圏・名古屋・大阪の会場だけで福岡公演とかはまず有り得ないだろうなー」と思っていたので、1stライブツアーの告知で福岡公演が出てきた時は正直驚きました。

また、いつからか「ラブライブ!シリーズ」で福岡公演というと事実上の小倉公演となって、北九民のファンに
とってはこれは大歓迎であって、ありがとうございます!    

福岡公演のチケット最速先行抽選にDAY1・DAY2の両方とも申込みました。
西日本総合展示場の悪口はもうしませんので、当たってー!!!

余談ですが、小倉の歓楽街は堺町のとあるガールズバーに在籍する推しの子にこの話をしたところ「落選しても、ここで推しに会えるよ!」と返されました(笑)

なるほど水商売で推しの子がいれば、その子は実質的には「地下アイドル」的な存在と言ってもよいかも???      

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さて、ここでまたNゲージの話です。

今回のこれくらいの規模のレイアウトを構築してしまうと、自然な流れで行けばEH500JR貨物電気機関車)+コキ(コンテナ貨車)を20両編成とか走らせたくなってしまうものですが、しかしそこ「今のリボ地獄からある程度抜け出せた時になってからのお楽しみ」ということにしておくべきでしょう。。。(^^;

しかし「今回の記事に登場した車両を全部連結することで、統一性のとれた21両編成を走らせることが可能なのでは?」と思い、実際にそれをやってみました。

EF81 300&EF30の重連国鉄旧型客車21両編成の眺め。おお、風流、風流(^^♪

なお、この編成の走行シーンは動画で見ることができます。

ここでまた余談ですが、関門海峡の門司側の海岸からほど近い場所にある「平成筑豊鉄道 門司港レトロ観光線」の終点「関門海峡めかり駅」から少し歩くと、風雨に晒されてくたびれた感が否めませんが、静態保存されたEF30とオハフ33の実車を見ることができます。       

現在、リボ地獄でのローン返済中の身分なわけですが、ここで現在所有している車両の編成を今回のレイアウトの側線だらけのエリアに集結させてみました。

     ①② ③        ④ ⑤          ⑥ ⑦       ⑧ ⑨

①【TOMIX】キハ66・67 
②【KATO】キハ58+キハ28+キハ58+キロ28+キハ65  
③【KATO】581系電車 寝台特急「彗星」
④【TOMIX】50系客車(JR九州 冷房改造車) ⑤【KATO】旧型客車(茶&ブルー)  
⑥【KATO】883系電車 特急「ソニック」 ⑦【KATO】455系電車 急行「まつしま」  
⑧【KATO】EF58+【KATO】10系寝台急行「能登」 
⑨【KATO】ED76+【TOMIX】24系25形(カニ25) 寝台特急「彗星」
       ※【】はメーカー・ブランド名   

上の画像は、使用年数5年越えの安物スマホのオンボロカメラのズーム機能を使って撮影したものということで、
どこかピンボケした感が否めませんが、そのためにかえって自分の心の中にある情景を写し撮ったような印象を
感じなくもない!?

特急「ソニック」はJR九州が誇る今を時めく花形列車とも言えそうですが、その他のいわゆる「国鉄色」の編成については、そのどれもが自分が少年の頃に親しんだり、あるいは憧れの目で見られた車両で、今となっては、それらの往年の姿を現役で見ることはもはやできません。。。

それでは結局、このNゲージ道楽を通じて自分はいったい何がやりたかったのか?

次の引用がその答えになりそうです。

プルーストの美学の中にはこれからある世界に入っていこうとするとき、つまりその世界に強い関心と憧れを抱いているときと、そしてその世界を去ったり、その世界を失ってしまったあとになって、回想するとき最もその世界の魅力を味わうことができるという美学がある。(P.165~P.166)

プルーストによれば人生上のいろいろな価値はそれに憧れているときと、それを回想しているとき、つまりある距離を置いたときに一番美しいのだが、芸術とはいわばそうした距離を置いて人生を見ることを可能にする装置のようなものなのだ。それはいいかえれば、現実を内的なビジョンによって見るということだろう。(P.186)
                『人と思想127 プルースト』(石木 隆治著、清水書院

このプルーストの美学」については、これまでの自分の過去記事でも度々登場してきましたが、それというのも、この芸術的概念は自分が人生最大の関心事としているイデアと実存」の神秘の領域へと通じる鍵であると、自分なりにそのように直観しているからなのであって、つまりそういうことです。

そしてこのイデアと実存」の探求が目指している地平というのは、本を正せば、今回の記事のどこかで出てきた「単なる生き方」から「本来的な生き方」への覚醒・飛躍ということにもなるでしょう。台所は火の車、命の炎を燃やせ!(意味不明)

今回の記事の哲学ネタは8月に読み返したこの2冊の書物の影響が大きいです。(笑)

ついでに言うと、このレイアウトには機関区らしき配線も備えているのだ。(^ω^)

(並列に)手前①②③ (縦列に)奥④⑤

手前①【TOMYTEC】
   京阪電車大津線 600形 4次車「響け!ユーフォニアム」ラッピング電車2018 2両セット     
手前②【KATO】ED75 0 後期形  手前③【KATO】EF81  300 
奥④【TOMIXDD51  奥⑤【KATO】DE10 暖地形
       ※【】はメーカー・ブランド名 

今回の記事はそろそろこのへんでおしまいにしたいと思います。これが今回最後の話題となります。

ラブライブ!スーパースター!!」はLiella!の4thライブツアーの参加(現地はとうてい無理なので配信組となりますが)については「リボ地獄に陥った最中にあって蓮ノ空1stの福岡公演に現地参加するための資金を確保したい」という理由から「自粛もやむを得ない」と断念したわけですが、4thライブの千秋楽ではこんな告知がなされたようです。「TVアニメ3期放送決定!」おめでとうございます🎊🎊🎊

ここでは「5thライブ開催決定!」の告知もありました。

これは「ほとんど4thライブの追加公演じゃないか!」みたいな感じもしなくはないですが、今回で11人体制となったLiella!ちゃんが再び小倉に来てくれることになったそうで、また4thライブは個人的な事情から自粛していたこともあって、大変に大歓迎です!ありがとうございます!(^^♪ 

公演日が蓮ノ空1stから約3か月後・・・うーん、現地行きたい!!

【ラブライブ!サンシャイン!!】Aqours(アクア)ちゃん💙 結成7周年記念おめでとうございます!の回

皆さん、こんにちわ (^o^)

今年の6月30日で「ラブライブ!サンシャイン!!」のAqours(アクア)ちゃんが
結成から7周年を迎えられたということです。(⋈◍>◡<◍)。✧💙

今回の記事は投稿の時期をやや逃してしまった感が否めませんが、そんなことは気にしないで、とりあえず、おめでとうございます!!(≧▽≦)

今回は久しぶりにAqoursちゃんメインで語りますよー(^ω^)

ラブライブ!サンシャイン!!」のAqoursちゃんがデビューしたのは2015年6月30日ということで、この頃はちょうど劇場版「ラブライブ!」が絶賛上映中でした。
     

  
今から振り返ってみると、2015年は「ラブライブ!」の黄金期とも言える一年だったように思います。当時のµ’s(ミューズ)さんの人気には何か絶大たるものがあって、「ラブライブ!」が社会現象にもなっていたような記憶があります。
         
ちなみに、僕はいつの頃からか、気が付くと希ちゃん推しになっていました(笑)

そういった中でスタートした新規プロジェクト「ラブライブ!サンシャイン!!

Aqoursちゃんは「親の七光」ならぬ、µ’sさんの僕たちはひとつの光があって、いわばすでに出来上がったレールの上を走ってよい感じでデビューしたわけですが、しかし、µ’sさんが「ラブライブ!」のプロジェクト始動から5年の歳月をかけて築き上げてきた実績をAqoursちゃんたちはしっかりと受け継ぐことができるのか、すでに大きくなりすぎてしまったとも言える「ラブライブ!」の看板を一身に背負うことができるのか、そういったプレッシャーに対する懸念はファンの間でも話題になっていました。

2015年の暮れにNHKの紅白出場を果たしたµ’sさんは年が明けて2016年の3月31日・4月1日に開催された東京ドーム公演をファイナルライブとすることで、2010年6月30日のデビューから6年と9か月にわたるこれまでの活動に一区切りつけると、それを境に今度はAqoursちゃんの快進撃が始まることになりました。

2016年、2017年と着実に成長を続け、2018年にはついに東京ドーム公演と紅白出場を果たすことができたAqoursちゃん。スゴいですね!(≧▽≦)

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そして2019年の新春には劇場版「ラブライブ!サンシャイン!!」が公開されるに至りました。おめでとうございます!(^ω^)  
       
  
しかしこの劇場版のストーリーは「分かる人にはよく分かる、分からない人にはよく分からない」感じで一般受けするような内容とは言い難く、興行収入の方もラブライブ!The School Idol Movieでは28.6億円だったのに対してラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbowでは13.0億円にとどまったようです(参考:Wikipedia
µ’sさんの劇場版は大ヒット作となりましたが、Aqoursちゃんの場合はその域に達することはできませんでした。それでもヒット作であったとは言えそうです。

ところで、物語としての「ラブライブ!サンシャイン!!」は端的に言うと「イデアと実存」の物語であったと解釈できそうですが、TVアニメ第1期が終わって3rdシングルとなるHappy Party Train(2017年4月5日リリース)のアニメーションPVあたりから何気に形而上学(けいじじょうがく)的な傾向が見られるようになってきました。それはTVアニメ2期を経て、劇場版で一つの到達点に達したように思われます。

これはいったい何のことかと言うと、アニメの物語やアニメーションPVのストーリーなどにおいて「ラブライブ!サンシャイン!!」の作品世界には、妖精や精霊などの超自然的存在や目には見えない何者かに対して心が開かれていない人たちにとっては、
何やら不可解なシーンが折に触れては登場してくるようなことがあったのかもしれないと、単なる憶測で恐縮ですが、そのように思います。

それらのシーンというのは概ね自己の「存在の根源」に関わっているような何者かを比喩的に表現したものと解釈することもできそうですが、それが即物的な現実主義者の認識に陥ってしまうと単に不可解なものにしか見えなくなってしまうのは、それはそれで仕方がないことなのかもしれません。。。
  

劇場版では「諸行無常の理」と「永遠不滅のイデア」のはざまで葛藤し懊悩する過程で内的な成長を遂げていくAqoursちゃんとSaint Snowさんたちの姿(実存)が描かれていました。

作品の作り手たちにとっては「作品と関わっていくうちに、いつの間にか真理探求の方向に目覚めてしまった」というのはよくあることだとは思いますが、しかし芸術や文学に関しては「いいものが必ずしも売れるものとは限らない」という事態が発生したりして、それはまた決して珍しくない話だったりもします。

「真理探求とポピュリズムアンチノミー(二律背反)」――このような事象は作品の作り手側にとってはまったく悩ましい限りです。(´・ω・)

この相反する課題に対して「ラブライブ!」の運営側は作品をシリーズ化することによて乗り越えようとしているように思われます。

これはつまり、真理探求とポピュリズム弁証法的発展による解決!?

2019年になると「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の活動がいよいよ本格化してきました。このあたりから「ラブライブ!」の運営側は「ラブライブ!シリーズ」を公式名として名乗るようになりました。

2020年に入ると、今度は「メンバーの一部を一般公募する」という新しい試みを取り入れた新規のプロジェクトが発表され、これが「ラブライブ!スーパースター!!」と
なりました。真理探求の路線はこの作品が引き継ぐことになったようです。

さらに2022年に入ると、これは世間の時代の流れを意識してか、バーチャルスクールアイドルのプロジェクトが同年の秋にスタートすることも告知されました。
  

いつの間にやら、われわれには大変になじみのあるゲーマーズの看板娘☆でじこ様がこの期に及んでVチューバ―としてデビューされていましたが、バーチャルスクールアイドルの企画はもしかして、実はこれに触発されたとか???
  
そうでなくても、ゲーマーズの一部の店舗では「ラブライブ!シリーズ」のキャラが看板娘を代理したりしています。(←だから何なんだ!?)

これはどうでもいい話ですが、その昔、京都の歓楽街・木屋町にバニーガールの店があって、若い頃にそこでお世話になっていたことがあって、そういうわけで「デ・ジ・キャラット」のキャラの中では、ワイは断然うさだ推しにょ💕(^ω^)
           

それはさておき、ここで話をAqoursちゃんの方に戻しましょう。

2019年の6月には、劇場版を主題とした5thライブが埼玉県所沢市にある所沢市民球場もといメットライフドーム(現・ベルーナドーム)で開催されました。

劇場版が興行的にやや不本意な結果になってしまったとはいえ、しかしAqoursちゃんの人気自体は衰えるようなこともなく、また、このあたりからメンバーのソロ活動もそれぞれ活発になってきたようです。

2019年6月30日には「ラブライブ!シリーズ」が9周年を迎えることになりました。

「9」という数字は「ラブライブ!」にとっては深い意味があるらしく、「ラブライブ!フェス」(AqoursSaint Snow、虹ヶ咲、µ’sによる合同出演)の開催をはじめ、2019年の後半から2021年の年始にかけて様々な企画が準備されていることが
運営側から発表されました。

運営側からすると、2020年は「ラブライブ!シリーズ」爆誕10周年記念よりもAqoursちゃん結成5周年の方がもっと重要らしいようで、この年はまずAqoursから派生したトリオユニットであるCYaRon!(シャロン)、AZALEA(アゼリア)、Guilty Kiss (ギルティキス)三者のユニット単位での1stライブがそれぞれ開催されて、それに続いてAqoursの6thライブの開催、そして6thのナンバリングライブは日本の5大ドームを会場としたドームツアーとなることが告知されたのでした。

余談ですが『未体験HORIZON』(2019年9月25日リリース)のアニメーションPVでは妖精イメージや世界の神秘を前面に押し出して、劇場版の公開からしばらくの間、頭を抱えることになったであろう葛藤もここではすでに払拭されているようです。
・・・「真理の探求はイデアの探求」に他ならないずら。(はなまるより)
  

さて、2020年も「ラブライブ!フェス」(2020年1月18日・19日開催 会場:さいたまスーパーアリーナ)から順調な滑り出しを見せて、この年も絶好調と思われていたAqoursちゃんでしたが、2月の終わり頃になって発令されたコロナ禍による緊急事態宣言のために活動の自粛を余儀なくされることになりました。

こうした事情から、AZALEAの1stライブ(3月)とユニット別1stライブの追加公演(5月)、Aqours5大ドームツアー(9月~翌年1月)はやむなく公演中止の憂き目を見ることになったのでした。。。(´・ω・)

しかし10月には、ユニット別1stライブの追加公演「PERFECT WORLD」とAqoursのドームツアー公演の代替ライブが無観客有料生配信という形で開催されることになりました。無観客とはいえ、これは大変に充実した濃い内容となっていました (^^♪
  
  
10月にドーム公演の代替公演としてAqours ONLINE LoveLive! ~LOST WORLD~」、その続編として12月末にAqours COUNTDOWN LoveLive! ~WHITE ISLAND~」がそれぞれ無観客有料生配信という形で開催されることになりました。   

セトリの内容からすると、大まかには前者は名古屋・埼玉・東京公演の埋め合わせ、後者は福岡と大阪のそれみたいな感じになっていましたが、これ以降から有料生配信という手法が新たなライブの参加方法として定着することになりました。

運営側からすれば「これはイケる!」ということだったんですかね???

ネットで配信という手法は、観客側にとっては、より気軽にライブに参加できるのがメリットですが、その一方で「これからイベントに行くぞー!」みたいなお祭り感がより稀薄になって少し寂しいような気もします。。。

そう言いつつも、個人的には、最寄りのライブビューイング会場が電車で30分かかる場所にあって、街に出るといろいろと誘惑も多かったりもして、出費をなるべく節約したい人たちにとっては、有料生配信はなかなか重宝する媒体だとも言えそうです。

またライブ終了後にはアーカイブ配信もやってくれるので、リアルタイムに予定を合わせるのが困難な人たちが後からライブを視聴できるのもありがたいところです。

さらにその「お祭り感が足りない」成分の埋め合わせをしてくれそうな楽曲をちゃんと用意して、それを無償で提供してくれるところが、これがまた運営側の良心!?
  

これもAqoursちゃん爆誕5thアニバーサリーでの企画でしたか、「2020年8月から
メンバーのお誕生日ごとに該当メンバーのソロアルバムを順次リリースしていく」というプロジェクトがありました。この企画は6周年の時にも継続されて、7周年でもまたやるみたいですね。(^ω^)

殊にメンバーのソロアルバム・リリース企画の初年度は、ソロ楽曲のスペシャルMVがYouTube上で公開されました。(^^♪

再生回数を見ると、黒澤姉妹が1位・2位を占領しています(笑)

黒澤姉妹のMVの動画をそれぞれ視聴してみると、映像はともにシュールな世界観を呈していて「妹・ルビィは酔狂」「姉・ダイヤは伊達」なノリとも言えそうですが、歌詞について見ると、両者はともに「ラブライブ!」の思想的な側面を歌っているように思われます。やはり畑先生は天才ですね!(^^)b
  
ラブライブ!サンシャイン!!」の真理探求路線は、黒澤ダイヤさん主演の『Perfect SEKAI』(2020年1月1日公開)によって「やってやれるところまで、やってやったわ!」くらいなレベルに達したものと思われます。

そう言えば、「真理の探求はイデアの探求と先ほど語ったわけですが、イデアの探求は「真・善・美の探求」であり、このことは、ひいては福祉国家が掲げる「最大多数の最大幸福」の理念に寄与するものだと言っても過言ではないでしょう。

ところで「イデアの探求」がなぜ「真・善・美の探求」になるのか?

その根拠としては、これはすでに過去の記事でも取り上げたかもしれませんが、とりあえず、次の記述が参考になるでしょう。古代ギリシャ哲学の話です。

……プラトンソクラテスの影響によって完全に支配されていた間に書かれた初期対話篇の場合には、超越論の形跡が存しないのは当然である。というのは、アリストテレスの言うように、ソクラテスが関心を持っていたのは専ら、全ての正しい行為、全ての美しいもの等々に共通するそれぞれの本質をつきとめることだったからである。だがプラトンの心が成熟するにつれ、自立して存在し感覚的事物や人間の行為には不完全にしか反映しない実在という、イデアについての超越的な見方の方へ彼は次第に移って行った。

     

      出典:ウィリアム・デイヴィッド・ロス著 田島 孝/新海邦治 訳    
             『プラトンイデア論』(晢書房 1996年)より

この記述に即して言えば、「ソクラテスが関心を持っていたのは専ら、全ての正しい行為、全ての美しいもの等々に共通するそれぞれの本質のをつきとめることだった」というところにイデア論の起源がありそうです。

そして、ソクラテスの弟子であったプラトンは「真実在(イデア」が現実世界では不完全にしか反映されないので、それを超越的な実在とする見方を支持した、ということです。現実界に対するイデア界は「Perfect SEKAI」ですね。(^o^)

つまりはそういうことらしいですが、そういうわけで「イデア」の探求者というのは、 畢竟(ひっきょう)「真・善・美」の探求者なのであって、そしてそれを本気で実践してみようという強い意志を持っているのだったら、現実世界を、客観的物理学的世界観を、そして感覚的事物を「超越せよ!」――シュールですね (^ω^)

そこまで言わずとも、趣旨としては「現実世界を理想の姿、ありたい姿、あるべき姿の方へと少しでも近づけていく。そしてそのためには、その理念を提示できるような虚構のモデルを必要とする。」・・・これくらいに考えておけばよいでしょう。  

ラブライブ!」の真理探求路線というのは、基本的には「自己実現」を主題にしているものと考えられますが、それにとどまらず、さらにその先にある地平まで見つめている。そのようにも思われます。

2021年になると「ラブライブ!スーパースター!!」のプロジェクトが本格的に動き出して、7月から9月にかけてTVアニメ1期が放映されました。
エピソード第11話と第12話では上に述べたことが顕著に描かれていたと思います。
そのへんについては、次の過去記事でウダウダと語らせていただきました(笑)
7月17日(日)にEテレにて、ついにTVアニメ2期の放映が始まりました!

第1話を観ましたが、そこでふと思ったのは、この作品ももはや作風が安定しすぎて
してしまって、かえってどこか新鮮味に欠けるような感じがしなくもない???

・・・とか言いながらも、今後の展開を楽しみにしています!(^ω^)

(※2022年7月21日追記)
2期第1話を2~3回観たところで、この記述は取り消します。。。(^^;
「この作品ももはや作風が安定しすぎてしてしまって、かえってどこか新鮮味に欠けるような感じがしなくもない???」

それよりも、新キャラの桜小路きな子ちゃんが前から見ても、斜め後ろから見ても、変顔になっても、ただひたすらに可愛らしかったです (⋈◍>◡<◍)。✧💛   
      
      
      
     
きな子ちゃんは、見た目が東條希ちゃんと国木田花丸ちゃんを足して2で割ったような感じで、黒澤ルビィちゃん的な成長物語も期待できて、これはいい!!(≧▽≦)

なお、7月17日は、こういうことだったらしいです。おめでとうございます!


2022年7月9日に予定されていたLiella!(リエラ)ちゃんの生放送は、交通事故の関係で残念ながら放送中止となってしまいましたが、とりあえず出演者の方たちは大きな怪我には至らなくて良かったと思います。安全第一。安全祈願。

また、本日7月18日は、米女メイ役の薮島朱音(やぶしまあかね)さんのお誕生日だということです。こちらもおめでとうございます!
  

余談ですが、「ラブライブ!シリーズ」のキャラクターとキャストのお誕生日は、
もはや宙で言えるような状態ではないので、これは重宝します。(^ω^)

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ところで話は変わりますが、最近になってYouTubeにアップされたとある動画から「フォーカシングイリュージョン」という言葉を知りました。
  
「フォーカシングイリュージョン」というのは「間違ったところに焦点を合わす」という意味で、簡単に言うと「間違った思い込み」だと動画では説明しています。

この言葉の意味内容は「○○になれば幸せになれる」という構文から成って、例えば「金持ちになれば幸せになれる」「志望校に受かれば幸せになれる」「この企業に入れば幸せになれる」「恋人ができれば幸せになれる」「結婚すれば幸せになれる」といった、われわれがよく陥りがちな一種の偏見を概念化した用語です。

それは決して間違っているというわけではありませんが、しかし一面的で偏ったものの見方であると言えます。富も地位も名声も恋愛や結婚も決していいことばかりだとは限りません。また幸福の背後にはいつも不幸が影のように付いて回ります。

不幸なことはできるだけ実現してほしくはないですが、これが地に足の付いた現実的なものの見方です。最高の幸福を求めるよりも最悪の不幸を回避することに努めた方が結果としてより幸せな人生を歩むことができたりもします。

「最大多数の最大幸福」という理念も、現実的な内容は「社会からできるだけ不幸な事態を取り除くための努力」だったりします。要は福祉に関わる話です。

この話題についてはさらに、マスメディアによる影響についても触れておかなければならないでしょう。

社会は、社会の秩序の安定を主な目的として、民衆をマインドコントロールするものですが、それはマスメディアを通じて行われることが少なくありません。
そして時には、民衆に偏見を植え付ける装置と化したりすることも有り得ます。

企業のCMとかでは商品に成功や幸福のイメージを結びつけた映像を制作することがあります。消費者の心理に商品を印象付けするために、時には狙ったようなシーンが公共に向けて垂れ流されます。

今から35年ほど前の話になりますが、日本がバブル経済に浮いていた頃に放映されたコカ・コーラのCMみたいなのは、もしかすると当時の民衆に「フォーカシングイリュージョン」を増長させる元凶であったと言えるかもしれません???
  

「フォーカシングイリュージョン」の思い込み・偏見は「世俗的な幸福主義」を自明のものとする価値観に基づいている、と言うこともできるでしょう。

こうした幻想が虚しく打ち砕かれてしまうと、われわれは人生に絶望します。

しかし人によっては、それまで無批判的に何の疑いも持たず鵜呑みにしていた自明性が相対化されるとともに、今度は「イデアと実存の探求」という従来とはひと味違う人生の在り方に目覚めるきっかけになることもあります。

現実世界に生起する様々な事象に対してわれわれが各自に抱く「理想の姿、ありたい姿、あるべき姿」についても、「世俗的な幸福主義」と「イデアと実存」との双方の立場の間では質的、内容的に価値観の変化が起きているものと思われます。

そう言えば、自己の内面における「実存哲学的覚醒」の諸相について、過去の記事で語ったことがありました。

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話がまた変な方向に逸れてしまいました。ここで話を元に戻しましょう (^o^)

2020年3月に予定されていたAZALEAの1stライブ、5月のユニット別1stライブの追加公演、そしてAqours5大ドームツアー(同年9月~翌年1月)はコロナ禍の影響で全公演キャンセルされて、10月に代替公演として無観客有料生配信ライブが、12月にはその続編にあたるカウントダウンライブがそれぞれ開催されたのでした。

一方、2020年の10月17日・18日には横浜(ぴあアリーナMM)11月7日・8日には札幌(真駒内セキスイハイムアイスアリーナ)の各会場でSaint Snowさんの1st GIGが開催されましたが、こちらは有観客の公演となりました。よかったですね!(^^♪
  

さて、Aqoursちゃんの2021年の活動については、5月に静岡県掛川市で開催する予定と告知していた5thアニバーサリーの野外ライブはコロナ禍の影響によってキャンセルとなってしまいました。(´・ω・)

8月には、2020年の3月から17か月間にわたってずっと延期になっていたAZALEAの1stライブが仙台(ゼビオアリーナ仙台)で開催されました。
この公演は有観客のライブとなりました。

これ以降は無声援とはいえ、Aqoursちゃんも有観客のライブが開催できるようになったみたいで、よかったですね!(^^♪

とはいうものの、Aqoursのキャストメンバーの1人である高槻かなこさんが2020年の暮れ頃から体調不良で長期の療養となり、2020年12月末の無観客有料生配信での開催となったカウントダウンライブと2021年8月のAZALEA1stライブ、11月のAZALEA2ndライブについては欠席されることとなって、これは残念でした。

2021年12月、横浜(ぴあアリーナMM)にて開催されたAqours EXTRA LoveLive! ~DOREAMY CONCERT 2021~」では、かなこさんも復活されて、久しぶりに完全体となったAqoursちゃんのステージを拝むことができました。

2021年~2022年の年越しカウントダウンライブはAqours、虹ヶ咲、Liella!の合同出演によって横浜(ぴあアリーナMM)にて有観客ライブで開催されました。これはまたずいぶんと景気のよいイベントになったようです。
  

2022年の2月と3月にはAqours 6th LoveLive! ~KU-RU-KU-RU Rock 'n' Roll TOUR~」が愛知・バンテリンドーム ナゴヤと埼玉・ベルーナドームの両会場で開催されました。

そして6月には追加公演として、東京ドーム公演を再び開催することになりました。

埼玉県所沢市に所在のベルーナドーム(旧・メットライフドーム)は、Aqoursちゃんにとっては馴染みのある会場ですが、その一方で、日本のアーティストたちにとって日本最高峰のコンサート会場として認知されている、あの東京ドームで今回2度目の
ライブ公演を遂行できたのは、やはりスゴいことだと思います。あっぱれ!(^^)v         

愛知公演と埼玉公演と東京ドーム公演には、それぞれの公演名に<OCEAN STAGE><SUNNY STAGE><WINDY STAGE>なる二つ名が付けられていました。

Aqours 6thライブは最終的に3大ドームツアーとなって、めでたし、めでたし。(^^♪      

それで、結局のところ、大阪・京セラドームと福岡・PayPayドームの両公演は完全に消滅してしまったんですかね!?

もし福岡でドーム公演をやるんだったら、北九州メディアドームの方に来てくれると個人的にはもっとありがたいです。
ここは「小倉けいりん」の開催地でもあって、いろいろと楽しくていいぞ!(^o^)  

それはさておき、Aqours 6thライブは3大ドームツアーということもあってか、プロの記者によるライブのレポート記事も充実した内容となっているようです。特に東京ドーム公演の記事については、かなりの熱の入りようで、よかったですね!(^o^)

<OCEAN STAGE>(愛知・バンテリンドーム ナゴヤ)Day2のレポート記事    

<SUNNY STAGE>(埼玉・ベルーナドーム)Day2のレポート記事   

<WINDY STAGE>(東京ドーム)Day1のレポート記事(前編・後編)       

<WINDY STAGE>(東京ドーム)Day2のレポート記事(前編・後編)  

Aqours 6thライブの全6公演(愛知・埼玉・東京)のセットリストを知りたいという方は、こちらをどうぞ。('ω')ノ

  

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2018年11月の4thライブ(Aqours初の東京ドーム公演)から約3年半の月日を経て、
2度目の東京ドーム公演となった6thライブの<WINDY STAGE>では、わざわざこの公演のためだけのテーマ曲『なんどだって約束!』が制作されたりました。(^^♪

  
この楽曲は、4つ打ちビートに爽やかな感じのするメロディーを乗せた曲調で、この曲を初めて聴いた時、思わず「ソウル・トレインのテーマ」が頭をよぎりました。

  

Aqoursの3rdシングル『Happy Party Train』のタイトルとジャケ絵が解禁になった時に「ソウルトレインのテーマみたいな感じの曲調にして!」と、2017年初頭の過去記事で要望を語ったりしましたが、「ハピトレ」は結局のところ、スウェディッシュ・ポップなノリに仕上がったのでした。めでたし、めでたし。

スウェディッシュ・ポップは、90年代中頃の日本で流行っていたような記憶がありますが、この楽曲は特に耳に心地よかったっす(^^♪

  
それはそうと、2017年の年始め頃に出した個人的な要望を、今回は5年越しで叶えてくれたようで、ありがとうございます!・・・ということにしておきます(笑)

     ラブライブ!」万歳!! Aqoursちゃん万歳!! (^^)v
  
         ところで「なんじゃ、こりゃ!?」Σ(・ω・ノ)ノ!

これも6月の東京ドーム公演の話になりますが、Aqours 6thライブの東京ドーム公演すなわち<WINDY STAGE>で『KOKORO Majic "A to Z"』が初披露になりました。これは何だか意外だったかも!?

さらにステージ初披露の後には、アニメーションPVのフルVer. がYouTubeで一般公開となりました。

今回も公式さんは太っ腹なことをやってくれましたね! グッジョブ(^^)b

  
このBD付きのCDがリリースされたのは2019年10月30日で、4thシングルの『未体験HORIZON』がリリースされてから約1か月後のことでした。

カップリング曲の『Wake up, Challenger!!』はすでに何度かステージで演じられましたが、「ココマジ」が今まで表舞台に姿を現わさなかったのは、もしかしてステージ衣装のことで出演者と揉めてたんですかね!? 幼稚な憶測ですが(笑)

アニメの衣装は3年生組が肌の露出度が高くてえちえちですね!(⋈◍>◡<◍)。✧♡  

もしアニメPVの衣装を忠実に再現したら、Aqoursのセクシー番長で水着(ビキニ)姿の撮影にも慣れているものと思われる小宮さんは何とか引き受けてくれるかもしれませんが、にゃーちゃんとおすわちゃんは断固としてこれを拒否しそう。。。

そんなことを想像していると、何だかワクワクしてくるではないか!(^o^)

なお、こちらのアニメPVのフルVer. も一般公開されることになりました。(^^♪  

  

これは単なる私事の話で恐縮ですが、<WINDY STAGE>は、Day1は配信組で参加しましたが、Day2については職場の交代勤務が夜勤→日勤のシフトになっていて、27日の月曜日は有休を取りそびれて、ライブ鑑賞後の余韻に浸るようなことはおそらくできないものと予測して「Day2は金曜の夜と土曜日にアーカイブ配信でのんびりと視聴しよう」のつもりでいました。

それで金曜の深夜に配信の視聴チケットを購入しようとしたら、コンビニ決済が受付終了になっていて、しかしクレジットカードは持っておらず、それで結局のところ、Day2は視聴チケットを購入しそびれて見逃してしまったのでした。。。(´・ω・`)    

なので<WINDY STAGE>の感想については、個人的にはDay1の範囲にとどまってしまうわけですが、それにしても、逢田さんが妙に可愛らしく見えたです🥰

ここで突然<OCEAN STAGE>&<SUNNY STAGE>の話になりますが、この両公演では、キャストメンバーたちが非ユニフォーム系の衣装を身に纏(まと)ってパフォーマンスを演じたセクションがありました。

ディスコやクラブとファッションショーを融合させたようなステージ演出が魅力的でしたが、その中でも『Daydream Warrior』の間奏のダンスシーンには個人的にずいぶんと魅了されたらしく、特に「あいきゃんがディスコクィーンみたいに見えてカッコよかった!」といった印象が瞼の裏に強く焼き付きました。このシーンを筆頭に、あのセクションはホントに見応えがありましたね!(≧▽≦)

そして<WINDY STAGE>ですが、よしこさんセンター曲の『Deep Resonance』は、今回は電飾板で全身完全武装したポエポエが荒ぶるような演出とかはありませんでしたが、それでもカトタツ先生指揮・浦の星交響楽団のオーケストラ演奏によって、ずいぶんと迫力のある白熱したステージになっていました(^^♪

<OCEAN STAGE>&<SUNNY STAGE>それに追加公演となった<WINDY STAGE>と、最終的に全6公演の”3大ドームツアー”となった今回の6thライブでした。

これらの公演には、結局のところ、それぞれ1日ずつ配信組で参加することになりました。カネと時間と体力的な理由によって全通できなくて申し訳ない。。。(^^;

そして今回のドームツアーで個人的に特に印象的だったと今になって思うのは、端的に言うと「逢田さんカワイイ!」「あいきゃんカッコいい!」だったような(笑)

自分が見逃してしまった<WINDY STAGE>のDay2では、こんな告知がなされましたということです。(←伝聞調な言い回し)

ラブライブ!サンシャイン!!」は物語のジャンル的には、いわゆる”学園青春もの”
に分類されそうですが、ラブライブ!総合マガジン『LoveLive! Days』の誌上では、
よしこさんの真実在の姿(?)を元ネタにした異世界ファンタジーな世界観で
”ヌマヅ”を描いた「幻日のヨハネ」なるスピンオフの企画も存在しています。

この企画は、現段階ではコミカライズ版が実現したところですが、この度はシリーズアニメ化が決定したそうで、おめでとうございます!(^ω^)

  
このアニメは、低年齢層をターゲットにして日曜日の朝の時間帯とかに放映すれば、家族でも楽しむことができて、結果として多世代の層から支持され親しまれるような作品になってくれるかもしれません。安易な発想ですが(笑)

架空の町”ヌマヅ”が沼津市の観光プロモーションに寄与して、沼津市の観光に訪れる客層も家族連れのお客さんが増えてくれると、これは観光メインの宿泊施設にとっては追い風になってくれるものだと、そういった想像も膨らみます。(^ω^)

春アニメで1クール放映して、夏休みに家族旅行で沼津に長期滞在する、というのが理想の観光モデルだと思います。

もしかして、この企画は「アドベンチャーツーリズム in ヌマヅ」計画の一環???  

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このへんで次の話題に移りたいと思います。

このネタについて語ったところで、今回の記事は終わりにしたいと思います。今回も思いのほか長い記事になってしまいました。皆さま、お疲れ様です。(^^;

さて、この動画は公開から2か月の間に再生回数が440万回に達したみたいです。
ミクさんですね! スゴいですね! 快挙ですね!(≧▽≦)

  
2022年8月24日(水)に発売予定のこの新曲CDには、以下に予定されている公演の最速先行抽選申込券が封入されるとのことです。

Aqours EXTRAライブ

2023年2月11日(土)・12日(日)

【会場】武蔵野の森総合スポーツプラザ・メインアリーナ

2023年3月11日(土)・12日(日)

【会場】幕張メッセイベントホール

この公演の正式なタイトルは未定のようですが、たぶん「Aqours EXTRA LoveLive! ~BANZAI! digital trippers 2023~」みたいな感じになるんですかね?

そしてこのタイトル未定な「Aqours EXTRAライブ」について、大変に興味深い考察を動画に上げてくれる方がおられました。素晴らしいです!(^^)b

  
この動画について補足を加えると、このライブはまた、ぴあアリーナMMや東京ガーデンシアターでも敢えてやらない、という話になるのかもしれません。

ぴあアリーナMMと東京ガーデンシアターは収容人数がそれぞれ1万人、8千人の会場となっていますが、この両者はフロア数を増やすことによって、ステージと客席とが離れすぎないような工夫を施した設計がなされています。確かそうだったよね!?

この公演の会場となっている武蔵野の森総合スポーツプラザ・メインアリーナと幕張メッセイベントホールは、ファンの側からすれば正直言って評判の良い会場とは言えないような気もします。過去にそういった声も耳にしたような気がします。

次の過去記事では、コンベンションセンターのバカでかいハコを借りたライブ会場に対する不平・不満をぐちぐちと語らせてもらいました。すまんのう(^^;

3Dホログラムの技術は、2020年→2021年の年越しに無観客有料生配信で開催されたAqoursちゃん単独のカウントダウンライブ「WHITE ISLAND」の中でデモ映像な感じで披露されましたが、今度はアレが有観客ライブの場で実演されることになる、ということなんですかね!? 

あの時に観たホログラムの2頭のイルカが戯れている映像はどこか幻想的で美しかったので、ああいった技術は将来的に、特に巨大で無骨なハコのライブ会場には積極的に採用してほしいと思います。顧客満足度の向上につながると思います。

そして、6thライブツアーの会場に登場した”くるるん”の存在は、これからのライブの魅せ方をさり気なく示唆するものだったのかもしれません???

最後の最後にまたどうでもいい話ですが、この「Aqours EXTRAライブ」が現地参加組の好評を博した暁には、追加公演で福岡公演(会場:西日本総合展示場新館 注:事実上の北九州公演)もやってほしいです(笑)

今回の記事は以上です。

そろそろ夏も本番を迎えようとしている、そんな時期にありますが、熱中症や食中毒に気を付けて、それでは皆さん、ごきげんよう(^o^)/

アメイジング・マイクロツーリズム(!?)in 北九州(その3)~国指定重要文化財「門司港駅」を訪問しましたの回(後編)~

皆さん、こんにちは。(^o^)

今回の記事は前回の続き(後編)となるわけですが、前回の記事では北九州観光ネタの作りかけの記事が3本ほど待機しているということで、「ラブライブ!」ネタはしばらくの間はやらないだろう、みたいなことを語っていました。

しかしながら、本気を出して語るのではなく、軽く話題に触れるくらいにしとけば、まあいいんじゃないかということで、そういうことで、今回の記事の冒頭ではまずは軽く「ラブライブ!」語りからです。ああ、語りたい語りたい。 (^ω^)

まずは、今年の春アニメで、4月から虹ちゃんのTVアニメ2期が絶賛放映中です。
個人の金銭的・体力的な能力の低さによって、虹ちゃんについては、ほとんど付いて行けてない状態ですが、とりあえずTVアニメだけは観ています。(^^;  
今回の虹ちゃんアニメは、1期に引き続き期待を裏切らない出来栄えで、これはこれでなかなか面白いわけですが、劇中挿入歌の楽曲については、これ結構好きかも(^^♪

それでは次に「ラブライブ!スーパースター!!」の方にいってみましょう ('ω')ノ

Liella!(リエラ)ちゃんは5月27日(金)・28日(土)にアコースティックライブを横浜で開催して、6月4日(土)・5日(日)に2ndライブの大阪追加公演を開催して、翌週からは大阪・東京・名古屋の3都市でファンミーティング・ツアーを開催するという、かなり精力的なライブの活動を展開されているようです。

アコースティックライブは現地会場のみの公演で、同時に有料生配信とかはやっていませんでしたが、7月にこのライブの有料配信が行われることが決まったようです。

さて今年の3月と4月には、リエラちゃんの2ndライブ「Liella! 2nd LoveLive! ~What a Wonderful Dream!!~」が横浜・名古屋の両都市で開催されましたが、さらに6月は大阪で追加公演が行われる運びとなりました。

千秋楽となった大阪追加公演は結ヶ丘ガールズバンドの生演奏付きでした (^^♪


なお、サニーパッションさんのゲスト出演は今回はなかったようです。。。

リエラちゃんの2ndライブは結果として横浜・名古屋・大阪の3都市で開催されたわけですが、自分は横浜公演Day1、名古屋公演Day2、大阪公演Day2の各公演を配信にて参加させていただきました。

今回の2ndライブでは、すみれちゃんのセンター曲「ノンフィクション!!」に登場したすみれ色のお姫様ドレスがついに完成・初お披露目となりました。
    
すみれちゃん(ペイ子)がソロとセンターを務めたセクション(「みてろ!」~イントロダクション~「ノンフィクション!!」「Day1」~MCまでの一連の流れ)は、
今回のライブの一番の見せ場となって、ステージの中でも最も白熱した場面だったように思います。あっぱれペイ子!(⋈◍>◡<◍)。✧♡ 

ここで「ノンフィクション!!」のイントロダクション(導入部)では、なこちゃん対
なぎちゃんのダンスバトル(横浜公演・名古屋公演)や結ヶ丘ガールズバンドのメンバー紹介(大阪追加公演)とかやっていましたが、こういうのはなかなか心憎い演出で、実にギャラクシーでした!(≧▽≦)
  

TVアニメ1期10話のメモリアルアイテム「すみれのギャラクシーセンターTシャツ」を購入した人たちは、このTシャツを着て応援するのに最も良い機会に恵まれてよかったですね! 僕も買いました。(^ω^)
余談ですが、リエラちゃんの1stアルバム「What a Wonderful Dream!!」に収録の、
すみれちゃん(ペイ子)のソロ曲「みてろ!」は曲も歌詞もロック調なナンバーで、それをお姫様衣装の姿でパフォーマンスするギャップもまたよかったですが、今度はニューウェーブ・パンクのロックンロールなナンバーとかやってほしいかも (^^♪

たとえば、こんな感じのやつで。参考までに(笑)
  
それはさておき、7月からは「ラブライブ!スーパースター!!」のTVアニメ2期の放映が始まるそうで、ずっと前から楽しみにしていました。そろそろですね!
  
 ここからリエラちゃんには、2期生となる4名が新たに加わることになりました。

新メンバーのキャラ紹介からキャストメンバーの発表と続いて、6月8日の生放送ではついに2期生キャストメンバーの4名様が視聴者の前に初お目見えするスペシャル版となりました。      
  

さらに続いて、6月11日に大阪から始まったファンミーティング・ツアーでは今度は生のステージでの初お目見えとなりました。

個人的な好みでは、この子タイプかも (^ω^)(←ただのスケベオヤジです)

なお、6月8日の生放送によれば、のんちゃんは一般公募オーディションの追加合格者として、栄光ある試練の道へと入られた方だそうです。幸運を祈るッ!(`・ω・´)  


のぞみちゃんといえば、すでにこちらの方がお馴染みですが、あっちの新しい子は、あれはあれででいい!(⋈◍>◡<◍)。✧♡

           

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「軽く語っていこうと思います」とか言いながらも、記事作成の過程としては、ここまでたどり着くのに軽く3~4時間はかかってしまいました(笑)
ちなみに、のんちゃんとは違って、こちらは栄光なき茨の道です。。。(;´Д`)

前回はこんな記事を投稿しました。画像とリンク先の貼り付けがいたずらに多かったせいか、思いのほか長ったらしい内容となってしまった気がします。。。(^^;

今回の記事は前回の続きです。

まずは、JR門司港の駅舎の背面側(改札側)にある出入口の横ですが、そこには建物の2階へと通じる扉があります。

                           (2022年5月6日撮影)  
駅舎の2階は一般公開されていて、見学時間は9:30~20:00となっています。

復原改修工事前にも2階が一般公開されていた頃があったようですが、個人的な趣味の話では、当時は折尾駅の原始的な立体交差の方に関心を寄せていたので、門司港駅の件については全く気にも留めていませんでした。。。(^^;

2階の入口付近には、駅舎内の懇切丁寧な説明書きのある案内板が置かれています。  
      
                        (2022年5月6日撮影)


建物の2階は主に「みかど食堂 by NARISAWA」「旧貴賓室」「旧次室」で構成されています。小屋裏の様子が見学できるようにもなっています。

1階の出入口から2階へと通じる階段です。階段には赤のカーペットが敷かれており、装飾を施したニス塗りの手摺りや白塗りの壁面、電球が蕪のような形をしたシャンデリアなどと相俟って、すでにここから格調高い雰囲気を堪能することができます。
        
                      (2020年8月12日撮影)

        
                      (2020年8月14日撮影)

廊下の床はのっぺりとして、これにはレトロな味わいはあまり感じられませんが、
壁面、各部屋の扉、電灯や天井の方はかなり良い味を出しています。
        
                      (2020年8月12日撮影)
        
                      (2020年8月12日撮影)            
        
                       (2022年5月6日撮影)
「みかど食堂 by NARISAWA」・・・主たる客層をインバウンド客にターゲティングしたのだろうと思われる、地元の原住民には敷居の高そうな高価格設定の高級レストランです。とはいえ、自分でも入店できたので、ドレスコードなどは特に設定されていないようです。金さえ出せば中に入れてもらえるようです。小汚い不潔な格好とかでなければ「Tシャツ・短パンの軽装でも入店OK」と考えてよいでしょう。
提供された料理を寝そべりぬいぐるみと一緒に撮影とかやっても、この店ではきっと大歓迎してくれることでしょう。よかったな、ラブライバー。あ、おれも ('ω')ノ

次は「旧次室」に入ってみましょう。もっと正確には「旧貴賓室の次室」ということになります。2階入口の案内板の説明書きには「貴賓の従者が控えるための部屋」と
ありました。芸能人だったらマネージャー、政府高官だったら彼の秘書官が待機するための部屋、ということになるでしょう。
                          (2020年8月14日撮影)
部屋の大きな窓が南側に面しているので、陽当たりは良好です (^^)v

                     
                           (2022年5月6日撮影)
「旧次室」の室内はご覧のとおりがらんとしていますが、想像力が豊かな人たちにとっては、これはもしかすると想像を膨らませる自由度がより拡がって、かえって好ましい効果が期待できるかも知れません???

また室内には、福岡県内に現存するレトロ建築物を紹介するパネルが展示されてありました。   

「旧次室」のお隣は「旧貴賓室」となっていますが、この部屋は「みかど食堂 by NARISAWA」の客室の一部となって、飛び地みたいな扱いになっています。

                          (2020年8月12日撮影)   

部屋の内部は一般に公開されていますが、ここは「選ばれし者たち」のみ立ち入ることが許されています。しかし金さえ出せば、身分や出自は問わないようです。 
                           (2022年5月6日撮影)

床も天井も窓も壁面も、「旧次室」と比べるとずっと高級感があります。

                           (2022年5月6日撮影) 

「旧貴賓室」内のここにある扉は「旧次室」の室内に繋がるようになっています。      
                           (2020年8月12日撮影)

「旧次室」側から見ると、あちら側の扉が「旧貴賓室」の出入口となっています。
                          (2020年8月12日撮影) 

「旧貴賓室」と「旧次室」の間をつなぐ短い廊下の両側にある扉は「みかど食堂 by NARISAWA」用のトイレとなっていますが、特にこの店のお客さんでなくても利用できるようです。ちなみに写真の左手前側は女子専用、右の奥側の方は男女兼用となっています。
        
                       (2022年5月6日撮影)
この駅舎は大正当時の建築様式を丹念に忠実に復元させた渾身の力作な建物ですが、トイレの設備はバリアフリー化されて、いたって近代的です。

                          (2020年8月12日撮影)   

ここにある扉は、駅舎を正面方向から見ると、ちょうど2階部分の右端と1階右側部分の屋根裏との境目に位置しているものと思われます。通路の突き当たりにはエレベーターの扉が見えます。

あのエレベーターに乗って1階まで降りると、前回の記事に登場したスタバの店内に
出ることができます。意識高い系の人たちが好んで入店しそうなスターバックスも、この建物の中では質素で庶民的なカフェに思えてくるので不思議です。
        
                      (2022年5月6日撮影)

当然だと言えば当然なことですが、屋根裏の通路にある天井は、建物2階部分のそれと比べるといたってシンプル、質素です。しかしバリアフリーにはちゃんと配慮されているようです。
        
                       (2021年8月8日撮影)

通路にある窓を覗いてみると、案内板で「小屋裏」と説明のあった場所です。
門司港駅は木造建築の駅舎です。ここでは木造建築の強みであろう、木のぬくもりを感じることができそうです。

                           (2022年5月6日撮影)    

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「みかど食堂 by NARISAWA」の公式サイトによれば、この店は今年の4月にリニューアルオープンされたそうです。

リニューアルオープン後のメニューは、ランチタイム(11:30~15:00 門司港ランチ:3,800円、みかどランチ:4,800円)とディナータイム(17:00~20:00 リニューアル記念ディナー:15,000円 ※ディナータイムは土日祝のみ)となっていました。

かつて存在していたティータイムは、今は廃止されてしまったようです。。。

その昔は結構いい所に勤めていた私ですが、世の中うまくいかないことが多く、諸般の事情あって今となってはすっかり落ちぶれてしまい、アルバイト同然の底辺労働者の身になってしまいました。。。笑いたけりゃ、笑えばいいさ。

だがな、そんな私でありますが、「門司港ランチ」なら、その気になれば月に一度は行けなくもない。ここのランチには、そのうち挑戦してみたいと思います。

これは余談ですが、ひとつ欲を言わせてもらえば、のんちゃんと一緒にここでランチしてみたいです (⋈◍>◡<◍)。✧♡(←パパ活やっても無理な話)

それはさておき、この店は2020年の8月12日と14日にティータイムの時間帯に訪れたことがあります。 

                          (2020年8月12日撮影)    

店内は、天井の高いレトロモダンな落ち着いた内装となっています。
                          (2020年8月12日撮影)
ここは基本的に高級店です。値は張りますが、大事な人と一緒に価値ある稀な時間を過ごすには、よい空間を提供してくれることでしょう。

それで、自分自身のこの店における体験談についてですが、それは「ティータイムの時間帯にお邪魔して、ビールを飲んだりかき氷などをいただきました!」といった、何だかお粗末なものなのでした(笑) 

この時は盛夏の候。時計が午後3時を打つ。蒸し暑さで意識は陽炎(かげろう)と
化し、食欲不振なせいもあってか、だったら、とりあえずはビールでしょう???     
        
                      (2020年8月12日撮影)
当たり前のことを言いますが、1,320円(税込)のかき氷は、ファミマのフラッペよりもスタバのフラペチーノよりもずっと高級品で、少なくとも自分史の中では、こんなに美味なかき氷はかつて存在しなかったっす!

この時にいただいたかき氷はベリー系の味がして、これは恋ちゃんが好きそうな一品ですね!(^ω^)
       
                          (2020年8月14日撮影)  ちなみに、この日は朝から晴天で、午後になると「ネコなんかは絶対に外出できなくなるだろう」くらいな暑さに達して、ティータイムで1番に入店した客は自分だったらしく、ちゃっかり特等席(?)を陣取ることができました。

これはかねてからの念願でもありましたが、駅舎正面の2階の真ん中に位置する窓の中の方から外界の様子を眺めることができました。猛暑な午後の白昼夢でした。 
                          (2020年8月14日撮影)
そう言えば、小倉の方には、かのんちゃんが狂喜乱舞しそうなかき氷を提供してくれる店が存在するらしく、かのんちゃんと一緒にこの店に行くとすれば、寝そべりぬいぐるみとだったら実現しそうな話ですが、できることなら、さゆちゃんと一緒に行ってみたいなあ (⋈◍>◡<◍)。✧♡(←だから、パパ活やっても無理な話です!)

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ここで駅舎の外に出てみましょう。この駅は、この角度から見てもカッコイイ!

                          (2022年4月24日撮影)  

水分を摂ったら、生理現象でトイレに行きたくなります。ションベンをしたくなったゆえに、駅舎を出てから便所の棟にやって来ました。

便所の棟に入ったすぐの所にこのようなオブジェが存在しますが、説明板が邪魔してご本尊を拝観することができません。。。(´・ω・`)

                          (2022年4月24日撮影)  

2019年の5月にここを訪れた時には、こうなっていたようです。
説明板の位置があんなふうになってしまったのは、もしかしたら、ここで実際に用を足したバカとかがいたんですかね???
        
                       (2019年5月3日撮影)

また、便所の棟の出入口付近にはこのようなオブジェも存在します。
今の時代となっては、この手水鉢で実際に手を洗うような人はさすがにいないだろうと思いますが、これは現代的な機能としては、男子用と女子用の出入口の間に仕切りを立てる役割を果たしているものと思われます。
        
                      (2022年4月24日撮影)
説明板によると「戦時中に兵器の部品になることを免れた」・・・人間ではなく金属ではありますが、要は徴兵を免れたということで「幸運」ということらしいです。
幸福は平和と友愛の精神から。「戦争反対!ラブ&ピース」です。

ところで、改札内にある0哩(ゼロマイル)標の手前には「旅立ちの鐘 / 幸福の泉」
なるものが存在します。

                           (2022年5月6日撮影)   
                           (2022年5月6日撮影)   便所の棟にある「幸運の手水鉢」が歴史的・具体的な事実を物語っているのに対し、ここにある「幸福の泉」については、これは抽象的な観念を具現化させたものとして解釈することができるでしょう。

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「ほな次、行きまひょかー」ということで、今度は洗面所についてです。

SLが現役で活躍していた時代はおそらく言わずもがな、そうでなくても、国鉄がJRになっても夜行列車がまだ活躍していた時代までは、実際に需要があったのかどうかは別として、門司駅下関駅のプラットホームには1度に10人くらいが利用できそうなステンレス製の立派な洗面所が装備されていたのでした。

昔の大きな駅には、キヨスクと立ち食いそばのスタンドと洗面所が、あたかも三種の神器の如く備わっていたものでしたが、それも今は昔の話となってしまいました。

昭和の時代には少し大きな駅には普通に存在していたであろう「洗面所」という設備ですが、おそらく今の日本の駅からはほぼ姿を消してしまっただろうと思われます。門司港駅には、これが奇跡的に残存しているようです。          
                          (2022年4月24日撮影)  

蛇口をひねると当たり前のように水が出てくるかもしれませんが、今の時代になってここで洗顔したり歯磨きしたりするような人は、特段の事情でもない限り、さすがにいないように思います。ほぼ遺跡に近いような存在です。
                          (2022年4月24日撮影)   

駅の案内板の説明によれば、この洗面所のオリジナルとなる棟は1929年(昭和4年) に新設されたもの、とありました。

ここで前回の記事に登場した『門司停車場本家 其他 新築設計図』を持ち出すと、この時は便所の棟の横には何もありませんが、やがて昭和の時代に入ってから、この場所に洗面所の棟が建設されたようです。
それはそうと、この図面を見たところ、男性用の小用の便器の数が今と比べると2倍くらい多そうです。 

現在の門司港駅に保存された「旧洗面所」に違和感を訴える記事を見つけました。 

上の記事には女子洗面所、また次の記事には男子洗面所の写真が掲載されています。   

そしてその昔、自分も門司港駅にあった洗面所の棟の写真を撮影していました。


 改修復原工事前に存在していた洗面所は、男性用・女性用に分かれていました。   

 なお、2000年に門司港を観光した時、改修復元前は便所の棟の端にあったはず。

 その証拠となる1枚は、すでに1998年の8月に撮影していた模様。


   偶然にもこんな記録を残していおいたなんて、ぼくちゃんえらい!(^o^)

このような立派な造りをした、門司港駅にかつて存在していた洗面所の棟でしたが、それも今となっては滅失して、跡地は風通しの良い通路となりました。。。

                          (2022年4月24日撮影)    

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駅を出て、駅横にあるロータリーの端の方から駅の方を眺めてみましょう。

門司港駅の駅舎とともに、旧三井物産門司支店→国鉄門司鉄道管理局→JR九州本社と変遷を経てきた昭和レトロなビルディングが異様な存在感を醸し出しています。
        
                          (2020年8月14日撮影)  

そして、このビルディングの外観上の見どころは、こんなところにもあります!?
        
                      (2020年8月12日撮影)

今回の記事は以上です。次回は九州鉄道記念館を特集します。

それでは皆さん、ごきげんよう!(^o^)/

アメイジング・マイクロツーリズム(!?)in 北九州(その3)~国指定重要文化財「門司港駅」を訪問しましたの回(前編)~

皆さん、こんにちわ (^o^)

前々回、前回はこんな記事を投稿しました。北九州市内観光のネタでした。

前回の拙記事によるところでは、北九州市内観光でも特に門司港の街並みには個人的に並々ならぬ関心を覚えたらしく、それで今回はJR門司港駅を特集します。門司港の街を題材にした書きかけの記事があと3本ほど待機しています(笑)

ところで、自分のブログの記事は開設以来ほとんどが「ラブライブ!」に関する話題となっていますが、今の自分がこんな調子なので、当面の間はまだ北九州市内観光をネタにした記事が続くことになる予定です。すまんのう (^^;

また次の段階としては、それらの記事を基にして「1年ほど執筆が中断となっている
幻想的な小説の続きを書いて、この作品をそろそろ完結させてしまいたい」という、かねてからの思いがあって、今はそれを実行する計画を立てています。

要は、これの続きな (^ω^)

それで、何と言うか、その……生活のための労働や日常のよしなし事に時間と労力を奪われて、それらがあたかも手かせ、足かせ、拘束着となって、なかなか思うように羽ばたけないのがマジ辛いです、超ツラいです。。。(;´Д`)

このような事情から、このブログの記事が再び「ラブライブ!」の世界に戻って来る頃には、時期的にみて、このあたりをネタにして語りだすことになりそう???

もっとも未定な予定ではありますが、そうした所存でございます (^o^)

  

  

(2022年6月16日追記)
そう言えば、6月13日はマリーちゃんのお誕生日だったんだな。メンゴ、メンゴ(^^; 
  

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このへんで本題に入りましょう。

下に示した地図には「門司港」駅、「九州鉄道記念館」「三宜楼(さんきろう)」「四稀(しき)/門司港カフェ」の各地点に黄色のマーカーを施してあります。
これらのスポットを今回の記事から逐次話題に取り上げていく予定にしています。

それで、今回の主役はJR門司港駅です。

念のため、ここで前もって申し上げておきますと、今回の記事を作っていたら、どういうわけか書けば書くほど書くことが増えて、それに伴って貼り付ける画像やリンク先の方も多くなって、いつの間にか、当初に予想していた以上に長ったらしい内容になってしまったように思います(笑)

このような傾向は前回の記事についても言えることで、反省です。。。(^^;

なので、今回の記事については「前編」と「後編」に分けました。前編で全体の6割、後編で4割くらいの中身になるものと思います。そこんとこ、ヨロシク (^o^)


大正モダンなレトロ感にあふれる風格のある美しい建物です(2020年8月14日撮影)

          
                           (2022年5月6日撮影) 
駅構内のホームは2面4線あって頭端式のスタイルをとっており、列車が駅に到着して後方の車両から降車するほど、それだけ改札口までの距離が遠くなります。
利便性には欠けますが、しかし、これがまた終着駅にふさわしい、旅のロマンをかき立てるような風情のある佇(たたず)まいとなっております。

門司港駅はJR鹿児島本線の起点駅であり、構内に0(ゼロ)キロポストの標識が設置されているはずですが、それとともに日本の近代史の中では九州の鉄道の起点駅でもあって、0哩(ゼロマイル)標がモニュメント化されて設置されています。


                    ※出典:「門司港駅 - Wikipedia」より   

九州の鉄道の起点駅である門司港駅ですが、個人的にも一般的に見ても、どちらかと言うと「終着駅」のイメージの方が強いのではないかと思います。

かつての門司港駅は、夜行の寝台車付き客車編成の急行列車「かいもん」(鹿児島線経由・西鹿児島行き)や同じく「日南」(日豊線経由・西鹿児島行き)、夜行の寝台車付き旧型客車編成の鈍行列車「ながさき」(大村線経由で長崎行き)、また西鹿児島行きの昼行特急列車「有明」(後に「つばめ」)など、九州内を走る夜行・昼行の長距離列車の発着駅にもなっていましたが、そのような物好きな列車が存在していた時代も今は昔の話となりました。。。

あの頃は、今と比べて不便で野蛮な面に目をつぶれば、それはいい時代でした。
かつての物好きな列車の中には、今ではイベント化されて観光列車や行楽列車などの企画列車に転生した子もいるでしょう・・・ですよね? スーツさん (^o^)

  

スーツさんは金に飽かせて色々と楽しい企画を立てておられるようですが、それはさておき、ここでは門司港駅における「始発駅」ならぬ「出発駅」としてのイメージについて少し考えてみたいと思います。

それで、「始発駅」と「出発駅」をわざわざ区別して、いったい何がどう違うのか?
ここでは大雑把ですが、次のように定義しておきましょう。

 ・始発駅:単に「この列車はこの駅が始発です」という客観的事実
 ・出発駅:「この駅から旅が始まるんだ!」と思わせるような主観的な感慨  

結論から言ってしまえば、門司港駅を始発とする夜行・昼行の長距離列車が全滅してしまった今となっては、やはりこれは何と言うか。。。

近郊型の普通電車では何だかしっくりこないし、門司港駅を発着する定期の特急列車はビジネス色が濃厚で、これもいまいちピンときませんねえ。。。(´・ω・)

現在、臨時列車扱いで特急「かわせみ やませみ・いさぶろう しんぺい」が週末だけ
門司港~博多間を1往復していますが、あれはどんな感じなんでしょうね? 

一度、実際に門司港駅から乗車してみて、その時に感じ取った印象などを基に検証してみたい気もします。もし体験した人がいたら教えてほしいです。

ここまでに語ったことをまとめてみると、もしかすると次のようなことが言えるのかもしれません。好事家な人たちには興味深い仮説にも見えてくるでしょう (^o^)

門司港駅における「終着駅」としてのステレオタイプなイメージは一般の共通認識としてすでに確立されている。たぶん。

 

それに対して、門司港駅は九州の鉄道の起点駅でありながら「出発駅」のイメージは時代が変化するにつれて次第に薄れていった。

しかし考えても見れば、1980年代の国鉄時代を知っている鉄道ファンでもなければ、こんな話をウダウダと語るような物好きな人は誰もいなさそう。。。(^^;

そう言えば、前回の記事では門司港のまちの歴史について簡単に学びました。それによれば、この街はかつて、陸上と海上交通の結節点としての役割を担うことによって繁栄を遂げてきた港町だったのでした。

この文脈で行くと、当時の門司駅(今の門司港駅)には陸路交通と海上航路の中継点としての性格がより顕著になってきて、そうなると今度は「終着駅」や「出発駅」といった見方よりは単に「乗り継ぎ駅」と解釈した方が適切なのかもしれません。

門司港のまちの歴史によれば、1889年(明治22年)の開港と1891年(明治24年)の鉄道の開業は、それまで海辺の寒村に過ぎなかった土地に「モダンシティ☆もじ」が爆誕する起爆剤となったのでした。

ここで、門司港駅の沿革について簡単に見ておきましょう。

1891年(明治24年)4月
 門司駅(初代)開業。
 現在の門司港駅から約200メートル東側の地点に開設。

1907年(明治40年)7月
 九州鉄道(初代)が国有化される。

1914年(大正3年)1月
 門司駅(初代)が海側(西側)に移転したことによって、
 門司駅(二代目)が現在の地点に開業。

1942年(昭和17年)4月
 関門トンネル開通計画に伴い、門司港駅に改称。
 以後、関門トンネルの九州側の出入口となる大里駅が門司駅を名乗る。

1987年(昭和62年)4月
 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。

1988年(昭和63年)11月
 駅舎が国の重要文化財に指定される。

2012年(平成24年)9月
 駅舎の保存修理工事のため仮駅舎に移行。

2019年(平成31年)3月
 保存改修の工事を経てリニューアルされた駅舎が
 大正3年の当時の姿に復原されてグランドオープン。

 

                   参考:「門司港駅 - Wikipedia」より           

現在の門司港駅から約200メートル東側の地点(九州鉄道記念館の中央ゲート付近)には0哩(ゼロマイル)標と駅名標のモニュメントが設置されています。

説明書きのようなものは特にありませんが、「初代の門司駅はここに立地していて、九州の鉄道で本当の起点となったのは実はここでした」というわけです。

                           (2020年8月12日撮影)       

              門司駅(初代)の駅舎の様子
    
                   ※出典:「門司港駅 - Wikipedia」より

個人的には門司港駅には1980年代から何度か訪れていて、保存改修工事前の姿が刷り込まれているので、大正初期に竣工の当時の姿に復原リニューアルされた門司港駅の駅舎を初めて見た時はどこか違和感を覚えましたが、それは建物正面の1階部分を覆うようにして張り出していた庇(ひさし)が取り払われていたからでしょう。

下の画像は1998年(平成10年)の8月に撮影したものです。この頃は自分は北九州市近郊の片田舎にある実家を離れて関西の都会で暮らしていました。盆休みに帰省して友人と門司港を観光した時の写真です。リベット打ちの鉄骨が支柱となっている奥行きのある庇は1929年(昭和4年)に取り付けられたそうです。

そういった話を聞くと、大正時代の初期に建てられた堂々としたモダンな気品のある駅舎に、さらに昭和らしい重厚長大な要素が加味された印象を覚えます。

この庇はもともと自動車や人力車に乗って駅にやって来る人たちの利便性を考慮した設備ということらしいですが、昭和から平成へ、20世紀から21世紀へと、時は流れ、世は移り変わり、駅前にあったロータリーが駅横に移設されて駅前が噴水広場になる頃には、これはもう必要がなくなったのでしょう。長い間、お世話になりました。

現在では、鉄骨製の支柱の一部が往時の姿を偲ぶ資料として駅構内の片隅にひっそりと保存されています。
     「上家」と書いて「ひさし」と読む。(2021年6月21日撮影)

今回のテーマである「門司港駅について語る回」は、ここからいよいよ個人的な趣味の世界へと没入することになりますが、それはそうと、とりあえず、このへんの記事に目を通しておけば、誰でも「にわか門司港駅博士」になれるでしょう (^o^)

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上の章では、①門司港駅に対して抱く主観的なイメージ、②駅の簡単な沿革、③駅舎のファサード(建物正面の外観)に対する印象などについて軽く語りましたが、ここからは駅舎1階部分の内部について見ていくことにしましょう。

(ⅰ)まずは駅舎の正面口から入って左側の方について。

                           (2020年8月14日撮影)    写真の右側の手前の方に自動券売機が2機あります。その隣には今となっては何やらオブジェと化して実質的には機能していないような切符売り場の窓口が3~4つほどあります。

写真の左側には、少し奥まった場所に部屋の出入口が設けられています。ここは復原された大正時代には「1・2等待合室」として使用されていたそうです。

この部屋は現在では「みどりの窓口」と「観光案内所」として使用されています。
部屋の広さと比べると、ずいぶんと贅沢な使い方をしているように思われます!? 

自分が知っている1980年代の国鉄時代には、この往年の高級待合室はすでに「みどりの窓口」の部屋になっていたと思いますが、いまいち記憶が定かではありません。

この部屋が高級な乗客用の待合室からいつから指定席券の売り場「みどりの窓口」になってしまったのか、知っている方がいれば教えてほしいです。

(ⅱ)今度は駅舎の正面口から入って右側の方についてです。

                           (2022年5月6日撮影)     
写真の右側にある部屋は、大正初期に竣工した当時は「3等待合室」として使用されていたということです。

余談ですが、2019年は5月に平成から令和へと元号が移り変わることになりました。
平成最後の年(平成31年)の3月に駅舎が竣工当時の姿へと復原された形でリニューアルオープンすると、この部屋はスターバックスの店舗となりました。

日本の重要文化財の建築物の中にもチェーン展開してしまうスターバックス
世界のスタバ、スタバの世界は奥が深いですね Σ(・ω・ノ)ノ!

次に写真の左側について、スタバの出入口よりも少し引っ込んだ場所にあるチョコレート色の窓口みたいな設備ですが、かつての3等待合室の隣にあるこの部屋は、大正時代に駅舎が完成した時は「小荷物取扱室」として使用されていたということです。

しかしこの小荷物取扱室の窓口は復原はされているものの、オブジェと化して機能はしていません。この部屋はリニューアルオープン後は待合室として使われています。

 部屋の中(待合室)から窓口の方を見ると、こうなります(2019年5月3日撮影)

これは単なる個人的な趣味の発見ですが、上述した(ⅰ)と(ⅱ)の写真を見比べて思ったのですが、駅舎1階の中央コンコースは駅舎内を斜めに通り抜けています。

偶然に、そのことが分かる写真も記録に収めていました(←ぼくちゃんえらい!)

下の写真を見ると、駅舎の「正面の出入口」と「背面(改札側)の出入口」は互いにずれた位置に設けられています。

そのため、建物の正面と改札側と両側の出入口に連絡するコンコースは長方形状ではなく平行四辺形状に通り抜けるような形になっています。

                           (2021年8月8日撮影)    
これは多分ですが、切符を購入する人たちの形成する待ち行列が、ホームに到着した列車から降りて駅から出て行く人たちの邪魔にならないように、駅舎内の円滑な通行に配慮した構造になっている、ということなんですかね???

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一般読者の気を惹きそうにないネタばかり喋るので、ここで話題を変えましょう。

現在はスタバの店舗となっている部屋は、駅舎の保存改修工事が実施される以前は
「紗舞館(しゃぶかん)」という、しゃぶしゃぶ料理の店でした。

「紗舞館」で食レポされた方の記事がありました。その昔、僕も友人と一緒に2~3回ほどこの店で飲食したことがあります。価格はお手頃、味も無難なレベルでした。

今は昔、1998年の8月のお盆頃に入店した時のことでした。
この時、この店内で働いていたウエイトレスは若くて美人な女の子でしたが、あまり愛想が良い娘のようには思えませんでした。店の制服なのか、白いブラウスを着ていました。彼女の後ろ姿を見ると黒のブラが透けて見えました。一緒にいた友人がそのことを指摘しました。・・・以上、どうでもいい話でした (^o^)

それはさておき、食レポの記事によれば、「紗舞館」はJR九州フードサービスが運営して、この店に改装される以前は待合室に利用されていた、との記述がありました。

たしか「紗舞館」は国鉄がJRに分割民営化されたのを機にオープンした店舗だったと思います。国鉄の分割民営化は1987年(昭和62年)4月に実施されました。
たぶん、その直後あたりに出来たお店だったような記憶があります。

まだ交通公社だったか、すでにJTBに改称していたか、当時の時刻表のトピックニュースみたいなページに門司港駅のことが特集されていて、そこに「紗舞館」が新規にオープンしたことも紹介されていました。
とはいえ、これも今からすでに35年ほど前の記憶です。。。(^^;

下の画像はWikipediaから引用したもので、撮影時期は2008年6月という情報です。 

                    ※出典:「門司港駅 - Wikipedia」より   
この画像によると「紗舞館」の隣の部屋は「待合所」になっています。

国鉄が分割民営化されてJR九州になった時に、それまで待合室に使われていた部屋が「紗舞館」に改装されて、隣の小荷物取扱室に使われていた部屋が「待合所」になったということなんですかね?(←要検証)

ちなみに余談ですが、自分が知っている1980年代の国鉄時代には、切符売り場のある有人駅には 「手荷物小荷物扱所 携帯品一時預り所」という窓口が存在していて、たしかそういった記憶がありますが、しかしながら、このサービスは国鉄と運命を共にしたものと思われます。
コインロッカーが都市部だけでなく全国の駅に普及することになったのは、その後の時代になってからだったように思います。

また当時は宅急便が今ほど発達も普及もしていなくて、国鉄の車両には客車でも貨車でもない荷物車や郵便車などの車種もあって、それらの車両がまだ現役で働いていた時代――たぶん、鉄道がまだ陸上輸送の主役だった時代ということでしょう ('ω')ノ

次の記事は、当時はどこの駅にも見られた「手荷物小荷物扱所 携帯品一時預り所」の窓口の様子を想起するのに参考になるのではないか思われます。

また次の記事では、国鉄時代な昭和の頃、旧型客車編成の急行列車や普通列車には
荷物車や郵便車が連結されていたもので、そのことを知る参考になるでしょう。        

それはさておき、ここでまた先ほどの門司港駅の駅舎内の写真の話に戻ります。

次の記事には、門司港駅が保存改修工事に入ってから駅舎がいったん解体されることになる直前の様子を記録した写真が掲載されていました。

「待合所」の出入口の造りは、小荷物取扱室の窓口を改造したものだと容易に察しがつきますが、しかし、出入口の位置が復原リニューアルされた状態と比べると、またずいぶんと奥まった場所に移動していますね。Σ(・ω・ノ)ノ!
一見したところ、4分の1から3分の1くらいは縮小されたっぽいように思います。

                     ※出典:「もじこう観光ナビ」より
 左側の奥が「待合所」になっていた部屋。右側は「紗舞館」が入居していた部屋。  

                     ※出典:「もじこう観光ナビ」より

これは1914年(大正3年)の竣工後、どこかの時代になって、小荷物取扱室の面積を縮小することでコンコースの面積を拡張して、さらに駅舎の改札口側の出入口を増設する改築工事が実施されることになった、ということでしょう。知らんけど。

門司港駅は、ここがまだ門司駅だった1929年(昭和4年)に、駅舎の正面全体に大掛かりな庇が設置されたり、便所の棟の横に洗面所の棟が増設されたりしました。

「駅の乗降客の人数が大幅に増えたから」とかいった理由で、この頃に駅舎1階部分の改築工事についても行われることになった・・・そういうことなんですかね???

このことは、ネットで拾い集めた情報ばかりに頼らず、門司港駅の歴史が詳細に記録された文書や書籍を見つけ出して、それを紐解けば簡単に判明してしまうことのようにも思います。

学業や実務の分野で論文や資料を作成するような時には、文献漁りの活動は義務にもなってきますが、自分の記事はしょせんは趣味のブログなので、これは気が向いた時にでもやってみたいと思います。

もし知っている方がいらしたら、ご教示していただきたいです。他力本願です(笑) 

あと付け加えておくと、便所の棟と洗面所の棟のネタについては「後編」の方で語る予定にしています。お楽しみに!(^o^)

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そろそろスタバのフラペチーノが美味しい季節になりました。ファミマのフラッペと比べると高価な高級品です。

                          (2021年8月8日撮影)

スタバの店内に入ってみましょう。ここの店は昼間は行列ができていたりしますが、朝の時間帯は比較的空いていたりもします。          
                           (2022年5月6日撮影) 

ここのスタバの店内には、壁面に列車のヘッドマークを模したトレードマークが飾られていたりします。当駅の伝統を尊重しつつ自社の宣伝も兼ねています。

また店内の奥には駅舎の2階に連絡するエレベーターが設置されています。
この部屋にスタバが入居することになって、このような奇妙な構造になりましたが、結果的には、建物内を見学した時の楽しいギミックになっているようです (^ω^)

                           (2022年5月6日撮影)
エレベーターの真横に開かずの戸みたいなのがありますが、あれは何でしょう!? 

ここのスタバの店内には、壁面に昔の門司港駅蒸気機関車などの写真パネルが飾られています。店の一番奥の方にあるテーブル席の左端の壁面には、このようなパネルが飾られてありました。

                           (2022年5月6日撮影)
この写真は白黒ですが、店の出入口に貼り出してあるメニューの字体をよく見ると、そんなに古い時代の光景でもなさそうです。

このうどん屋さんは「紗舞館」の隣に店を構えていたようですが、自分は一度も利用したことがありません。というよりも、このお店の存在自体、まったく気にも留めていませんでした。特に有名店というわけでもなかったし、それでも今思えば、せめて一度くらいは入っておけばよかったかも。。。(^^;
     
         何を今さらですが・・・「わたし、気になります!」

このうどん屋さんに関する食レポの記事を見つけました。

この「門司港うどん」には駅舎の正面側と駅舎内の待合所内の2か所に出入口が設けられていたようです。
次の画像は、駅舎の正面側から「門司港うどん」の出入口が確認できる写真で、画面右端の銅像が建っている付近にそれを見ることができます。
                    ※出典:「門司港駅 - Wikipedia」より  

次の記事には、駅舎正面側の「門司港うどん」の出入口の様子が明瞭に分かる写真が掲載されています。

「待合所」の出入口から見ると、室内の右側の出っ張りとなっている部分の手前の方に「門司港うどん」の出入口があるのが確認できます。
     
※注:この画像は先述した食べログの記事「『重要文化財門司港駅「紗舞館」で、
   しゃぶしゃぶ!』by Akii」から引用したものを加工しました。

こちらの画像の方が、もっと分かりやすいかもしれません。
                     ※出典:「もじこう観光ナビ」より  またこちらの出入口は、復原リニューアルされた駅舎内に入居しているスタバの店内にあったエレベーター真横の「開かずの戸」と同じ位置にあるように思われます。

しかし、復原リニューアル後の駅舎で、同じ場所に位置すると思われる箇所は、ドアノブの付いた両開きの扉となっていて、あの開かずの戸は存在せず、上の画像にある支柱らしき物体も見当たりません。
                          (2019年5月3日撮影)   

ところで、復原リニューアルされた新駅舎には、待合室の奥の方に隣接している部屋がギャラリーになっていて、常設の展示品に目を向けると「ミニ資料展示室」らしき様相を呈してきます。

そこには『門司停車場本家 其他 新築設計図』なる図面が展示されていました。


                           (2022年5月6日撮影)  

「三等待合室」(現・スタバ)と「小荷物取扱室」(現・待合室)の両部屋を仕切る壁があって、小荷物取扱室の方には「保管庫」のスペースが設けられています。

この図面は、復原リニューアル工事の際の資料にも利用されたものと思われますが、それによると、「保管庫」の三等待合室側に開かずの戸が存在して、小荷物取扱室側はノブ付きの両開きドアになっていた、と見ることができそうです。

繰り返しになりますが、先に登場した食べログの記事によれば、しゃぶしゃぶの店「紗舞館」はJR九州の子会社であるJR九州フードサービスが運営していた店舗で、
そうなると、1987年(昭和62年)4月に国鉄が分割民営化された頃に出来た店ということになりそうです。

門司港うどん」はいつ頃からやっていたのか分からないですが、これもJR九州フードサービスが運営する店舗ではないかと思われます。おそらく紗舞館と運命共同体な店舗だったのかもしれません(←要検証)

それにしても、――門司港レトロの観光開発事業が開始される以前、JRに分割民営化される以前の国鉄時代には、門司港駅の駅舎内外や周囲の様子というのは、いったいどのようになっていたんでしょうね???

例えば、1980年時点の門司港駅の姿というものを想像してみましょう。

・旧1・2等待合室は主に「みどりの窓口」として使用されていた。
・旧3等待合室は引き続き「待合室」として使用されていた。
・旧小荷物取扱室は「手荷物小荷物扱所 携帯品一時預り所」に使用されていた。
・駅舎の2階では「みかど食堂」が細々と最期の営業を続けていた。   
・駅前のロータリーはタクシーとバスの乗降場に使用されていた。
・駅構内は、観光開発された今と比べると、もっとひっそりとした雰囲気であった。

こうした憶測がどれだけ当たっているのかは分かりませんが、ネット上で拾い集めた情報だけでは検証することはできそうにもありません。。。

文献や資料を漁って、さらには現地の昔の様子をよく知っている人と仲良くなれたりできれば、もっとよいでしょう (^ω^)

とりあえず、国鉄時代の門司港駅について、外観の様子を記録していたサイトを見つけることができたので、ここにリンク先を貼っておきましょう。

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さて、復原リニューアルされた新駅舎は、待合室の奥隣に位置する部屋がギャラリーになっていたのでした。

この部屋の中の様子はざっとまあ、こんな感じです。

                           (2022年5月6日撮影) 

部屋の中に入ってまず目を惹いたのは、この精巧にできた模型でした。庇付きの駅舎となっていて、便所の棟も再現されていますが、その横にあったはずの洗面所の棟は付いていなかったように思います。この模型はいつ頃に製作されたんでしょうね?                                         
                           (2022年5月6日撮影)  

この図面は『新門司停車場本家其他平面図』とあります。よく見ると、この時はまだホームが1本しかありません。4・5番はいつ頃になって増設されたんでしょうね?
                           (2019年5月3日撮影)

これは『新築門司停車場設計概要』とあります。設計の概要が図面ではなく、文書で明示されています。


                          (2022年5月6日撮影)

概要には「一、起工 大正二年三月十六日」「一、竣工 大正三年一月十五日」「一、本屋建物様式 ル子ッサンス」「一、同構造 木造二階建外面セメント塗屋根スレート葺軒廻リ銅板張」といった記載がなされています。
     

これは「野帳」というらしく、英語に訳せば「フィールドノート」!?
地味な作業に見えますが、文化財の調査では絶対に不可欠なプロセスらしいです。            
                           (2019年5月3日撮影)  

旧貴賓室の壁紙は、市民の協力が得られることで再現が可能になったそうです。
    
その他、改修工事の途中で出土された品が展示されています(2019年5月3日撮影)

これらは改修工事中に旧「みかど食堂」から出土された品のようです。     
                           (2019年5月3日撮影)   

関門トンネルの開通によって大里駅から門司駅に改称した方の駅舎には、1980年代のいつ頃にだったか、2階に日本食堂のレストランが入居していた記憶がありますが、
門司駅から門司港駅になったこちらの駅舎の2階では、高級レストラン「みかど食堂」が1981年(昭和56年)まで営業を続けていたそうです。
                           (2019年5月3日撮影)      
それで、この写真はいつ頃に撮られたものなんでしょうか? 戦前の頃でしょうか?  

ギャラリーの部屋から出てきました。駅舎と改札口の間は開放感のある通路となっています。天窓付きの頑丈そうな屋根が装備されているので、雨の日も安心 (^^)v
                           (2022年5月6日撮影)  

ギャラリーの出入口からほど近い、駅構内の海側の端の方には「関門連絡船通路跡」が残されています。通路は懐かしの写真が貼られた壁面によって封鎖されています。   
                           (2022年5月6日撮影)   

上の写真ではフェンスと支柱によって見えづらくなっていますが、こういったものが今も残されていました。「旧監視孔」と書かれています。
                           (2022年5月6日撮影)  今のように防犯カメラがまだ普及していなかった昔の時代には・・・たぶん、それとこれとは直接的には関係のない事だと思いますが。。。

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今回の記事では門司港駅を特集して、門司港駅に対して抱く主観的なイメージ、
②駅の簡単な沿革、③駅舎正面の外観に対する印象、④駅舎1階部分の内部の様子
などについて、見たこと思ったこと感じたことをウダウダと語ってきました。

次回の記事では今回の「後編」として、①駅舎2階部分の内部の様子、②便所の棟、  
③洗面所の棟
などについて語っていきたいと思います。

それでは皆さん、ごきげんよう!(^o^)/

アメイジング・マイクロツーリズム(!?)in 北九州(その2)~乙姫心で門司港レトロ(!?)を語る回~

皆さん、こんにちわ(^o^)
前回はこんな記事を投稿しました。今回はその続編です。

今回は北九州市の中でも最たる観光スポットである「門司港」をマイクロツーリズムしたことをネタにして語る回なわけですが、自分が門司港を訪問したのはここ近年の間でも実は複数回にわたっていたのでした(笑)
訪問した時期で大まかな区切りをつけてみると、次のように分けられそうです。

1期目:2020年8月12日(水)、8月14日(金)
2期目:2021年6月6日(日)、6月28日(月)
3期目:2022年2月26日(土)、2月27日(日)、3月6日(日)、3月12日(土)
4期目:2022年4月24日(日)、4月30日(土)、5月1日(日)

ちなみに、3期目の訪問では「北九州魅力満喫パスポート」を使用して観光を楽しませてもらったのでした。あの時は大変お世話になりました。アレはよかったです。
ありがとうございました。ごっつぁんです。(^o^)

ここで「門司港レトロ地区」について大雑把な説明をすると、まずはこの観光地の
シンボル的な存在として大正ロマンな建築美のJR門司港駅があって、1980年代の
後半から駅前や第一船溜まり周辺の区域が観光開発されて、1995年(平成7年)3月にめでたく「門司港レトロ」がグランドオープン。
それまで時代に取り残されて寂れてしまった港町がこれを機に年間約200万人が訪れる観光地に生まれ変わったそうです。ドラマですね!(^ω^)

第一船溜まりのほとりの一角から門司港駅の方向を眺望します。
向こうの岸には、左から海峡プラザ、旧門司三井倶楽部、旧大阪商船ビル、プレミアホテル門司港、さらに奥には、かつて国鉄門司鉄道管理局が入っていたビル(旧三井物産門司支店)、日本郵船ビル、門司港駅などの建造物が見渡せます。(2022年4月30日撮影)

地図で見ると、門司港レトロ観光線を境にして線路の左側がレトロ地区、右側が中心市街地、そういった見方もできるかもしれません。適当ですが(笑)
f:id:marronkun172:20220411023051p:plain
    ←←レトロ地区←←         →→→中心市街地→→→

門司港の駅前にあった観光案内板ではこうした表示がなされていました。
ちなみに、この案内板では左側が北を指しています。f:id:marronkun172:20220411023402j:plain
この観光案内板を撮影した画像にピンク色で1~7の番号を付けてみました。
この数字は次に示した行程表の①~⑦の施設に対応しています。

今回の記事は主に「門司港レトロ」地区の「中心部エリア」を観光したことについて語っていきたいと思うわけですが、先にも述べたとおり、門司港の街には4期にわたって訪れていたのでした(笑)
これについて、どのようにまとめるか考えた結果、今回の記事では、順路については2022年2月26日に訪れた時のことを基にして、写真画像については2021年6月28日に訪れた時に撮影したもの中心に貼り付けました。

2022年2月26日(土) 行程表

10:25 門司港駅 到着

10:45 旧門司三井俱楽部 入館

 12:00    〃     退館

12:10 旧大阪商船ビル 入館

 12:40    〃    退館

   (跳ね橋「ブルーウィングもじ」を渡る)

13:00 旧門司税関 入館

 13:15   〃   退館

13:20 北九州市大連友好記念館 入館

 13:40     〃       退館

   (路面電車「ワンマン・ボギー車100型」に乗車)

14:00 門司港レトロ展望室 入館

 14:30     〃     退館

   (第一船溜まり周縁を散策)

 14:45 焼きカレー店 入店

 15:10   〃    退店 

   (門司港駅に到着)

15:20 観光トロッコ列車「潮風号」 往路乗車

   (和布刈神社まで散策)

 16:30 観光トロッコ列車「潮風号」 復路下車

   (門司港駅に到着)

この日の行程ですが、については当初は九州鉄道記念館を訪れる予定にしていましたが、九州鉄道記念館駅まで来たところでトロッコ列車がちょうど駅に停車中であったのを目撃して、観光トロッコ列車は「北九州魅力満喫パスポート」が使える対象となっていて、迷わずそっちの方に乗車してしまったのでした。。。(^^;

さて、の観光施設を見て回った経緯については、また後ほど触れることにしますが、その前に門司港の街に関する話題を二つほど挟んでおきたいと思います。
これらを予備知識として押さえておくことで、この街の観光もより味わい深いものになるのでしょう。よかったですね!(^o^)

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ここで北九州市門司区の概要について見ておきましょう。

上記に紹介した記事を閲覧してもらえば、門司港の地理や歴史についてひと通り知ることができるわけですが、また「門司区 - Wikipedia」の記事の中には北九州市門司区(かつては福岡県門司市だった)における1890年から2020年にかけての約130年間の人口推移のグラフが掲載されていましたが、これは個人的に大変に興味をそそられるものがあります。 

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                 ――引用:「門司区 - Wikipedia」より――                  

Wikipediaの記述によれば、港町としての門司の起源は明治時代に遡り、1890年頃の
築港と鉄道敷設に端を発したらしいです。北九州市の公式な情報によれば、明治22年(1889年)に開港したということです。

それから1940年頃までの約50年の間、門司港は石炭の積出港から始まって、やがては横浜、神戸とともに日本三大港の一つとして名を馳せるまでに発展しました。
当時の門司港は日本でも有数の国際貿易港へと成長を遂げて、日本の近代化を推し進める力となったわけですが、その過程で門司の市街地も国際港湾都市として、急速に発展していきました。

1930年代になると、門司港の街もいよいよ栄華を極めることになったようです。

太平洋戦争が激化するに伴い人口は一時的に減少に転じますが、戦後は復興期から
再び人口の増加が始まりました。
1950年代には朝鮮特需に沸くこともありましたが、戦後は中国との国交が絶たれ、
門司港は最大の得意先であった貿易国を失うことになりました。さらに1960年代には筑豊の炭田が相次いで閉山したことによって、石炭の積出港としての役割も終えることになりました。
かつては陸上と海上交通の結節点としての役割を担うことによって繁栄を遂げてきた門司港でしたが、戦後の経済成長期には、もはや本州ー九州間の単なる通過点となってしまい、日本国内における港湾の中での門司港の地位は、次第に低下していくことになったようです。

1959年(昭和34年)には門司市の人口は165,010人に達して、ここで市域における人口の増加はピークを迎えますが、それから後は60年を経た今日に及ぶまでひたすら減少の一途をたどっています。
1963年(昭和38年)2月には門司・小倉・戸畑・八幡・若松の五市合併により北九州市が発足し、門司市北九州市門司区となりました。この五市合併は門司側にとってはあまり歓迎できるような出来事ではなかったように見えます。

それからさらに時は過ぎて、2022年(令和4年)3月の門司区の推計人口は91,833人となっています。また『令和2年10月1日現在で実施された国勢調査の人口等基本集計(北九州市分)』によれば、門司区人口に占める65歳以上の割合(高齢化率)は39.0%と、これは北九州市の行政区の中でも最も高い値となっています。

ここで門司港の街の歴史についてざっと見てきましたが、この九州の北端に位置する
港町は日本の近代化とともに発展し、戦前の1930年代にはいったん栄華を極めることにもなりましたが、戦後になって1955年~1960年あたりから本格的に始まった日本の経済成長からは次第に置いて行かれることになりました。
これでは『平家物語』の冒頭を思い出してしまいそうです。。。

祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

また門司だったら、林芙美子ゆかりの地ということで、こういうのもアリかもしれません。この短詩は、個人的な思いではしみじみと心に沁みて、この一言で人生の真理を端的に言い表しているものだと、つくづく感心してしまいます。

花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき

それはさておき、門司港の歴史についてざっくり概観してみると、あえて言うなら、それは戦後の経済成長に置いて行かれてしまって、時代にすっかり乗り遅れてしまった衰退の止まらない寂れた場末の港町。
もののあはれ」と「わびさび」の情趣ただよう、われらの愛すべき街。門司港

そこに一条の光をもたらしてくれたとも言えそうな「門司港レトロ」構想ですが、
その観光開発の経緯については、次の記事にある内容を読まれるとよいでしょう。

門司では、経済が沈滞する中、老朽化した建物・倉庫群が取壊しの対象となり、旧門司税関旧大阪商船旧門司三井倶楽部(門鉄会館)などの歴史的な建物も解体されようとしていた

門司港レトロ事業で復元された旧門司税関と第1船溜り周辺に整備された商業施設。

1986年(昭和61年)に北九州市長に就任した末吉興一は、翌1987年(昭和62年)門司港に残る歴史的遺産を生かして街を整備する門司港レトロ」構想に着手した[276]。特に、1988年(昭和63年)門司港駅が国の重要文化財に指定されたことを機に、洋風建築保存・活用の気運が本格化した。この年、北九州市門司港レトロめぐり・海峡めぐり推進事業」自治省ふるさとづくり特別対策事業に採択され、予算が付与された運輸省の歴史的港湾環境創造事業を利用した旧門司税関の復元、第1船溜り出入口の跳ね橋ブルーウィングもじなどの西海岸地区緑地整備事業友好都市大連市の旧東清鉄道事務所を複製した国際友好記念図書館の建設も進められた。総事業費約300億円が投入され、1995年(平成7年)3月門司港レトロがグランドオープンした第1船溜りを中心に、賑わいが生まれた

その後、1997年(平成9年)から2007年(平成19年)にかけて門司港レトロ第2期事業が実施され、九州鉄道記念館海峡ドラマシップ(関門海峡ミュージアムなど、新しい観光施設、宿泊施設、商業施設も次々オープンした。かつての門司築港が建設した門司港外浜を通る線路には、2005年(平成17年)まで貨物列車が走っていたが、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線トロッコ列車(潮風号)が走るようになった2014年平成26年には三宜楼が保存修理工事を経て一般公開された

2001年(平成13年)に閉店した山城屋

一方、1937年昭和12年)に門司港地区に開業し門司唯一のデパートとして親しまれていた山城屋が、小倉を中心とするデパート戦争に取り残され、1994年(平成6年)に倒産手続に入り、2001年(平成13年)に閉店し、経済の衰えを象徴する出来事となった。観光地化された中心部を外れると、人通りが少なく、寂れつつあるとの指摘もある

        ――引用:「Wikipedia」より――


そう言えば、1980年代の中盤から後半にかけては日本社会がバブル経済に突入して、レトロブーム、エスニックブーム、海外旅行ブーム、バンドブーム、財テクブーム、テーマパークの建設ブーム、新興宗教ブームなどの様々なブームが発生したりして、それらが社会現象になっていたような記憶があります。

それはさておき、「門司港レトロ」を構成している建築物群については、次の記事の中に大まかな一覧で紹介されてありました。

上記の一覧の他にも、次のような建築物が存在します。

・旧大連航路上屋 -1929年(昭和4年)築。2013年(平成25年)7月に再オープン。

三宜楼 - 1931年(昭和6年)築。市民の保存活動、募金等により北九州市に寄贈
 され修復。2014年(平成26年)4月にリニューアルオープン。

昭和の中期には時代の潮流からすっかり置いてきぼりにされて寂れてしまった門司港の市街地でしたが、「門司港レトロ」の観光開発をきっかけに、令和となった現在では「港町の歴史と文化のロマン薫る国際文化観光都市」への可能性を模索していると言えそうな感じもしなくはない???
かつては栄華を極めた国際港湾都市の、あの栄光の時代は、幾星霜の時の流れの中で「イデア」となって抽象化・昇華され、そしてそれが今となっては、この街に再び
生命の息吹をもたらしているようにも思われます。

「夢ですか? 現実ですか?」
「はっきりとしたことは言えませんが、それはきっと――真実在です。」

そのような、われらの愛すべき「門司港レトロ」の観光情報については、こちらを
閲覧されるとよいでしょう。この観光ガイドは何だか公式なサイトっぽいですね。

なお、こちらは北九州市全域と山口県下関市を含めた観光案内となっています。

以上、ここでは北九州市門司区(かつての福岡県門司市)における1880年~2020年(明治の中期から令和に至るまで)の約130年間の人口の推移から、大雑把ではありますが、門司港の街の歴史について紐解いていきました。

すると、われわれがこの章で見てきたものは実は何だったかと言うと、よくよく考えてみれば――諸行無常の理」vs.「永遠不滅のイデアの構図――つまり、そういうことではなかったのか!? さらに言うならば、これは文学的・哲学的なテーマにも通じるようで、普遍性があります。

諸行無常の非情な掟に抗(あらが)う人間の主体的な精神と情熱に、儚くも美しい
物語を感じずにはいられません。
個人的には、門司港の街は大変に興味深く思われました。ああ、奥床しい。(´ω`) 

ここでまたさらに余計なことを付け加えると、僕はもうかれこれ8年近くラブライバーを続けていますが、「ラブライブ!」楽曲の中では lily white(リリーホワイト)の「乙姫心で恋宮殿(おとおひめはーとでらぶきゅうでん)」が一番のお気に入りで、これは2015年に発表された曲ですが、今になっても3日に1回は聴いてます(笑)

門司港の街を観光してみると、この楽曲の歌詞と門司港の物語とは、一言一句すべてが当てはまるというわけではありませんが、大意でとらえてみれば、ずいぶんとしっくりくるように思われました。(^^♪

人の世は(すぐにすぐに)変わるけど
私の願いは(変わらないわ)
うず潮よりはげしく あなた揺さぶりたいの

「来て…!」

むかしのむかしの物語 伝説の宮殿で
恋した恋した殿方
ああ還らない(さだめなのよ)
こよいのこよいの物語 伝説がよみがえる
恋する恋するはずだわ
そうよ あなたが来てくれた
なにもかも忘れて ゆらゆら踊りましょう

  

自分のブログ記事には、リリホワの「乙姫心~」がこれまで何度となく登場してきて恐縮なわけですが、個人的な人生に対する最大の関心というのは、おそらくこういう所にあるのでしょう。知らんけど(笑)
そう言えば、5年前の今頃にも場所は違えど、こんな記事を投稿したのでした。(^^;

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全然話は変わりますが、前回の記事では「ガールズ無法松」という萌えキャラが登場しましたが、この子たちは小倉っ子なキャラなのでした。  
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 ♥YouTubeにチャンネルがありました。応援してあげましょう!(⋈◍>◡<◍)。✧♥  
  

それで、門司港ご当地キャラと言えば、「じーも」と「バナナ姫ルナ」という  
キャラがおられてですね・・・門司っ子なキャラといえば、海坊主&お姫様!?
さらに見方を変えれば、妖怪&妖精 (^o^)
     
      じーも(2022年5月1日撮影)

                   
                  バナナ姫ルナ(2022年5月1日撮影)                  

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      「じ~も&バナナ姫 出演」の『じ~もの門司港バナナ伝』
  

北九州市門司区の公式サイトによれば、「じーも」が門司区の公式マスコットキャラに認定されたのは1999年(平成11年)ということで、もう20年以上も前の話です。
このご当地ゆるキャラは妖怪の海坊主がモチーフになっているのだそうです。

いっぽう「バナナ姫ルナ」は北九州市の観光課が企画したキャラで、「門司港名物・バナナの叩き売り」から着想を得て2015年(平成27年)に爆誕したのでした。
キャラクターデザインを手掛けられたのは、しいたけさんというイラストレーターで、この方は北九州地区を主な拠点にしながら活躍されているようです。

また「バナナ姫ルナ」には実写版も存在していました。
「バナナ姫ルナ」の企画が持ち上がったのは元北九州市職員の井上純子さんが市の
観光課に配属されていた時のことで、それで地元のハロウィンイベントの仮装大会でグランプリに輝いた実績もあるという井上さんが「バナナ姫ルナ」の役を演じることになって、市の観光行政の職務を遂行することになったのでした。
ここで井上さんは、2016年の夏から2018年の3月までの間、”コスプレ公務員”として北九州市のPR活動に精力的に励まれていたようです。

2018年3月末に人事異動の関係で「バナナ姫ルナ」の職務をいったん引退されましたが、観光客や市民たちから引退を惜しむ声も多かったそうで、その声に応えてか引退から半年後には、今度は一市民によるボランティアとして復活を遂げました。
公務員の仕事を離れたプライベートの時間をやり繰りしながら、2020年に入って日本の社会・経済がコロナ禍の影響を余儀なくされるようになる直前まで実写版の出演をこなされていたようです。
  「バナナ姫ルナ」を演じられた井上純子さんはご自身の公式プロフィールによれば、2020年9月に北九州市職員を退職されて、2021年には晴れて北九州市の市議会議員となられたようです。おめでとうございます。
安定してはいるがいろいろと制約が付きまとう行政の仕事から足を洗って、その次はより自由度は高いが責任も重い政治の分野で活躍されて、偉いですね。(´ω`)

また、しいたけさんは「萌えキャラ」よりも「お姫様キャラ」絵師の巨匠といった
イメージの方が強そうです。

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さて、ここからは「門司港レトロ」地区の中心部エリアについての、かなり主観的な観光ガイドです。(^o^)

門司港駅

門司港の観光は、個人的な趣味の見解によれば、門司港駅から始まります。
駅舎が国の重要文化財となっています。

日本の駅舎で国の重要文化財に指定されているのは、東京駅と門司港駅だけです。

電車がJR門司港駅に到着してホームに降り立ったら、すでに門司港レトロの観光スポットに入り込んだも同然です。(^ω^)
上の画像は月曜日に有休を取ってここに来た時に撮影したものですが、駅舎をバックに若い男女が何やら写真や動画の撮影みたいなことをやっています。何だか楽しそうでいいですね。おれには関係ないけれど。。。(2021年6月28日撮影)

鉄道愛好家でレトロ建築愛好家なら、この駅で軽く2~3時間くらいは遊べてしまいそうですが、門司港駅の内部を見て回った件については、こっちの勝手な都合で今回は割愛させてもらって、これは次回の記事でじっくり語りたいと思います。(^^;

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駅の正面口から駅前の方を眺めると、日本郵船ビル、旧門司三井俱楽部、旧三井物産門司支店などの建物が見えてきます。左のレンガ造りの建築物は、あれは観光開発によって建設された築浅物件のようです。(2021年6月28日撮影)

ここで余談ですが、旧三井物産門司支店のビルは、自分が子どもだった頃には、国鉄門司鉄道管理局が入居していたので、勝手に”門鉄ビル”とか呼んでいました。
この私も、今ではすっかりくたびれたおっさんに成り果ててしまいましたが、屈託のない無邪気なバカ息子だった頃が、苦くも懐かしいですねえ。。。


旧門司三井俱楽部

この建物はもともと、今の場所よりももっと内陸の方に入った谷町という地区に建っていましたが、門司港レトロの観光開発事業によって、1991年(平成3年)に門司港駅前にある現在の地点に移築されました。
門司港駅に続いて、この建物も国の重要文化財に指定されているそうです。

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ごちうさ」の舞台に出てきそうな建物ですが、このような建築デザインは建築用語で「ハーフティンバー様式」というらしいです。(2021年6月28日撮影)

この建物はもともと三井財閥の社交場で、建物の中はパリピの巣窟です(ウソです)  

噂によると、東京都港区にある三井俱楽部も、かなりイカれたヤバいハコらしいぜ。
   ※ちなみに、この画像は三井グループのサイトからのものです。念のため。

東京の本店と単純に比較してはいけないようにも思われますが、門司の支店にはかつてアインシュタイン博士夫妻が宿泊したことがあって、さらに博士は門司に滞在中に地元民が年中行事で開催していた餅つき大会を偶然見かけて、その光景に興味百倍して飛び入り参加された、というエピソードは大変に気に入りました。(^ω^)

門司の支店には「アインシュタイン メモリアルルーム」という有料の展示室があって、そこに展示されていたパネルにその旨の記載がありました。

それはさておき、門司港にある方の古い洋館は建物内を嘗(な)めまわすようにして見学できるので、レトロ建築愛好家にはおススメの物件だと思われます。
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通路には緑のカーペットが敷かれていて、漆喰の白壁、ニス塗りの階段、ペンキ塗りの手摺り・・・うーん、レトロ、レトロ!(^o^)(2021年6月28日撮影)

建物の1階にはレストランがあって、地元のふぐ料理店「まんねん亀」が運営する「和洋Restaurant・三井俱楽部」となっています。

旧門司三井俱楽部の2階は有料展示室として使用されていて、「アインシュタイン
メモリアルルーム」&「林芙美子記念室」となっています。(入場料:大人150円)
これらの施設に展示されている資料やパネルを丹念に見て回ったりでもしたら、ここでも軽く2時間は過ごせそうです(笑)  

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2階の窓から外を眺めると旧三井物産の建物が見えます。平成のレトロ観光開発事業によって、職場のすぐ近くに会社の保養所ができました!?(2021年6月28日撮影)


ここに来れば、あの懐かしの男性用小便器にも出会えるぞ!(2021年6月28日撮影) 

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       庭園から門司港駅を見渡します。(2021年6月28日撮影)

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 この庭園からはまた旧大阪商船ビルの背面が観れます。(2021年6月28日撮影) 

この建物のさらに面白いところは、ドイツ風情な洋館の後ろに日本風の平屋の家屋が付属しています。ちなみに、日本家屋の部分は一般公開はされていないようです。 

      ※なお、この画像はWikipediaの記事の中にあったものです。

それにしてもですが、この建物がここに移転される前の昭和の時代は、この区画にはいったい何が建っていたんでしょうね?・・・「わたし、気になります!」    
        

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       こちらは自分が撮った画像です(2021年6月28日撮影)

ところで、付属の日本家屋の方は、厨房や女中の詰所になっていたんですかね!? 
洋館の方を訪問して正面の玄関の扉を開けたら、このお二人が出てきそう???       
    
           サヤさん          恋ちゃん

(2022年5月6日追記)
当該区画の昭和の土地利用について「門司港 古地図」で検索をかけてみたら、簡単に見つかってしまいました(笑)

旧大阪商船ビル

この建物は同志社大学の校舎みたいな外観をしていますが、それにしても、なかなか見応えのある建築物ですね!f:id:marronkun172:20220418042809j:plain
一見レンガ造りのように見えますが、建物の赤茶色の部分は近くで見るとタイル貼りになっています。(2021年6月28日撮影)

1階は有料の施設となっている「わたせせいぞうギャラリー」(入場料:大人150円)の他、入場無料のアートギャラリー、カフェなどが入居しています。また2階は多目的ホールとなっており、こちらは一般には公開されていません。

          
           建物入口の重厚な造り(2022年4月30日撮影)

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ここはプロムナードデッキみたいな場所ですね。この建物は旧門司三井俱楽部のように洋館の内部を堪能することはできませんが、こういう空間があるのはいいですね。そう言えば、ここはもともとは大阪商船ビルなのでした。(2021年6月28日撮影)

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ここは無料のスペースに属する場所ですが、わたせせいぞう氏の作品がさりげなく
飾られています。(2021年6月28日撮影)

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  これは大阪商船の広告ポスターのようです。レトロなムードに溢れています。      
  なお、ここでは金庫破りゲームが楽しめるようです。(2021年6月28日撮影)    


わたせせいぞうギャラリー」でポストカードを購入しました。左は令和に生まれ変わった門司港駅で、右は建物前面に大きな庇(ひさし)が付いているので、平成まで存在していた駅舎です。門司港カップルで観光される方たちも多いです。おれには関係ないけれど。。。(2022年4月24日撮影)


〇跳ね橋「ブルーウィングもじ」

旧大阪商船ビルは観光的な要素がメインでした。好事家で「趣味の人」のような珍客が見学したがる要素には乏しい感じなので、あの建物は30分ほどで脱出が可能です。


旧大阪商船ビルを出てから、ホームリンガ商会の建物(1962年[昭和37年]竣工)とプレミアホテル門司港の建物(1998年[平成10年]竣工)の間を通る道を抜けると、岸壁エリアへと出ます。(2022年5月1日撮影)


旧大阪商船ビルを出て、そこから歩いてきた道を岸壁エリアの地点から振り返ってみると、こんな様子(2022年5月1日撮影) 

岸壁からは関門海峡が広がり、向こうに関門橋が見渡せます(2022年2月27日撮影)


      「旧門司第一船だまり」の説明案内板(2022年3月12日撮影)

左手に関門海峡関門橋を眺めながら岸壁に沿って行くと、跳ね橋「ブルーウィングもじ」にやって来ます。
           
俗説によれば、この跳ね橋は”恋人の聖地”とされているらしく、恒常的な人口減少と若年層の流出、それと高齢化が同時に進行している北九州市では「産めよ増やせよ」の政策にも積極的なようです???(2022年4月30日撮影)


そう言えば、2022年2月27日にここを訪れた時、ちょうど山型の形になった跳ね橋が
元の状態に戻るところでした。

そこから通行可能な状態になるまでの数分間に両岸の袂(たもと)には通行待ちの
観光客がそれなりの人数集まった状態になるので、橋が渡れるようになると、現場の係員の指示に従って両岸にいる観光客は右側通行で行き交うことになります。

そして自分も人々の流れにしたがって、ぞろぞろと右側通行の列に混じって橋の上を
一人で歩いていると、目の前の方では若いカップルが手をつないで、幸せそうに
ちんたらちんたら歩いているわけですよ。。。

「腰に手を回しているわけでもないから『オレたちヤりまっくてます』をパラ言語で
周囲に見せびらかしているというわけではない。どちらかと言えば、何故だか彼らの姿が、むしろ生気に満ちて爽やかな光景にすら見える。だけど、それにしても・・・いいなー、いいなー、うらやましいなー! ああ、羨ましい、羨ましい。。。」

背後から彼らの姿を一人眺めていると、正直そんなことを考えてしまうわけですが、
しかし、そろそろこのへんで自分も、もういいかげんに悟らなければならない。

「自分の幸福だけを願うよりも、人々の幸福を願える者にならなければならない。
俺は〈最大多数の最大幸福〉の増進に寄与できる人間にならなければならない。
そ、そう、そうなのだ。そうでなければならないのだ!」(←覚醒!?)

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前略。橋の上より。――ここで不覚にも図らずして、人としての然るべき道を悟ったところで、次の目的地(旧門司税関、大連友好記念館、門司港レトロハイマート)を橋の上から眺めます。(2022年2月27日撮影)  

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両側の岸辺から上がって開いて山の型へと変形を完了した跳ね橋は、その状態から
元の橋の形に戻るまで約8分を要するそうです。(2021年6月28日撮影)


旧門司税関

自作の「行程表」によれば、次の目的地点となる、旧門司税関です。
2階建ての低層建築物ですが、レンガ造りの壁面が美しく、眺めていて壮観です。

  思わずレゴで作ってみたくなるようなレトロ建築!?(2022年4月30日撮影)    

旧門司税関の建物内部は無料で見学できます。1階には税関の広報展示室、フルーツパーラーが入居している他、市民ギャラリーなどにも利用されているようです。
2階は中央部分が吹き抜けとなっていて、内壁に沿った床部分が休憩スペースとして観光客に開放されています。
f:id:marronkun172:20220418043530j:plain税関広報展示室です。意外な発見があるかもしれません。特に国家公務員になりたい人はたち寄ってみるとよいでしょう。(^o^)(2021年6月28日撮影)

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 お薬の種類にも詳しくなれそうです。よかったな!(^o^)(2021年6月28日撮影)  

この建物は外観には素晴らしいものがありますが、内部の方は旧門司三井俱楽部とかと比べると、中身に乏しい印象です。
当時の部屋の様子を今に伝える物件というのがレンガ積みの壁面のみで、――しかしこれは、明治の頃から当時のままずっと残されているものかもしれないので、無類のレンガ好きには楽しい場所のように思われます。

天井の方を眺めてみると、現代の技術を駆使して延命治療を施している様子がよく分かります。建築家や大工さんになりたい人たちは、旧門司税関の建物を内部までよく見学されるとよいでしょう。(^ω^)

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 うーん、まったく見事に素晴らしく、美しい壁だ。(´ω`)(2022年2月26日撮影)

 

北九州市大連友好記念館

これはまたレトロ建築の粋を集めたような構造をしていますが、この建物は「北九州市により整備された、歴史的建造物の複製建築物」というのが実の姿です。
竣工は1995年(平成7年)で、今年で築27年となるわけですが、レトロな建造物からすれば、築浅な物件とも言えそうです。

建物の内部は1階が中華料理店、2階が休憩スペースとして一般に開放されています。
お食事&休憩ができる場所で、トイレもあります。観光地にある市営のレストハウスと言ったところでしょうか。

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     こっちの方はまた、難易度の高いレゴ!?(2021年6月28日撮影)

    建物の正面玄関の扉を開けると、この子たちが出迎えてくれそう??? 
           
              ココアさん   チノちゃん ティッピー

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小ぢんまりとした瀟洒(しょうしゃ)な洋館で、外観は複雑な形状をしています。
「こんな家に住んでみたい!」と思っている人は、住宅ローンを150年くらいで組めば、個人でも建てられるかもしれません。知らんけど(笑)(2021年6月28日撮影)  

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2階の休憩スペースは飲食禁止となっています。空調が完備されています。特に夏場の熱中症対策、普通に観光で歩き回った後の水分補給、また旅行の行程を突如見直す必要が生じたとか、お土産品を整理する時などに便利です。(2022年3月12日撮影)   


このへんの土地利用も昭和の頃はどうなっていたのか、「わたし、気になります!」の対象となりそうですが、それはさておき、大連友好記念館の庭には桜の木が何本も植えられていて、桜の時期になるとお花見の名所にもなりそうです。

しかし、ここに植えられているのはソメイヨシノではなく八重桜のようなので、4月の下旬になってもお花見ができてしまいます。

半ば葉桜になっていますが、八重桜は山桜で、ソメイヨシノにはない野趣が魅力的
とも思われ、むしろ葉桜の方が風情があるかもしれません。(2022年4月24日撮影)

 

路面電車「ワンマン(ボギー)車100型」

これは2022年2月26日(土)の話です。

大連友好記念館を出たのが13時40分。10時半ごろに門司港駅を出て「門司港レトロ」の観光を開始してから、すでに3時間以上が過ぎました。

この日は大連友好記念館から門司港レトロハイマートの横を通り過ぎて、次に路面電車が保存されている場所まで進みました。
路面電車が保存されている場所は、大連友好記念館から歩いて3~4分ほどの駐車場
付近に位置して、そこは「門司港レトロ」の観光地エリアからはそろそろ外れるか外れないかくらいの微妙なゾーンとなっているように思われます。f:id:marronkun172:20220418045007j:plain
この路面電車の存在は2021年6月に知りましたが、この日は電車の扉が開いていて、車内に入れるようになっていました。(2022年2月26日撮影)

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いざ電車に乗り込んだところ、天井には「シチリアレモネード」の吊り広告が車内の前方から後方までずらりと並んでいました。(2022年2月26日撮影)

       
6月に来た時は「シチリアレモネード」の広告は、てっきり昭和の懐かしの飲料だとばかり思っていました。。。(^^;(2021年6月28日撮影)

しかし、電車の中に乗車してから吊り広告の羅列を目の当たりにすると、「これは
どうも店舗の一部なのではないか?」と思われたので、スマホで車内の様子を撮影するとすぐに電車から降りて、今度は車体の方に掲げている広告をよく見ると、トレードマークのデザインが何だかすごく今っぽい。。。
振り返ると、車道を隔てた向かい側の整備の行き届いてそうな空き地に、同じトレードマークを掲げたキッチンカーが営業しているのを見つけました。それが「シチリアレモネード」の店舗でした。

「アイスでもホットでも、今はレモネードっていう気分じゃないんだよねえ~。これは明日にでも行ってみよう!」 
そう考えて、26日の時はスルーしました。

次の日(27日)の昼頃に再び同じ場所に来ると、電車の扉は閉まっていて、キッチンカーも昨日と同じ場所に停まってはいましたが、営業はしていませんでした。

それから門司港を訪れる度に、この場所には必ず足を運びましたが、しかし「路面電車の車内でシチリアレモネード」は未だ実現されていません。。。

シチリアレモネード」のキッチンカーが停まっていた空き地はGoogleマップでも見ていましたが、いつの間にかそこには「もじこう電車前広場」という名称が付けられていました。またさらに最近になって「もじこう電車前広場」はInstagramのアカウントも開設したようです。
インスタ情報によると、2022年5月14日(土)に「もじこう電車前広場」のオープニングイベントが開催される予定だそうです。楽しみにしています。(^ω^)

 

門司港レトロ展望室

「おれは高い所が好きー!!」ということで、ここはよい所だ (^o^)

竣工は1999年(平成11年)で、今年で築23年ということになります。大連友好記念館よりも4年ほど築浅の物件となっています。いわゆる、タワーマンションです。

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門司港レトロ展望室は門司港レトロハイマートの31階にあります。高さ103メートルから門司港の街並みや関門海峡が見渡せます。(2021年6月28日撮影)

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明治時代の偉い人たちは「ここは開港の場に適している」と判断して意思決定して、それが門司港の街のはじまりなのでした。山が迫って平地が少ない海岸線は、港町に共通している特徴なんですかね?(2021年6月28日撮影)

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高さ103メートルの地点から眼下を見下ろすと、旧門司税関と大連友好記念館の建物がミニチュアのように見えてきます。さらに街路や植樹なども含めると、レゴタウンのように見えてしまいます!?(2021年6月28日撮影)


別の方角からは、第2船溜まりや門司港レトロ観光線の様子、関門橋などを眺望することができます。(2022年2月27日撮影)

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この写真の撮影データは[2022/03/12/ 16:56]となっています。
黄昏時のまばゆい光景の真ん中に旧大阪商船ビルのあの建物が位置すると、何故だか「黄昏の帝国」のイメージと重なってしまい、旧第一船溜まりのゆらゆらとかすかに揺れる水面とともに戯れる斜陽の光。
この時はたぶん、この何やらアンニュイなムードさえ湛えた、得も言われぬ神秘的な光景に思わず心奪われてシャッターを切ったはずですが、安物スマホのボロカメラで逆光の景色を撮影すると、撮る人の腕前も確かにあるとは思いますが、ざっとまあ、こんなもんです。。。(^^;(2022年3月12日撮影)

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この写真の撮影動機というのは、もしかして門司港レトロの街並みを背景に従えて、じーも君を撮りたかっただけ???(2022年3月12日撮影)

 

門司港名物「焼きカレー

これは個人的な味覚にもよるとは思いますが、門司港名物「焼きカレー」については個人的な感想では、「驚くほど美味しい」というほどではないにしろ、「納得のいく美味しさ」であるとは思います。
もっとも、こうした感想も、例えば、20世紀の論理哲学の天才哲学者ヴィトゲンシュタインは、イギリスのとある民宿に宿泊した時、宿屋の主人に宿泊中の食事について「朝はオートミール、昼は野菜、晩はゆで卵1個」という注文を出したらしく、さらに極端なことを言えば、丸一日水だけで過ごした後だとか、そういう条件の下で門司港の「焼きカレー」を喫食すれば、これはまさに「とびっきり美味しい!」ということになるのでしょう。

ここで前もって言っておくと、門司港名物の「焼きカレー」は、自らを食通と称するグルメリポーターに舌鼓を打たせる一品というよりは、むしろ家族連れや友達連れ、カップルなどの門司港を観光に訪れたお客さんたちに「美味しい思い出を作ってもらいたい」 そういった趣旨で提供されるメニューであるように思われます。

ところで、門司港名物「焼きカレー」の基本的なスタイルは「カレーライスに生卵を落として、そこにチーズをのせてオーブンで焼く」というものだったと思います。
カレードリアとはゆめゆめ混同すること勿(なか)れ。まろやかでほんのりとスパイシーな、それでいて、カレーライスやライスカレー、カリー&ライスとはまた一線を画する門司港名物「焼きカレー」・・・まあ、そういったところでしょう (^ω^)

そもそもカレーライスは日本の国民食であって、そこで門司港焼きカレーについて言えば、これは小さなお子様からお年寄りまで老若男女を問わず幅広い層に受け入れやすいように作られているものと思われます。そしてきっと、どの店もそれなりに美味しい。・・・たぶん、そこが人気の秘訣なのでしょう。

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私的な門司港焼きカレー」デビューは「BEAR FRUITS」さんでした。
「グラタン&ドリアあるある」な話にもなりますが、表面の焼き目や容器の周縁に
できたおこげがまた美味でした。
これはただの余談ですが、この日に訪れた時は店員に、なぎちゃんこと青山なぎさ似の女の子がいて、そのことが妙に印象に残りました(笑)(2021年6月6日撮影)

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現地で食べた門司港焼きカレー」の第2弾は「伽哩本舗 門司港レトロ店」で、この日は牡蠣の焼きカレーを注文しました。この時はコロナ禍のためアルコール類の提供は自粛になっていましたが、この品は出来ればビールと一緒に飲食したかった。。。それでも美味しくいただきましたが(笑)(2022年2月26日撮影)

それで余談になりますが、どちらのお店も個人的な審美眼によれば、ホール係を担当している女の子たちがとても可愛らしかったという記憶があるわけですが、ここで「外食」という事象についてよくよく考えてみれば、これは単なる摂食ではなく喫食に属する事柄で、それはつまり、五感や悟性の肉体的・心理的な双方の認識作用によって体験される綜合的な行為ということでもあります。
それらを踏まえて総合的に判定してみると、いろんな意味において、門司港の現地で味わう「焼きカレー」というのは、やはり美味しい逸品なのだと思います。

 

⑦ 北九州銀行レトロライン「潮風号」

ここでまた2022年2月26日(土)の話になります。

「伽哩本舗 門司港レトロ店」の焼きカレーを堪能して店を出たのが15時10分。そこから門司港駅まで歩いて、次は九州鉄道記念館でも見学しようかと、そっちの方向に歩いて行きました。

門司港駅のロータリーの方に向かう出口から九州鉄道記念館まで行く途中には、門司港レトロ観光線九州鉄道記念館駅があります。
その途中を歩いていると、ちょうど観光トロッコ列車九州鉄道記念館駅に停車中でした。観光トロッコ列車は「北九州魅力満喫パスポート」が利用できる対象でした。ちなみに、これまで門司港の観光トロッコ列車には乗ったことがありません。

「お、あれは!」

これは15時20分の便だったのかな、「迷わず乗ったら PARTY PARTY TRAIN to go! 意外なひとがそばにいた?」・・・そんな感じで「よし乗るぞ。オウ、乗るぞ!」

ここでは即興的な行動に出たので、写真を撮っている余裕とかはなくて、とりあえず、トロッコ列車に乗車して揺られました。その場面が撮れなかった代わりとしては何ですが、平成筑豊鉄道のサイトにあった画像でも貼っておきましょう。(^^;

         
トロッコ列車は主に家族連れで満席となって、乗車率150%くらいにはなったんですかね? 世俗的な幸福とは縁の薄い哀れな中年男としては、こんな列車に乗ってしまったら、ここにいるすべての人たちの幸福を願う他は車両の隅の方に立ちながら車窓の景色を鑑賞するしかない。とはいえ、それでもそれなりに楽しめました。(^^♪

  
  何と言うか、子どもたちの、こんな感じの気持ちを大切にしたいと思います。

  

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  それで、終点の関門海峡めかり駅はこんな様子でした。(2022年2月26日撮影)

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関門海峡めかり駅の近所には、かつて関門トンネル専用の車両として下関~門司間で活躍したステンレス車体電気機関車EF30&チョコレート色の旧型客車(たしかオハフ33だったか?)が保存されていました。(2022年2月26日撮影)

関門海峡めかり駅から何を思ったのか、海岸沿いの遊歩道を歩いて行きました。歩行の途上で「関門橋の下まで行ってみたい」と思うようになりました。歩きだして15分くらい経った頃だったか、和布刈(めかり)神社に到着しました。そして、この光景を目の当たりにして、もしかすると、この場所に呼ばれてたのかな??? 
ここは何だか神々しいです。神秘です。(2022年2月26日撮影)

  
最後に後日談を少しほど。この画像はトリミングを施してありますが、そんなことは気にしないで、それで何が言いたいかというと、後日になってから自分なりに納得のいく「潮風号」が撮れたと思います (^^♪(2022年4月30日撮影)  

なお、北九州銀行レトロライン「潮風号」は、このような編成で運行されています。 

    
   ※この画像は、平成筑豊鉄道のサイトからのものです。念のため。

今回の記事は以上です。次回は門司港の街についてさらに、JR門司港駅九州鉄道記念館、三宜楼、門司港中心市街地を縦断して清滝地区まで、などを話題にしながら語っていきたいと思います。
今回の記事はまた、ずいぶんと長ったらしくなってしまいましたが、次の記事はもっとシンプルな内容にしたいと考えています。反省です。(^^;

それでは皆さん、ごきげんよう(^o^)/

アメイジング・マイクロツーリズム(!?)in「北九州」の回(その1)~序論・総論編~

皆さん、こんにちわ。(^o^)

最近は気候もすっかり春めいてきました。自分が暮らしている場所は福岡県の片田舎ですが、ここも今週中には桜が見頃を迎えるのではないかと思われます。

YouTubeで北九州グルメな動画を漁っていたところ、こんな動画を見つけました。
この子は個人的に大変に好みのするタイプ(⋈◍>◡<◍)。✧❤❤❤
  

  ここのお話では3月25日がお誕生日だったらしく、おめでとうございます(^^)v
  

まったくどうでもいい話ですが、自宅から最寄りの「資(すけ)さんうどん」でとんかつ(単品)と焼酎(芋)のロックを飲食しました。普通に美味でした。(^^)bf:id:marronkun172:20220327233825j:plain

これもまた全くどうでもいい話ですが、それなりに行きつけだった焼肉屋に11か月ぶりに訪れました。量と質と値段と接客のバランスが良く、総合的に美味でした。(^^)v

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それでは本題に入りましょう。

私は人生のいつ頃からか、観光地という場所には自ら進んで足を運ぶような気にはなれない人間になってしまいました。悲しい人生です。

観光地と言えば、いわゆる「世俗的な幸福主義」を端的に象徴しているような区域であり、そこではリア充どもが老若男女を問わずあちらこちらからウヨウヨと出現してきては常時うろうろと徘徊しています。特段の事情でもない限り、個人的には、とてもじゃないが自発的に訪れたくなるような場所ではありません。

しかし2年ほど前からだったか、その、とある「特段の事情」が発生することとなってしまい、そこで観光地視察の特別な任務が下されることになりました。自分のような重度の非リア充が単独で遂行するには、これは大変に精神的な困難を要するミッションであります。。。

そのようなわけで、私的はあまり乗り気のしない観光地の訪問ではありますが、しかしここで前回の記事に引用した『デミアン』の一節を是非とも思い起してみなければならないでしょう。この言葉がまさかこんな所で生きてくるとは!Σ(・ω・ノ)ノ!

ああ、いまにして私は知った。この世の中で人間にとって、自分を自分自身に導く道を行くより、心にさからうものはないということを。

とかまあ、何だかんだ言いつつも――潜入、開始。 

観光を目的とした北九州市の訪問は、2020年8月、2021年6月、2022年2~3月と、大きく分けて3期にまたがって敢行されたわけですが、今後もまた必要に応じて訪れることになるかもしれません。なお付け加えておくと、自宅からJR門司港駅までは電車で760円で行ける距離です(笑)f:id:marronkun172:20220321232923p:plain
ここで観光に訪れた場所を地図上に落としてみると、黄色で塗った地区(関門海峡めかり~門司港、小倉、八幡~皿倉山展望台~黒崎)が該当します。

こうした観光のスタイルは、最近の言葉を用いれば「マイクロツーリズム」ということになって、これは「日帰り旅行を単にカッコよく言い換えただけじゃないか!」と思わずツッコミを入れたくなってしまいそうですが、そんなことを言いつつも、この新しい観光用語が登場した背景には下記の引用に示したような事情があって、そうした中で提唱された事実に対しては素直に敬意を払いたいと思います。

マイクロツーリズムとは、自宅からおよそ1時間圏内の地元や近隣への短距離観光のこと。新型コロナウイルスによって打撃を受けた観光業界を救う手段の一つとして、株式会社星野リゾートの代表 星野佳路氏が提唱した。

上記の引用元の記事はこちらになります。ここでの私的なミッションとなった北九州市内観光は、当初は門司港のレトロ地区を重点に散策する予定にしていました。「自作の作品づくりのネタをこのあたりで仕入れようかな~♪」といった魂胆です(笑)

ところが、2022年2月26日(土)にJR門司港駅から出てすぐの「旧門司三井倶楽部」(2階部分がアインシュタインメモリアルルーム及び林芙美子記念室となっていて、それらが有料の施設となっている)に入館した時に、入場券の売り場で係員の女性から「福岡県内にお住まいの方ですか?」と聞かれたので「はい」と答えると、「北九州魅力満喫パスポート」という商品を紹介されました。

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パスポートの販売価格は大人400円、利用期間は2021年10月15日(金)から2022年3月13日(日)まで。対象施設は次のとおりです。期間中はこれらの施設が何度でも利用できることになっています。これでは、たちまち元が取れてしまいます!(^o^)

◎パスポートが利用できる施設 ※()内は通常の入場料

1 関門海峡ミュージアム(大人:500円、小・中学生:200円)

2 門司港レトロ展望室(大人:300円、小・中学生:150円)

3 旧大阪商船 わたせせいぞうギャラリー(大人:150円、小・中学生:70円)

4 旧門司三井倶楽部2階(大人:150円、小・中学生:70円)

5 九州鉄道記念館(大人:300円、4歳~中学生:150円)

6 北九州銀行レトロライン「潮風号」(大人:300円、小児:150円)

7 小倉城(大人:350円、中・高生:70円、小学生:100円)

8 小倉城庭園(※11月6日から年度末まで休館)

9 皿倉山ケーブルカー及びスロープカー
 (ケーブルカー・スロープカー往復通し券 大人:1,230円、小人:620円)

 

◎パスポートの販売価格及び購入時に必要なもの

大人:400円  高校生以下:200円  未就学児無料

福岡県民であることを証明するもの(運転免許証、健康保険証など)

さらにこのサービスはスタンプラリーの企画もやっていて、期間中に対象となる7か所のスタンプを全部そろえると400円分の商品券がもらえることになっています。
といっても、これはかなり用途が限定されています。お土産の補助券くらいに思っておくとよさそうです。

マイクロツーリズムで近隣の観光客を呼び込もうとする施策は、先述の引用元の記事にもありましたが、日本の様々な観光地で実施されているようです。北九州市もそうした時勢の流れに乗ったと言ってよいのかもしれません。そこには「損して得取れ」の大阪商人のド根性みたいな、そんな殊勝な心意気を感じます。

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ここで北九州市の概要にも触れておきたいところですが、これについてはWikipediaの記事などに目を通されると良いでしょう(←丸投げ)Wikipediaの記述によれば、この政令指定都市は「高齢化と人口減少が問題となっている」らしいです。北九州市の推計人口(2022年2月1日)を抜粋してみました。

コード 区名 人口
(人)
割合(%) 面積
(km2)
人口密度
(人/km2
40101-3 門司区 92,052 9.9 73.67 1,250
40103-0 若松区 79,236 8.5 71.31 1,111
40105-6 戸畑区 56,690 6.1 16.61 3,413
40106-4 小倉北区 182,162 19.6 39.23 4,643
40107-2 小倉南区 207,848 22.4 171.74 1,210
40108-1 八幡東区 63,902 6.9 36.26 1,762
40109-9 八幡西区 247,816 26.7 83.13 2,981
  合計 929,706 100 491.95 1,890
                         (Wikipediaより引用)
北九州市の人口は1979年にピークを迎え106万人にまで達した後、それからは減少の一途をたどっています。上の表によれば現在は93万人弱となっています。
1万人の位で四捨五入しても、もはや100万都市ではなくなってしまいました。
 
下の図は、北九州市と福岡市の1920年から2015年までの約100年間にわたる人口の推移を示したものです。1920年の統計から始まって、1980年あたりで福岡市が北九州市の人口を追い抜いて、それから右肩上がりの福岡市とジリ貧状態の北九州市とに分かれて、今では両都市の間に60万人ほどの差が開けています。

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          旧5市の合計の人口

  北九州市の人口
  福岡市の人口
  福岡市の現市域にあたる地域の人口    (Wikipediaより引用)
 
福岡県民からすると「福岡市は華やか、北九州市は地味」といったステレオタイプが根付いているように思われますが、これは全国区から見ても同じ意見かもしれません。
ところで、日本の伝統的な美感には「をかし」と「もののあはれ」という二者の美的センスがありますが、これになぞらえれば、福岡市は「をかし」、北九州市は「もののあはれ」ということになるのかもしれません。
個人的な趣味の審美的センスでは「をかし」よりも「もののあはれ」の方により奥床しさを感じたりもします。
さらに趣味の話になると、鉄道マニアや都市景観マニアの人たちにとっては、
北九州の地は大変に魅力的に映るかもしれません。
余談ですが、私はその両者の属性を持ち合わせた人種だったりして、ちなみに
大学生の頃は地理学を専攻していました。ああ、文学部地理学科(笑)
 
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今回、コロナ禍の情勢をマイクロツーリズムで逆手にとって「ピンチをチャンスに!」と考えたのかどうなのかは、こちらからは知る由もありませんが、北九州市が都市空間のアメニティや魅力的な観光地を創造しようとしている悲壮とも言えるほどの努力には、心から敬意を表します。
「北九州魅力満喫パスポート」の発行によって、まずは福岡県民の方から「北九州は思ってたよりもいい街だったよー♪」といった印象が根付いて広まってくれたらいいですね!(^o^)
 
それで自分も2022年2月26日(土)から2月27日(日)、3月6日(日)、3月12日(土)の間にパスポートが利用できる施設を回ってきました。これらの詳細についてはまた機会を改めて語りたいと思います。
 
3月12日(土)にはスタンプがそろって、めでたく商品券をゲットできました。

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(※2022年3月30日追記)
あと、次のページに「皿倉山ケーブルカー・スロープカー」のスタンプがあったのですが、撮影し忘れました。今回の記事を投稿した後で気が付きました(笑)
そのうち貼り付けておきます。すみません。。。(^^;

(※2022年4月3日追記)
この日になって貼り付けました(笑)

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f:id:marronkun172:20220327215525j:plain400円相当の商品券は、門司港レトロ地区の海岸エリアにある「関門海峡ミュージアム」で受領させていただき、数分ほど歩いて門司港レトロ地区の中心部にある「北九州おみやげ館」で門司港みやげの代表選手でもありそうなバナナカステラでも買って帰ろうかと思っていましたが、店内をひと通り回ってみたところ、結局こんなものを購入してしまいました。(^^;(←今回のオチ!?)

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ガールズ無法松(清酒)1,650円&ぬかみそだき(さば)1,080円+レジ袋5円+商品券(ー400円)=合計:2,335円(税込)のお買い上げ(^ω^)

ちなみに、これらはどちらも門司ではなく、小倉に由来する品となります(笑)

余談ですが、「ガールズ無法松」には公式サイトがあるらしいぞ! ('ω')ノ

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以上、今回の記事は北九州市の観光について話題にしましたが、「序論・総論編」ということで抽象的な内容に終始しました。あしからず。
 
今後は「門司港レトロ地区・中心部エリア編」「小倉城、八幡・皿倉山展望台編」「門司港レトロ地区・海岸エリア編」「門司港・清滝エリア編」に分けながら具体的な内容を展開していく予定にしています。なお、次の記事がいつの投稿になるかは未定です。
 
それではみなさん、その時までごきげんよう(^o^)/