アメイジング・マイクロツーリズム(!?)in 北九州(その3)~国指定重要文化財「門司港駅」を訪問しましたの回(前編)~

皆さん、こんにちわ (^o^)

前々回、前回はこんな記事を投稿しました。北九州市内観光のネタでした。

前回の拙記事によるところでは、北九州市内観光でも特に門司港の街並みには個人的に並々ならぬ関心を覚えたらしく、それで今回はJR門司港駅を特集します。門司港の街を題材にした書きかけの記事があと3本ほど待機しています(笑)

ところで、自分のブログの記事は開設以来ほとんどが「ラブライブ!」に関する話題となっていますが、今の自分がこんな調子なので、当面の間はまだ北九州市内観光をネタにした記事が続くことになる予定です。すまんのう (^^;

また次の段階としては、それらの記事を基にして「1年ほど執筆が中断となっている
幻想的な小説の続きを書いて、この作品をそろそろ完結させてしまいたい」という、かねてからの思いがあって、今はそれを実行する計画を立てています。

要は、これの続きな (^ω^)

それで、何と言うか、その……生活のための労働や日常のよしなし事に時間と労力を奪われて、それらがあたかも手かせ、足かせ、拘束着となって、なかなか思うように羽ばたけないのがマジ辛いです、超ツラいです。。。(;´Д`)

このような事情から、このブログの記事が再び「ラブライブ!」の世界に戻って来る頃には、時期的にみて、このあたりをネタにして語りだすことになりそう???

もっとも未定な予定ではありますが、そうした所存でございます (^o^)

  

  

(2022年6月16日追記)
そう言えば、6月13日はマリーちゃんのお誕生日だったんだな。メンゴ、メンゴ(^^; 
  

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このへんで本題に入りましょう。

下に示した地図には「門司港」駅、「九州鉄道記念館」「三宜楼(さんきろう)」「四稀(しき)/門司港カフェ」の各地点に黄色のマーカーを施してあります。
これらのスポットを今回の記事から逐次話題に取り上げていく予定にしています。

それで、今回の主役はJR門司港駅です。

念のため、ここで前もって申し上げておきますと、今回の記事を作っていたら、どういうわけか書けば書くほど書くことが増えて、それに伴って貼り付ける画像やリンク先の方も多くなって、いつの間にか、当初に予想していた以上に長ったらしい内容になってしまったように思います(笑)

このような傾向は前回の記事についても言えることで、反省です。。。(^^;

なので、今回の記事については「前編」と「後編」に分けました。前編で全体の6割、後編で4割くらいの中身になるものと思います。そこんとこ、ヨロシク (^o^)


大正モダンなレトロ感にあふれる風格のある美しい建物です(2020年8月14日撮影)

          
                           (2022年5月6日撮影) 
駅構内のホームは2面4線あって頭端式のスタイルをとっており、列車が駅に到着して後方の車両から降車するほど、それだけ改札口までの距離が遠くなります。
利便性には欠けますが、しかし、これがまた終着駅にふさわしい、旅のロマンをかき立てるような風情のある佇(たたず)まいとなっております。

門司港駅はJR鹿児島本線の起点駅であり、構内に0(ゼロ)キロポストの標識が設置されているはずですが、それとともに日本の近代史の中では九州の鉄道の起点駅でもあって、0哩(ゼロマイル)標がモニュメント化されて設置されています。


                    ※出典:「門司港駅 - Wikipedia」より   

九州の鉄道の起点駅である門司港駅ですが、個人的にも一般的に見ても、どちらかと言うと「終着駅」のイメージの方が強いのではないかと思います。

かつての門司港駅は、夜行の寝台車付き客車編成の急行列車「かいもん」(鹿児島線経由・西鹿児島行き)や同じく「日南」(日豊線経由・西鹿児島行き)、夜行の寝台車付き旧型客車編成の鈍行列車「ながさき」(大村線経由で長崎行き)、また西鹿児島行きの昼行特急列車「有明」(後に「つばめ」)など、九州内を走る夜行・昼行の長距離列車の発着駅にもなっていましたが、そのような物好きな列車が存在していた時代も今は昔の話となりました。。。

あの頃は、今と比べて不便で野蛮な面に目をつぶれば、それはいい時代でした。
かつての物好きな列車の中には、今ではイベント化されて観光列車や行楽列車などの企画列車に転生した子もいるでしょう・・・ですよね? スーツさん (^o^)

  

スーツさんは金に飽かせて色々と楽しい企画を立てておられるようですが、それはさておき、ここでは門司港駅における「始発駅」ならぬ「出発駅」としてのイメージについて少し考えてみたいと思います。

それで、「始発駅」と「出発駅」をわざわざ区別して、いったい何がどう違うのか?
ここでは大雑把ですが、次のように定義しておきましょう。

 ・始発駅:単に「この列車はこの駅が始発です」という客観的事実
 ・出発駅:「この駅から旅が始まるんだ!」と思わせるような主観的な感慨  

結論から言ってしまえば、門司港駅を始発とする夜行・昼行の長距離列車が全滅してしまった今となっては、やはりこれは何と言うか。。。

近郊型の普通電車では何だかしっくりこないし、門司港駅を発着する定期の特急列車はビジネス色が濃厚で、これもいまいちピンときませんねえ。。。(´・ω・)

現在、臨時列車扱いで特急「かわせみ やませみ・いさぶろう しんぺい」が週末だけ
門司港~博多間を1往復していますが、あれはどんな感じなんでしょうね? 

一度、実際に門司港駅から乗車してみて、その時に感じ取った印象などを基に検証してみたい気もします。もし体験した人がいたら教えてほしいです。

ここまでに語ったことをまとめてみると、もしかすると次のようなことが言えるのかもしれません。好事家な人たちには興味深い仮説にも見えてくるでしょう (^o^)

門司港駅における「終着駅」としてのステレオタイプなイメージは一般の共通認識としてすでに確立されている。たぶん。

 

それに対して、門司港駅は九州の鉄道の起点駅でありながら「出発駅」のイメージは時代が変化するにつれて次第に薄れていった。

しかし考えても見れば、1980年代の国鉄時代を知っている鉄道ファンでもなければ、こんな話をウダウダと語るような物好きな人は誰もいなさそう。。。(^^;

そう言えば、前回の記事では門司港のまちの歴史について簡単に学びました。それによれば、この街はかつて、陸上と海上交通の結節点としての役割を担うことによって繁栄を遂げてきた港町だったのでした。

この文脈で行くと、当時の門司駅(今の門司港駅)には陸路交通と海上航路の中継点としての性格がより顕著になってきて、そうなると今度は「終着駅」や「出発駅」といった見方よりは単に「乗り継ぎ駅」と解釈した方が適切なのかもしれません。

門司港のまちの歴史によれば、1889年(明治22年)の開港と1891年(明治24年)の鉄道の開業は、それまで海辺の寒村に過ぎなかった土地に「モダンシティ☆もじ」が爆誕する起爆剤となったのでした。

ここで、門司港駅の沿革について簡単に見ておきましょう。

1891年(明治24年)4月
 門司駅(初代)開業。
 現在の門司港駅から約200メートル東側の地点に開設。

1907年(明治40年)7月
 九州鉄道(初代)が国有化される。

1914年(大正3年)1月
 門司駅(初代)が海側(西側)に移転したことによって、
 門司駅(二代目)が現在の地点に開業。

1942年(昭和17年)4月
 関門トンネル開通計画に伴い、門司港駅に改称。
 以後、関門トンネルの九州側の出入口となる大里駅が門司駅を名乗る。

1987年(昭和62年)4月
 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。

1988年(昭和63年)11月
 駅舎が国の重要文化財に指定される。

2012年(平成24年)9月
 駅舎の保存修理工事のため仮駅舎に移行。

2019年(平成31年)3月
 保存改修の工事を経てリニューアルされた駅舎が
 大正3年の当時の姿に復原されてグランドオープン。

 

                   参考:「門司港駅 - Wikipedia」より           

現在の門司港駅から約200メートル東側の地点(九州鉄道記念館の中央ゲート付近)には0哩(ゼロマイル)標と駅名標のモニュメントが設置されています。

説明書きのようなものは特にありませんが、「初代の門司駅はここに立地していて、九州の鉄道で本当の起点となったのは実はここでした」というわけです。

                           (2020年8月12日撮影)       

              門司駅(初代)の駅舎の様子
    
                   ※出典:「門司港駅 - Wikipedia」より

個人的には門司港駅には1980年代から何度か訪れていて、保存改修工事前の姿が刷り込まれているので、大正初期に竣工の当時の姿に復原リニューアルされた門司港駅の駅舎を初めて見た時はどこか違和感を覚えましたが、それは建物正面の1階部分を覆うようにして張り出していた庇(ひさし)が取り払われていたからでしょう。

下の画像は1998年(平成10年)の8月に撮影したものです。この頃は自分は北九州市近郊の片田舎にある実家を離れて関西の都会で暮らしていました。盆休みに帰省して友人と門司港を観光した時の写真です。リベット打ちの鉄骨が支柱となっている奥行きのある庇は1929年(昭和4年)に取り付けられたそうです。

そういった話を聞くと、大正時代の初期に建てられた堂々としたモダンな気品のある駅舎に、さらに昭和らしい重厚長大な要素が加味された印象を覚えます。

この庇はもともと自動車や人力車に乗って駅にやって来る人たちの利便性を考慮した設備ということらしいですが、昭和から平成へ、20世紀から21世紀へと、時は流れ、世は移り変わり、駅前にあったロータリーが駅横に移設されて駅前が噴水広場になる頃には、これはもう必要がなくなったのでしょう。長い間、お世話になりました。

現在では、鉄骨製の支柱の一部が往時の姿を偲ぶ資料として駅構内の片隅にひっそりと保存されています。
     「上家」と書いて「ひさし」と読む。(2021年6月21日撮影)

今回のテーマである「門司港駅について語る回」は、ここからいよいよ個人的な趣味の世界へと没入することになりますが、それはそうと、とりあえず、このへんの記事に目を通しておけば、誰でも「にわか門司港駅博士」になれるでしょう (^o^)

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上の章では、①門司港駅に対して抱く主観的なイメージ、②駅の簡単な沿革、③駅舎のファサード(建物正面の外観)に対する印象などについて軽く語りましたが、ここからは駅舎1階部分の内部について見ていくことにしましょう。

(ⅰ)まずは駅舎の正面口から入って左側の方について。

                           (2020年8月14日撮影)    写真の右側の手前の方に自動券売機が2機あります。その隣には今となっては何やらオブジェと化して実質的には機能していないような切符売り場の窓口が3~4つほどあります。

写真の左側には、少し奥まった場所に部屋の出入口が設けられています。ここは復原された大正時代には「1・2等待合室」として使用されていたそうです。

この部屋は現在では「みどりの窓口」と「観光案内所」として使用されています。
部屋の広さと比べると、ずいぶんと贅沢な使い方をしているように思われます!? 

自分が知っている1980年代の国鉄時代には、この往年の高級待合室はすでに「みどりの窓口」の部屋になっていたと思いますが、いまいち記憶が定かではありません。

この部屋が高級な乗客用の待合室からいつから指定席券の売り場「みどりの窓口」になってしまったのか、知っている方がいれば教えてほしいです。

(ⅱ)今度は駅舎の正面口から入って右側の方についてです。

                           (2022年5月6日撮影)     
写真の右側にある部屋は、大正初期に竣工した当時は「3等待合室」として使用されていたということです。

余談ですが、2019年は5月に平成から令和へと元号が移り変わることになりました。
平成最後の年(平成31年)の3月に駅舎が竣工当時の姿へと復原された形でリニューアルオープンすると、この部屋はスターバックスの店舗となりました。

日本の重要文化財の建築物の中にもチェーン展開してしまうスターバックス
世界のスタバ、スタバの世界は奥が深いですね Σ(・ω・ノ)ノ!

次に写真の左側について、スタバの出入口よりも少し引っ込んだ場所にあるチョコレート色の窓口みたいな設備ですが、かつての3等待合室の隣にあるこの部屋は、大正時代に駅舎が完成した時は「小荷物取扱室」として使用されていたということです。

しかしこの小荷物取扱室の窓口は復原はされているものの、オブジェと化して機能はしていません。この部屋はリニューアルオープン後は待合室として使われています。

 部屋の中(待合室)から窓口の方を見ると、こうなります(2019年5月3日撮影)

これは単なる個人的な趣味の発見ですが、上述した(ⅰ)と(ⅱ)の写真を見比べて思ったのですが、駅舎1階の中央コンコースは駅舎内を斜めに通り抜けています。

偶然に、そのことが分かる写真も記録に収めていました(←ぼくちゃんえらい!)

下の写真を見ると、駅舎の「正面の出入口」と「背面(改札側)の出入口」は互いにずれた位置に設けられています。

そのため、建物の正面と改札側と両側の出入口に連絡するコンコースは長方形状ではなく平行四辺形状に通り抜けるような形になっています。

                           (2021年8月8日撮影)    
これは多分ですが、切符を購入する人たちの形成する待ち行列が、ホームに到着した列車から降りて駅から出て行く人たちの邪魔にならないように、駅舎内の円滑な通行に配慮した構造になっている、ということなんですかね???

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一般読者の気を惹きそうにないネタばかり喋るので、ここで話題を変えましょう。

現在はスタバの店舗となっている部屋は、駅舎の保存改修工事が実施される以前は
「紗舞館(しゃぶかん)」という、しゃぶしゃぶ料理の店でした。

「紗舞館」で食レポされた方の記事がありました。その昔、僕も友人と一緒に2~3回ほどこの店で飲食したことがあります。価格はお手頃、味も無難なレベルでした。

今は昔、1998年の8月のお盆頃に入店した時のことでした。
この時、この店内で働いていたウエイトレスは若くて美人な女の子でしたが、あまり愛想が良い娘のようには思えませんでした。店の制服なのか、白いブラウスを着ていました。彼女の後ろ姿を見ると黒のブラが透けて見えました。一緒にいた友人がそのことを指摘しました。・・・以上、どうでもいい話でした (^o^)

それはさておき、食レポの記事によれば、「紗舞館」はJR九州フードサービスが運営して、この店に改装される以前は待合室に利用されていた、との記述がありました。

たしか「紗舞館」は国鉄がJRに分割民営化されたのを機にオープンした店舗だったと思います。国鉄の分割民営化は1987年(昭和62年)4月に実施されました。
たぶん、その直後あたりに出来たお店だったような記憶があります。

まだ交通公社だったか、すでにJTBに改称していたか、当時の時刻表のトピックニュースみたいなページに門司港駅のことが特集されていて、そこに「紗舞館」が新規にオープンしたことも紹介されていました。
とはいえ、これも今からすでに35年ほど前の記憶です。。。(^^;

下の画像はWikipediaから引用したもので、撮影時期は2008年6月という情報です。 

                    ※出典:「門司港駅 - Wikipedia」より   
この画像によると「紗舞館」の隣の部屋は「待合所」になっています。

国鉄が分割民営化されてJR九州になった時に、それまで待合室に使われていた部屋が「紗舞館」に改装されて、隣の小荷物取扱室に使われていた部屋が「待合所」になったということなんですかね?(←要検証)

ちなみに余談ですが、自分が知っている1980年代の国鉄時代には、切符売り場のある有人駅には 「手荷物小荷物扱所 携帯品一時預り所」という窓口が存在していて、たしかそういった記憶がありますが、しかしながら、このサービスは国鉄と運命を共にしたものと思われます。
コインロッカーが都市部だけでなく全国の駅に普及することになったのは、その後の時代になってからだったように思います。

また当時は宅急便が今ほど発達も普及もしていなくて、国鉄の車両には客車でも貨車でもない荷物車や郵便車などの車種もあって、それらの車両がまだ現役で働いていた時代――たぶん、鉄道がまだ陸上輸送の主役だった時代ということでしょう ('ω')ノ

次の記事は、当時はどこの駅にも見られた「手荷物小荷物扱所 携帯品一時預り所」の窓口の様子を想起するのに参考になるのではないか思われます。

また次の記事では、国鉄時代な昭和の頃、旧型客車編成の急行列車や普通列車には
荷物車や郵便車が連結されていたもので、そのことを知る参考になるでしょう。        

それはさておき、ここでまた先ほどの門司港駅の駅舎内の写真の話に戻ります。

次の記事には、門司港駅が保存改修工事に入ってから駅舎がいったん解体されることになる直前の様子を記録した写真が掲載されていました。

「待合所」の出入口の造りは、小荷物取扱室の窓口を改造したものだと容易に察しがつきますが、しかし、出入口の位置が復原リニューアルされた状態と比べると、またずいぶんと奥まった場所に移動していますね。Σ(・ω・ノ)ノ!
一見したところ、4分の1から3分の1くらいは縮小されたっぽいように思います。

                     ※出典:「もじこう観光ナビ」より
 左側の奥が「待合所」になっていた部屋。右側は「紗舞館」が入居していた部屋。  

                     ※出典:「もじこう観光ナビ」より

これは1914年(大正3年)の竣工後、どこかの時代になって、小荷物取扱室の面積を縮小することでコンコースの面積を拡張して、さらに駅舎の改札口側の出入口を増設する改築工事が実施されることになった、ということでしょう。知らんけど。

門司港駅は、ここがまだ門司駅だった1929年(昭和4年)に、駅舎の正面全体に大掛かりな庇が設置されたり、便所の棟の横に洗面所の棟が増設されたりしました。

「駅の乗降客の人数が大幅に増えたから」とかいった理由で、この頃に駅舎1階部分の改築工事についても行われることになった・・・そういうことなんですかね???

このことは、ネットで拾い集めた情報ばかりに頼らず、門司港駅の歴史が詳細に記録された文書や書籍を見つけ出して、それを紐解けば簡単に判明してしまうことのようにも思います。

学業や実務の分野で論文や資料を作成するような時には、文献漁りの活動は義務にもなってきますが、自分の記事はしょせんは趣味のブログなので、これは気が向いた時にでもやってみたいと思います。

もし知っている方がいらしたら、ご教示していただきたいです。他力本願です(笑) 

あと付け加えておくと、便所の棟と洗面所の棟のネタについては「後編」の方で語る予定にしています。お楽しみに!(^o^)

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そろそろスタバのフラペチーノが美味しい季節になりました。ファミマのフラッペと比べると高価な高級品です。

                          (2021年8月8日撮影)

スタバの店内に入ってみましょう。ここの店は昼間は行列ができていたりしますが、朝の時間帯は比較的空いていたりもします。          
                           (2022年5月6日撮影) 

ここのスタバの店内には、壁面に列車のヘッドマークを模したトレードマークが飾られていたりします。当駅の伝統を尊重しつつ自社の宣伝も兼ねています。

また店内の奥には駅舎の2階に連絡するエレベーターが設置されています。
この部屋にスタバが入居することになって、このような奇妙な構造になりましたが、結果的には、建物内を見学した時の楽しいギミックになっているようです (^ω^)

                           (2022年5月6日撮影)
エレベーターの真横に開かずの戸みたいなのがありますが、あれは何でしょう!? 

ここのスタバの店内には、壁面に昔の門司港駅蒸気機関車などの写真パネルが飾られています。店の一番奥の方にあるテーブル席の左端の壁面には、このようなパネルが飾られてありました。

                           (2022年5月6日撮影)
この写真は白黒ですが、店の出入口に貼り出してあるメニューの字体をよく見ると、そんなに古い時代の光景でもなさそうです。

このうどん屋さんは「紗舞館」の隣に店を構えていたようですが、自分は一度も利用したことがありません。というよりも、このお店の存在自体、まったく気にも留めていませんでした。特に有名店というわけでもなかったし、それでも今思えば、せめて一度くらいは入っておけばよかったかも。。。(^^;
     
         何を今さらですが・・・「わたし、気になります!」

このうどん屋さんに関する食レポの記事を見つけました。

この「門司港うどん」には駅舎の正面側と駅舎内の待合所内の2か所に出入口が設けられていたようです。
次の画像は、駅舎の正面側から「門司港うどん」の出入口が確認できる写真で、画面右端の銅像が建っている付近にそれを見ることができます。
                    ※出典:「門司港駅 - Wikipedia」より  

次の記事には、駅舎正面側の「門司港うどん」の出入口の様子が明瞭に分かる写真が掲載されています。

「待合所」の出入口から見ると、室内の右側の出っ張りとなっている部分の手前の方に「門司港うどん」の出入口があるのが確認できます。
     
※注:この画像は先述した食べログの記事「『重要文化財門司港駅「紗舞館」で、
   しゃぶしゃぶ!』by Akii」から引用したものを加工しました。

こちらの画像の方が、もっと分かりやすいかもしれません。
                     ※出典:「もじこう観光ナビ」より  またこちらの出入口は、復原リニューアルされた駅舎内に入居しているスタバの店内にあったエレベーター真横の「開かずの戸」と同じ位置にあるように思われます。

しかし、復原リニューアル後の駅舎で、同じ場所に位置すると思われる箇所は、ドアノブの付いた両開きの扉となっていて、あの開かずの戸は存在せず、上の画像にある支柱らしき物体も見当たりません。
                          (2019年5月3日撮影)   

ところで、復原リニューアルされた新駅舎には、待合室の奥の方に隣接している部屋がギャラリーになっていて、常設の展示品に目を向けると「ミニ資料展示室」らしき様相を呈してきます。

そこには『門司停車場本家 其他 新築設計図』なる図面が展示されていました。


                           (2022年5月6日撮影)  

「三等待合室」(現・スタバ)と「小荷物取扱室」(現・待合室)の両部屋を仕切る壁があって、小荷物取扱室の方には「保管庫」のスペースが設けられています。

この図面は、復原リニューアル工事の際の資料にも利用されたものと思われますが、それによると、「保管庫」の三等待合室側に開かずの戸が存在して、小荷物取扱室側はノブ付きの両開きドアになっていた、と見ることができそうです。

繰り返しになりますが、先に登場した食べログの記事によれば、しゃぶしゃぶの店「紗舞館」はJR九州の子会社であるJR九州フードサービスが運営していた店舗で、
そうなると、1987年(昭和62年)4月に国鉄が分割民営化された頃に出来た店ということになりそうです。

門司港うどん」はいつ頃からやっていたのか分からないですが、これもJR九州フードサービスが運営する店舗ではないかと思われます。おそらく紗舞館と運命共同体な店舗だったのかもしれません(←要検証)

それにしても、――門司港レトロの観光開発事業が開始される以前、JRに分割民営化される以前の国鉄時代には、門司港駅の駅舎内外や周囲の様子というのは、いったいどのようになっていたんでしょうね???

例えば、1980年時点の門司港駅の姿というものを想像してみましょう。

・旧1・2等待合室は主に「みどりの窓口」として使用されていた。
・旧3等待合室は引き続き「待合室」として使用されていた。
・旧小荷物取扱室は「手荷物小荷物扱所 携帯品一時預り所」に使用されていた。
・駅舎の2階では「みかど食堂」が細々と最期の営業を続けていた。   
・駅前のロータリーはタクシーとバスの乗降場に使用されていた。
・駅構内は、観光開発された今と比べると、もっとひっそりとした雰囲気であった。

こうした憶測がどれだけ当たっているのかは分かりませんが、ネット上で拾い集めた情報だけでは検証することはできそうにもありません。。。

文献や資料を漁って、さらには現地の昔の様子をよく知っている人と仲良くなれたりできれば、もっとよいでしょう (^ω^)

とりあえず、国鉄時代の門司港駅について、外観の様子を記録していたサイトを見つけることができたので、ここにリンク先を貼っておきましょう。

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さて、復原リニューアルされた新駅舎は、待合室の奥隣に位置する部屋がギャラリーになっていたのでした。

この部屋の中の様子はざっとまあ、こんな感じです。

                           (2022年5月6日撮影) 

部屋の中に入ってまず目を惹いたのは、この精巧にできた模型でした。庇付きの駅舎となっていて、便所の棟も再現されていますが、その横にあったはずの洗面所の棟は付いていなかったように思います。この模型はいつ頃に製作されたんでしょうね?                                         
                           (2022年5月6日撮影)  

この図面は『新門司停車場本家其他平面図』とあります。よく見ると、この時はまだホームが1本しかありません。4・5番はいつ頃になって増設されたんでしょうね?
                           (2019年5月3日撮影)

これは『新築門司停車場設計概要』とあります。設計の概要が図面ではなく、文書で明示されています。


                          (2022年5月6日撮影)

概要には「一、起工 大正二年三月十六日」「一、竣工 大正三年一月十五日」「一、本屋建物様式 ル子ッサンス」「一、同構造 木造二階建外面セメント塗屋根スレート葺軒廻リ銅板張」といった記載がなされています。
     

これは「野帳」というらしく、英語に訳せば「フィールドノート」!?
地味な作業に見えますが、文化財の調査では絶対に不可欠なプロセスらしいです。            
                           (2019年5月3日撮影)  

旧貴賓室の壁紙は、市民の協力が得られることで再現が可能になったそうです。
    
その他、改修工事の途中で出土された品が展示されています(2019年5月3日撮影)

これらは改修工事中に旧「みかど食堂」から出土された品のようです。     
                           (2019年5月3日撮影)   

関門トンネルの開通によって大里駅から門司駅に改称した方の駅舎には、1980年代のいつ頃にだったか、2階に日本食堂のレストランが入居していた記憶がありますが、
門司駅から門司港駅になったこちらの駅舎の2階では、高級レストラン「みかど食堂」が1981年(昭和56年)まで営業を続けていたそうです。
                           (2019年5月3日撮影)      
それで、この写真はいつ頃に撮られたものなんでしょうか? 戦前の頃でしょうか?  

ギャラリーの部屋から出てきました。駅舎と改札口の間は開放感のある通路となっています。天窓付きの頑丈そうな屋根が装備されているので、雨の日も安心 (^^)v
                           (2022年5月6日撮影)  

ギャラリーの出入口からほど近い、駅構内の海側の端の方には「関門連絡船通路跡」が残されています。通路は懐かしの写真が貼られた壁面によって封鎖されています。   
                           (2022年5月6日撮影)   

上の写真ではフェンスと支柱によって見えづらくなっていますが、こういったものが今も残されていました。「旧監視孔」と書かれています。
                           (2022年5月6日撮影)  今のように防犯カメラがまだ普及していなかった昔の時代には・・・たぶん、それとこれとは直接的には関係のない事だと思いますが。。。

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今回の記事では門司港駅を特集して、門司港駅に対して抱く主観的なイメージ、
②駅の簡単な沿革、③駅舎正面の外観に対する印象、④駅舎1階部分の内部の様子
などについて、見たこと思ったこと感じたことをウダウダと語ってきました。

次回の記事では今回の「後編」として、①駅舎2階部分の内部の様子、②便所の棟、  
③洗面所の棟
などについて語っていきたいと思います。

それでは皆さん、ごきげんよう!(^o^)/