【読書感想文】ヘルマン・ヘッセの『デミアン』(第2章の続き)について語る回

皆さんこんにちわ(✿✪‿✪。)ノコンチャ♡

前回の記事は、第4章の途中まで書いていたのですが、下書き保存を繰り返していたら第2章の途中からデータが消えちゃいまして、「あびゃー」になってしまいました。。。

自業自得の誤作動なのか、運営が検閲したのか、外部から不正アクセスされたのか、原因は分からないですが、その日はとりあえず、こっちとしては、こんな感じでした。。。

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前回は、シンクレールがフランツ・クローマーからのいじめに遭っていて、デミアンがシンクレールの状況を察して、シンクレールにクローマーとの関係をいろいろと聞き出そうとしているあたりで途絶えましたね。。。

それで続きは、デミアンがクローマーのことについて、シンクレールにいろいろと聞き出しているところからです。

――さあ、ひとつやってみよう。ぼくはきみをひどく好いているとする。きみに興味を持っているとしてもいい。そこで、きみの心の中がどういうふうだか、探り出したいと思う。ぼくはもうその第一歩を踏みだしてしまったのだ。

ぼくはきみを驚かした。――きみは驚きやすいということになる。つまりきみには、不安をいだいている事柄や人間があるわけだ。どうしてそういうことになるか。ぼくたちはだれに対しても不安をいだく必要はないのだ。

もしぼくたちがだれかを恐れているとしたら、それはそのだれかに自分を支配する力を握られているからだ。たとえば、なにか悪いことをしたとする。ほかのものにそれを知られている――そうすると、その男がきみを支配する力を握る。わかるかい? はっきりしているね、そうじゃないかい?

(中略)

おもしろい実験を続けよう! ぼくたちが発見したのは、少年Sは驚きやすいということ――だれかを恐れているということ――おそらく彼とその男のあいだに、非常にぐあいの悪い秘密があるということだ――だいたいそのとおりだね?

シンクレールはデミアンの質問攻めにあいながら、内心このように思うのでした。

私はただうなずいた。そこで話しているのは、私自身の中からのみ発しうる声ではなかったか。

なにもかも知っている、私自身よりもよりよく、よりはっきりと知っている声ではなかったか。

デミアンがクローマーのところに乗り込んで行くような勢いなので、シンクレールはそれに不安を抱いて拒絶の意志表示を見せますが、デミアンは言います。

彼に対するきみの恐れが正当なものじゃないことは、きみも知っているんだろう?
そういう恐れはぼくたちをすっかりだめにしてしまうんだ。

そんなものは振り落とさなきゃいけない。きみがりっぱな人間になろうっていうんなら、そんな恐れは振り落とさなきゃいけない。わかるかい?

デミアンはクローマーへの反撃に対して積極的な姿勢を崩そうとはしません。

デミアンのことを信頼してよいものかどうか定まりかねているシンクレールは、デミアンの積極的な態度にうろたえてしまうのですが、家に帰り着いた時に彼は思ったのでした。

私は家へ帰って来た。一年間も外にいたような気がした。万事が違って見えた。私とクローマーのあいだには、未来のような、希望のようなある物が立っていた。

私はもうひとりではなかった。いまはじめて私は、自分が幾週ものあいだ秘密をいだいて、どんなにおそろしくひとりぼっちでいたかを悟った。


同時に、いくども考えたことが頭に浮かんだ。それは、両親の前でのざんげは私をらくにするかもしれないが、完全に私を救いはしないだろうということだった。

いま私は、ほかの者に、よその者にほとんどざんげをしてしまったのだ。救いの予感が、強いかおりのように、私に向かって飛んで来た。

この時からほどなくして、デミアンは、シンクレールが知らないうちに、クローマーとけりをつけたようです。
それ以降、クローマーがシンクレールに手出しをすることは、なくなりました。

今も昔も、いじめはあります。いじめられる側が自殺に至るような深刻なケースでは、孤立感と生活の場において逃げ場を見つけ出すことができない、そのような状況が想像されます。
悪意の他者を根絶することは現実的には至難の業です。問題の解決に力を貸してくれる仲間がいることの重要性を感じます。

さて、このことをきっかけにシンクレールがデミアンのことを慕うようになったかというと、実際にはそういうことにはならず、デミアンに対しては依然として複雑な感情を抱いてしまうのでした。

ずっと後になってから、シンクレールはこの当時のことを述懐します。

……私はクローマーと悪魔の手から救い出されたが、自分自身の力と働きによってではなかった。

私は世の中の小みちを歩こうと試みたが、道は私にとってあまりに足を踏みはずしやすかった。親切な手につかまえられて助かるやいなや、私はもうわき目もふらずに、母のふところと、囲いのされた、つつましい子どもの温床にもどって来た。

私は実際以上に幼く依頼的に子どもらしくした。クローマーへの従属を新たな従属をもって補わなければならなかった。私にはひとり歩きができなかったのだ。そこで私は盲目的な心の中で、父母と古い愛する明るい世界への従属を選んだ。

しかしそれが唯一の世界ではないことを私はもう知っていた。そういうものにたよらなかったとしたら、私はデミアンにたより、心をうちあけねばならなかっただろう。

そうしなかったのは、彼の奇怪な思想に対する正当な疑惑のせいだと、当時の私には思われた。
実際はそれは不安にほかならなかった。なぜならデミアンは両親より多くのことを、ずっと多くのことを私に要求しただろうから。また刺激と警告、嘲笑と皮肉によって私をもっとひとり立ちにしようと試みただろうから。

ああ、いまにして私は知った。この世の中で人間にとって、自分を自分自身に導く道を行くより、心にさからうものはないということを。

この引用にある「自分を自分自身に導く道」とは、決して平坦で楽な道ではなく、それはどうやら試練の道のようですね。厳しいですね。。。

自分を自分自身に導く道」との関連においては、「純粋経験」や「超越者の暗号」といった概念を過去の記事で紹介したことがあります。拙い記事ですが、興味のある方はこちらをどうぞ。

【ラブライブ!】【がっこうぐらし!】「純粋経験」と「Wonder zone」と「超越者の暗号」について語る回

これは言い訳ですが、このブロマガのほとんどの記事は、結局は一つのテーマについて、切り口を変えていきながら、いろいろと語っているだけという(^^;

ところで、ひと昔前くらいに「自分探し」というのが流行りましたが、ブームに釣られて始めた人は、中途半端なところで挫折してしまった人がほとんどなのではないでしょうか。

というのも、理由はすでに述べた通りで、「自己の探求」を本気で実行しようとすれば、それなりの試練が伴う、そういうことなのだと思います。

もっとも、こういう努力は、流行に関係なくいつの時代でも、探求したい人は事情の許す限り自発的に勝手に始めるものですし、やる必要のない人、やる意志のない人がわざわざやらなければならないものでもありません。

ただ、探求の欲求がありながら、諸般の事情によりそれがなかなか実行できる状態にない人、そういう人たちは気の毒だと思います。
それも含めて、やはり「自己に至る道」は試練の道なのでしょう。

個人的な体験を踏まえて考えてみると、神性や天使的な面だけに限らず悪魔的な面も含めて、こういうのは、不本意な出来事や窮地を抜け出して、ようやく一息ついた時に気付くことが多いように思います。

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            例えば、今回のチノちゃんは(!?)
      『ご…ごめんねお姉ちゃん…いい子になるからもう怒らないで…』

                   ❤♡???❤

                   覚醒

               『シャロお姉ちゃん…』
       『かわいそうに…酔いから醒めた時羞恥心で死にたくなるのよ』

                深層意識の表層化

                   ❤ぶひぃぃぃ❤


                  ❤覚醒終了❤

             『い…今までの全部演技ですから…』

                    ❤試練❤

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第2章については、これで終わりです。第3章の復元は、いつになるかわかりませんが、保証もしませんが、気が向いたらやりたいと思います。

それでは、皆さん、ごきげんよう。ファイトだよっ!