【雑談】(あくまでも個人的な趣味の主観的な審美眼によるものですが)「愛するもの」「美しく思うもの」「真理だと思うもの」などを語る回

皆さん、こんにちわ。最近になって、ようやく生きた心地のする季節となりました(^o^)

さて、9月25日はAqours(アクア)ちゃんの4thシングル「未体験HORIZON」のリリースから
ちょうど1年が経過ということで、これまでの慣例どおり、このPVもめでたく公共財への仲間入りとなりました(^^♪ 
    

ちなみに、この日は「未体験HORIZON」でセンターを務められる国木田花丸ちゃんの中の人であられる”きんちゃん”こと高槻かなこさんこと、かなこのお誕生日でもありました(´▽`)
     ハピーバースデー! おめでとうございまーす(⋈◍>◡<◍)。✧♥♥♥

   9月19日には「JIMO-AI Dash!」の【振り付け動画】が公開されました(*'▽')
    
           振り付けは、やはりパラパラでしたね(^ω^)

なお、前回の記事でしたか、「パラパラは動き回らずに上半身だけを使って演舞するダンス」などと書いてしまったわけですが、これは自分の思い違いだったらしく、このMVを観たところによると、たしかに動き回るようなことはないみたいですが、しかし結構全身を使って踊っていますね。前回の記事での発言について、この場でお詫びとか訂正とかしておかなければならないようで(^^;・・・ごめんなちゃいm(_ _)m

しかし、それにしても、リカコさんと朱夏ちゃんはルーズソックスが似合いますね(^^)b
このお二人は、ギャル文化の世界でも全く違和感なさそう(笑)

ちなみに、このMV映像にある各メンバーの配置については、デュオトリオ曲の各ユニットを
意識したものとなっているようですが、とはいえ、これは単なる偶然なのか、それとも確信犯なのか、あの二人については、曲の最初から最後までセンターのエリアに留まり続けて、特に2コーラス目に入ってからは、二人でセンターポジションを占拠してましたの状態www

    
   ギャル化したリカコさんと大人びた清楚系女子のリコちゃんにギャップ萌え♥♥♥

    
  10月3日からは、虹さんのアニメも放映開始となって、おめでとうございます(^^)v


もはや全然ついて行けてなくて恐縮ですが(;^ω^)・・・10月5日は三船栞子さんのお誕生日だということで、おめでとうございます(⋈◍>◡<◍)。✧♥♥♥

    
            にゃーちゃんも新曲フルMV公開(^^♪ 

    
        うわっ! 何!? このかわいい女の子(⋈◍>◡<◍)。✧♥♥♥

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次の話題に移りましょう(・ω・)ノ


今年の6月に「CITY」のMVを公開されてから、降幡さんもソロアーティストとしてのデビューを果たされましたが、あれは大変によいものだったので、僕もここ120日の間にたぶん500回くらいは視聴したと思います(笑)

そして、9月23日にはデビューミニアルバム『Moonrise』がリリースされました。おめでとうございます(^^)v
本作品は80’sのポップカルチャーを意識したというか、ほぼ完全にその世界に傾倒したような大変にアナクロニズムな内容となっていますが、そこではLPレコード盤やカセットテープ版までリリースされるというこだわりようΣ(・ω・ノ)ノ!

全くの余談ですが、リアルタイムの80’sは、純粋に音楽を楽しむためにレコードを買っていた人たちにとっては、レコードはホコリやキズとの戦いで、カセットテープはヒスノイズとの戦いで、CD化されるに至ってようやく両者の悩みが解決されて、結果的に、一つのアルバム作品に対してレコードとミュージックテープとCDと3種類の媒体を所有することになってしまったという、、、そのような経験をされた方たちもおられることでしょう。おれもー(^o^)

デビューミニアルバムのリリースに合わせて、公式FCの方も開設された模様です。おめでとうございます(^^)v

『Moonrise』のタイトルについては、降幡さんは「月は自らで輝いているわけではなく……」
みたいなことをコメントされていたと思いますが、今回のこのミニアルバムを通して聴くと、全曲の作曲・編曲とプロデュースを手掛けられた本間さんが、これはまたずいぶんとはりきっておられるような???

今どきの若い女の子に「80年代の若者文化に興味があります♡」みたいな奇特な子がいれば、そりゃあ、おじさんも嬉しくなっちゃいますよね。わかる。おれもー(^ω^)

降幡さんの作詞については「初めてにしては、よく頑張ったわね!」みたいな感じで、歌唱力については、80年代の歌手でいえば、菊池桃子斉藤由貴と同等のレベルくらいにはあって、それで結論的に言うと、駄作と呼べる曲が1曲もないのがスゴい(∩´∀`)∩

個人的には己の期待をはるかに凌ぐよい内容となっていたので、収録曲についての簡単な感想なども述べておきましょう。

#1.CITY
 これは、まずは「ツカミの一曲」みたいな感じですかね。そう言えば、この曲の
 MVの感想を以前に語ったことがありました。

【祝】降幡 愛さんソロアーティスト☆デビューおめでとうございます! 
初秋にリリース予定のデビューミニアルバム『Moonrise』からのリードトラック「CITY」のMVについて語る回


 アルバムに付属のBDでは、ドラマパートをカットした純粋に降幡さんがライブ
 ハウスでライブしてるver.が収録されています。これはこれでよいものだ(^^♪

#2.シンデレラタイム
 一曲目でガンガン飛ばした後で休憩タイムに入ったようなナンバーですが、
 これは後になってからじわじわ来て、知らず知らずのうちにいつの間にか口ずさ
 んでしまっているような類の良曲だと思います。

#3.Yの悲劇

 タイトルは、夏樹静子原作・角川映画Wの悲劇』をもじったものですか???
 
 曲調はSka(スカ)の駆け足ビートで、スカ・グループのマッドネスの成分が入っ
 てますね。80’sの音楽シーンには、やはりスカと彼らは外せないですね(^o^)

#4.ラブソングをかけて
 これは『うる星やつら』っぽいイメージの曲???
 
 この曲について降幡さんは「自分は悲しい詞しか書けない」とコメントされてい
 ましたが、作風や文体といった意味においては、それはそれで強みにもなると思
 われます。その理由については、たぶん後ほど触れることになるでしょう。

#5.プールサイドカクテル
 これは真打ちやラスボス感にあふれるナンバーで、80’sのポップミュージックの
 エッセンスをてんこ盛りに詰め込んだような、かなり中身の濃い楽曲ですね!

 「ローンリー ナイト スイミング♪ ローンリー ナイト スイミング♪」
 
 このフレーズを繰り返し耳にしているうちに、どういうわけか萩原朔太郎の詩
 「月光と海月」を思い出してしまいました。。。(←誉め言葉)

 そう言えば、80年代の後半は「プールバー」というのがお洒落なスポットだった
 らしいですが、これはビリヤードのできるバーだということです。
 バブル期には、ビリヤードが流行りましたねー( ´∀` )

#6.OUT OF BLUE
 
曲調には昭和臭らしきものは全く感じられませんが、前の曲がもはやエグみの極
 みに達していたので、最後はむしろ、これくらいで勘弁してやっといた方が妥当
 なのかもしれません!?

 「WATER BLUE NEW WORLD」から3年が経ち――降幡 愛さんはここに来て、
 もはや「OUT OF BLUE」の境地!?

降幡さんはシティポップやトレンディドラマなどを通して「キラキラな80's」に遥かなる憧れを抱いているようですが、当時のリアルは一般庶民のレベルにおいては、今よりももっと不便で不衛生で野蛮で、スマート爆弾は現実に存在していましたが、スマートフォンドラえもんが出してくれそうな道具で、また80年代と言うと、ウォシュレットの黎明期(れいめいき)だったりして、テレビCMで「おしりだって洗ってほしい」と訴求していたのを覚えています。

今と比べると、当時の庶民の生活はもっとプリミティヴでギラギラした時代でしたが、しかし今となっては普通には体験できないような「味わい」も少なからずあったように思います。

今となっては懐かしい、普通には出会うことのできない、あの頃の眩(まばゆ)いキラキラ――それは男子目線からすると、やはり女子のブルマ姿が、――てか、それはギラギラ(゚Д゚)ノ

80年代の、田舎に暮らす青臭い栗畑な少年や小便臭い小娘どもがみんなして憧れた、都会的で洗練されたクールでファッショナブルな「オトナの世界」(*‘∀‘)

田中康夫の『なんとなく、クリスタル』は、80’sの幕開けとなる1980年頃の都会で暮らす若者の文化を描写した風俗小説で、注釈にあるブランドやショップなどの説明が作品内容の半分を占めているという、ある意味、反則技な小説だとも言えそうですが、当時の若者たちからは大いに支持されて、ミリオンセラー小説にまでなったという話です。

この作品については、ストーリーに感興を催すことはなく、「1980年の東京って、こんなんだったんだなー。おれもモデルみたいな彼女ほしいなー」・・・まあ、そんな感じです(笑)

とはいえ、消費社会論の視点から読み解いていくと、面白い作品みたいですよ('ω')ノ
          田中康夫『なんとなく、クリスタル』(河出文庫)

降幡さんが憧れのまなざしで想いを寄せる80’sのキラキラな世界像は、それはまた当時の少年少女たちが夢見ては思いを馳せていた世界でもあって、しかしそれは今となっては、ひとつの理想郷なのであり、すなわち虚構なのでした。――とはいえ、それは別に悲しむべきことではなくて、個人的な哲学的直観によれば、それはむしろ素晴らしいことである、とすら言えるのではないか!?

誠に恐縮ながら、最近どういうわけか、虚構談議を好んでするようになってきて、たぶんこのことについても、後ほど再び触れることになるだろうと思います(^^;

さて、降幡さんが「クリスタル族」の道に進む一方で、ルビィちゃんも独自の路線を開拓しているようです??? このアニメ映像は、もしかしてAC部の方々によるものですか!?

この動画は公開から半月ほどか経過しましたが、すでに124万再生を突破して、大変に好評のようでよかったですね(^^♪
    
            ルビィちゃん、電波路線さく裂wwwww

         同じSDキャラでも趣向が異なるとほとんど別キャラ???

ところで、ルビィちゃんはスクールアイドルを卒業したら、電波系アイドルやバラドルとかになってしまうんですかね!?

ルビィちゃんが80’sスーパーフリーク路線に傾倒したら、行き着く先はやはり戸川純(笑)
    
        中枢神経 子宮に移りー♪
         十万馬力の破壊力 レディヒステリック 玉姫様 乱心♪
            神秘神秘 月に一度 神秘神秘 神秘の現象ー♪

         ・・・戸川純の作詞センスは変態的で破壊的(・ω・)ノ

    
   全世界的規模で80’sを代表する究極のナンバーと言えば、たぶんこの曲(^^♪

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ところで「ラブライブ!」ファミリー以外の楽曲では、最近になってどういうわけか、この人の歌声に魅了されたりして、メリーさんはなかなかの美声の持ち主です(^^♪      
    
メリーさんの「ケ・セラ・セラ」は1969年か70年にリリースされたそうですが、これは実はカバー曲で、アレンジはポール・マッカートニー。スゴいですね。

      なお、オリジナルは1956年のドリス・デイによるものらしいです。
    

メリーさんのカバーには、ポールによってオリジナルにはない創作が加えられていたりして、個人的にはそのパートに最も聴き惚れたわけですが、ポールによるポップミュージックな仕上がりは、彼女のフォークシンガーとしての音楽性にとっては、どうやら容認し難いものだったらしいです。

レコーディングはしたものの、リリースされたのはフランスやアメリカ、日本などで、母国のイギリスでは結局「ケ・セラ・セラ」のシングルは発売されなかったのだそうです。

メリーさんはアップルレコードの歌姫で、ビートルズがバックに付いたレディ・ジョーカーな女の子でしたが、彼女自身がやりたい音楽(フォークソング)を純粋に追求するようになると、ヒットチャートには入らない歌手になったりして、ここにポピュリズムと真理探求の二律背反(アンチノミー)を感じます。。。(´・ω・)

     それはそうと、こういう容姿は個人的には大変に心惹かれるビジュアル

それで、メリーさんのベスト盤のCDとかも購入して、休日に電車に乗っている間に聴いたりするわけですが、車窓に流れる見慣れた月並みで平凡な景色も、彼女の歌声とともに眺めると、秋晴れの陽気のせいもあったとは思いますが、何だか世界がいつもよりキラキラと輝いて見えてきたりして、別にデートの約束なんか入ってるわけでもないのに不思議ですね。メリーさんの清澄にしてしなやかな歌声は、得も言われぬほどにアメイジング・パワーです(´ω`)

メリーさんは1950年生まれなので、今ではすっかりおばあちゃんですが、こんな美しい世界を持っている人なので元気でいてほしいです。

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最近はまた、再び本なども読むようになりました。

メーテルリンクの『青い鳥』でも読んでみようかと、ふらりと書店に入って目的の本を探していると、ついでにこんな本も買ってしまい、いわゆる「出会い買い」というやつですね(笑)
       カフカ 頭木弘樹 編訳『絶望名人カフカの人生論』(新潮文庫)

これはフランツ・カフカの日記や手紙から言葉を拾ってきて、それに頭木さんが解説を加えるといったスタイルの書籍で、いわゆる名言集みたいなものですが、しかしそこで採用されている言葉の数々はすべて弱音や泣き言や愚痴ばかりで、にもかかわらず名言集として成立してしまうところが、カフカという人のスゴいところなのかもしれません???

また頭木さんの解説が実に絶妙で、とっつきやすくて読んでいて面白く、有益な内容となっているので、これはお買い得です。大変によい仕事をされましたね。グッジョブ(^^)b

とはいえ、これは単なる個人的な感想にすぎず、さらに言えば、この本に書かれてあることの最大の共感ポイントは、実はこんなところにあったのでした(^^;

彼は何事にも成功しません。失敗から何も学ばず、つねに失敗し続けます。
彼は生きている間、作家としては認められず、普通のサラリーマンでした。
そのサラリーマンとしての仕事がイヤで仕方ありませんでした。でも生活のために辞められませんでした。

たぶんカフカは「世俗的な幸福主義」とは縁の薄い人で「イデアと実存」探求の人生を全うした人、すなわちキルケゴールの言う「自分がそのために生き、そのために死ねるような真理」を生涯かけて探求し続けた人だったのではないかと思います。

現代では、カフカは20世紀を代表する小説家として世界的に知られているスゴい人で、文学界の巨匠なわけですが、この人は日記にこんなことを書いています。

ぼくの仕事が長くかかること、
またその特別の性質からして、
文学では食べてゆけないでしょう。

ところで、キルケゴールは「偉大なるダメ人間」でしたが、カフカの場合は「偉大なる小心者」と呼べるかもしれません。小心者でダメ人間なこんな自分が、こんな偉大な人たちを尊敬しないわけにはいかない。心から尊敬できるような人がいて、偉大なる人生の教師が存在するというのは、人生にとっては端的によいことだと思います(^ω^)

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去年の夏が始まったあたりに、北九州市の図書館に入居しているカフェの書棚にこんな本を見つけて、少しだけ読みましたが、その後はそのカフェに足を運ぶようなこともなく、それからしばらくすると新型コロナの影響もあったりして、またしばらくしてから、久しぶりにここをを訪れたところ、この本はいつの間にか書棚から消えていて、どうやら中島義道北九州市にゆかりのある著名人ではなくなってしまった模様!?
            中島義道『明るいニヒリズム』(PHP文庫)

最近になって、この哲学的エッセイをアマゾンに出品している古本屋から購入しました。

このエッセイの主旨は「時間」概念を徹底的に懐疑することによって「客観的世界」の在り方を根本から問い直す、というところにあるみたいですが、中島先生は「客観的世界がなければ、どんなにラクだろう」と子供の頃から考えておられたようで、また哲学する目的を「客観的世界を解体すること」に据えていると、本書の中で語っています。

この本は、今のところ3分の2ほどを読み終えましたが、そこで中島先生は「客観的世界は実在しているように見えて、実はそれは仮象にすぎない」と主張して、ヘーゲルの時間論に対する批判から始まって、マクタガートの「時間非存在論」やカントの観念論などを持ち出しながら議論を展開しています。

また中島先生は「人は死んだら無に帰する」と考えている立場の人のようで、「客観的世界は仮象にすぎない」という主張は、そういう立場の人たちにとっての死に対する不安を和らげるには都合がよさそうです。(^o^)

しかし先生の主張はそれだけにとどまらず、虚構の世界の存在を信じている人たちにとっても魅力的な仮説だと考えられます。(^ω^)
   
19世紀に「背後世界の存在が現実の生を貶めている」としてキリスト教道徳を批判したのは、ニーチェでした。

20世紀になると、科学技術の進歩や物質文明の急激な発展が推進力となって「虚構の世界に対する現実世界の優越」がわれわれにとって自明なものとなりました。

ところが、1970年代あたりになって「モノの豊かさよりも心の豊かさ」とか言われだすようになったそうで、1980年代後半のバブル期には「本当の豊かさとは何か?」などと問われるまでに至り、そのような過程を経て「虚構の世界に対する現実世界の優越」の自明性も勘の鋭い人たちにとっては次第に怪しいものとなってきました。

現実世界の実情というのは、「幸福」というのは大変に聞こえはいいですが、これは消費社会においては国民総シャブ漬けになったような状態でもあるので、考えようによっては、シャブ抜きに伴う苦痛を出来るだけ先延ばしにしようと、国民の総力を挙げて、われわれは日々そのような愚行にせっせと勤(いそ)しんでいるのであります。

有用だからといって、それが果たして有益なものなのか?――そういった批判も必要です。

人としてやってはいけないことさえやらなければ、基本的に人間は自由だと思います。

時として、凡庸な一般大衆が巨大な悪に加担してしまうようなことがありますが、これまでに悪が栄えたためしは――時には勢力を伸ばすことがあるとはいえ、――幸いなことに原理的にはあり得ません。

報復合戦になって、無限にお互いを叩き潰し合うのは、生命の本質ではないと思います。

それはさておき、中島先生の「客観的世界は仮象にすぎない」とする主張は「虚構の世界に対する現実世界の優越」に修正を加えるのに有効なものと考えられます。確実に実在しているかのように映る現実世界も、根源的にはもっと不安定なもので、やはりそれも根源的には、あるいは理念的には仮象にすぎない。

僕がわざわざこんな話題を持ち出してきたのも、実際のところ、5年前の自分と比べると今の自分というのは、現実世界に対する絶望の度合いがさらに進行しているようで、現実世界に対するリアリティが以前にも増して感じられなくなってきた。――それにもかかわらず、人生に対しては、現実世界ほど絶望しているというわけでもなく、――これは何とも奇妙にして神妙不可思議なパラドックスですねえ。。。(´・ω・)?

われわれ人間は現実世界の内に存在しているわけですが、人間存在にとっての「世界」というのは、どうも現実世界の内側へと閉じ込められたものではないらしい。。。( ˘ω˘ )

現実世界とは人間存在にとっては、結局のところ、いわばこれは閉じられた不自由な世界で、この閉塞性と不自由さゆえに、人間存在はこのような拘束から解放された理想の世界すなわち虚構の世界を要請する。そしてこの虚構の世界が、ある意味においては空虚で殺伐としているとも言える、思うに任せぬ現実世界を生きる人間どもに(内面的な)救済を与える。

虚構の世界は、それが白魔術的に作用すれば、現実世界に絶望している人々に対して夢と希望を持ち続ける力を授けてくれる。

超越的な、或いは神の視点からすれば、リア充と非リア充の違いというのも、結局のところ、どんぐりの背比べくらいでしかない???

ちっちゃい人間になっちゃあダメだ。もっとスケールの大きな人間にならなければ。('ω')ノ

話は変わりますが、今から2300年ほど前の中国に現実世界虚構の世界等価なものとみなすような思想がありました。

……いつか私(荘周)は、夢の中で胡蝶になっていた。そのとき私は喜々として胡蝶そのものであった。ただ楽しいばかりで、心ゆくままに飛びまわっていた。そして自分が荘周であることに気づかなかった。

ところが、突然目がさめてみると、まぎれもなく荘周そのものであった。

いったい荘周が胡蝶の夢を見ていたのか、それとも胡蝶が荘周の夢を見ていたのか、私にはわからない。
               
               ――『荘子』「斉物論篇」(森三樹三郎 訳)――

荘子』の「胡蝶の夢」の寓話と中島先生の「客観的世界非存在説」とは、大変に相性が良いように思われます。そして個人的には、ここでの哲学的思索や思想寓話から次のような主張をしたいわけです。

「現実世界」「虚構の世界」は――少なくとも理念的には――等価である。

ステレオタイプの障壁を取り払った、現実世界から虚構の世界までをフラットに見渡すことのできる風通しの良い、新しい世界――これはまさしく「未体験HORIZON」!!!

現実世界には、虚構の世界を創造したり演じたり、いわゆる「虚業」を仕事としている人たちが存在します。こういった人たちの存在が、この主張に真実味を与えます。

この主張が世に流通してくれると、福祉国家が掲げる「最大多数の最大幸福」の理念の増進にさらに貢献するものと思われます。つまりは、われわれ豚仲間や非リア充たちにとって世界がもっと親しみのあるものへと変革されるように思います。例えばこんな感じ(^o^)

(事例1)
リア充」と「非リア充」は――少なくとも理念的には――等価である。

(事例2)
「リア友」と「心の友」は――少なくとも理念的には――等価である。

(事例3)
「リアル嫁」と「脳内嫁」は――少なくとも理念的には――等価である。

そういえば、女優の石原さとみさん(33)が結婚されましたね。おめでとうございます(^^)v

それによって心の拠り所を失ってしまった男性とか、もしかして存在してるんですかね?

しかし、現実世界をもっとフラットに境界線を越えたはるか遠くまで見渡すことができれば、そこでまた新たな地平も開けてくる。(←ただし二次元www)

    
  そこでまた、なぜか知らねど、わけもなく唐突に「五等分の花嫁」(←なんでやねんw)

    
     この作品についてはまったくの無知ですが、なんか可愛いじゃん(^ω^)

    
         TVアニメのEDは内田さんが担当してたんですね(^^♪

原作の方は今年の2月あたりで連載終了となったようですが、TVアニメ2期が来年の1月から放送されるらしいです。今読みかけの本が読み終わったら、快活CLUBのコミックコーナーの方でもちょっと覗いてみようかな(^o^)

    のぞみ:「おやおや、浮気ですか? うちに永遠に変わらぬ愛を誓いなさい♡」